はじめに

天武天皇の舎人稗田阿礼ら語部には、大嘗祭や殯等朝廷の儀式のとき、天皇家にある
 帝紀及本辞から古詞を奏上する任務があるので、推古28(西暦620)に厩戸皇
 蘇我馬子が作成したと伝えられている 「天皇記及国記、臣連伴造国造百八十部并
 公民等本記」 に、その後の天皇の代における帝紀及本辞を追加した内容を、「天皇家
 の帝紀及本辞」 として日頃から誦習していた。

ところが、この度(西暦681)天武天皇(51)から稗田阿礼(28)が誦習するよ
 う命じられたものは、その 「天皇家の帝紀及本辞」 を、天武天皇勅命で修正して出来
 た、「帝皇日継及先代旧辞」 と称するものであった。
 これは、その先代旧辞部分が、後に 「勅語旧辞」 と略称されるものである。

天武天皇の舎人稗田阿礼は、勅命に従い、上記 「勅語旧辞」 を誦習したが、天武天皇
 が、5年後(西暦686)に崩御(56)され、続く持統女帝文武天皇の代になると、
 別の舎人が、元の帝紀及本辞から古詞を奏上するようになったので、次の元明女帝
 (51)は、平城京遷都の翌年、和銅4(西暦711)918日、文官太朝臣安萬侶
 に対し、稗田阿礼(58)が誦む 「勅語旧辞」 を撰録して献上するよう命じられた。
 それで、安萬侶は、阿礼が誦み上げる 「勅語旧辞」 を、漢字の音訓を混用する手法で
 古事記」 として採録し、和銅5(西暦712)128日、元明女帝に献じた。

しかし、「古事記」 の内容が推古女帝の代までとなったのは、天武天皇の 「勅語旧辞
 すなわち 「帝皇日継及先代旧辞」 の基になった 「天皇記及国記、臣連伴造国造百八
 十部并公民等本記」 が、推古女帝の代までであったのと、更に、献上先の元明女帝が、
 父君天智天皇、母君蘇我姪娘であることを慮ると、後に 「乙巳の変壬申の乱
 と呼ばれる出来事を、「勅語旧辞」 のままに採録することが、憚られたからでもある。
 また、この 「古事記」 は、高齢の阿礼が誦み上げる音声を聞きながら、安萬侶が、漢字
 で記述したものであるため、後世の者には、不明瞭な部分があることも否めない。

そして、今では、阿礼が誦習した 「勅語旧辞」 すなわち 「帝王日継及先代旧辞」 自体、
 また、その基になった 「天皇記及国記、臣連伴造国造百八十部并公民等本記」 自体、
 阿礼が誦習した 「勅語旧辞」 から安萬侶が採録した 「古事記」 自体も現存せず、
 この 「古事記」 についての後世の写本を覧るのみである。

それで、後世の者にとって、「古事記」 の不明瞭な部分、特に神代の古事とされる部分
 を明瞭にするために、「古事記」 の後世の写本(国宝真福寺本)の記述を基に、小職が、
 当時の天武天皇の舎人稗田阿礼ら語部の史生(記録係)になって、「古事史伝 古事記
 神代編」 と題する報告書スタイルの本稿を作成することにした。

そこで、本稿 「古事史伝 古事記神代編」 は、古事記上巻(神世)古事記中巻(神人世)
 を対象とし、「1.経緯と目的」、「2.古事記編集」、「3.古事記上巻(口語訳補足付き)」、
 4.古事記中巻(口語訳補足付き)」、「5.古事記要約」、「6.古事記Q&A」、「7.考察
 と結論
」 で構成し、また、「考察」 では、「古事記の歴史変換魏志倭人伝との整合
 」 にも言及することにした。

本稿では、「古事記(国宝真福寺本)の記述を、その基となった 「勅語旧辞」 すなわち
 帝王日継及先代旧辞」 を誦習した舎人稗田阿礼ら語部の視点で見直して、補足説明
 を加えることにより、「古事記」 における不明瞭さをいくらかでも軽減したので、
 特に、神代における古事を、史伝として理解し易くなったのではないかと思う。

 平成 27(西暦 2015) 1220
 平成 29(西暦 2017) 1220 日 改訂
 平成 30(西暦 2018)  620 日 改訂
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 令和  3 (西暦 2021)  920 日 改訂

                          大和朝廷 外記庁 語部
                          史生代行 球磨コレノリ


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