6.「古事記」 Q&A
☀「古事記」 上巻(神世)・中巻(神人世)の本文での Q&A は、 Q1~Q100 の通り。| Q 1 | ①「高天原」・②「黄泉」・③「葦原中国」・④「根之堅州国」・⑤「夜之食国」・ ⑥「海原」・⑦「常世」・⑧「倭」 等の特別な地域名の意味は? |
| ①「高天原」=海原の高み(都)=山島=佐度(サト)(韓地巨済島)⇒壱岐(イキ)に遷都 ②「黄泉」=伊耶那美(イヤナミ)命の墓が在る比婆(ヒバ)之山の地(東出雲=出雲国意宇) ③「葦原中国」=新天地(本土) ④「根之堅州国」=根の方の国=斐伊(ヒイ)川上、鳥髪(トリカミ)地(奥出雲=出雲国仁多) ⑤「夜之食国」=旧都(韓地巨済島) ⑥「海原」=韓地と本土との間を渡海するための対馬・日本海 ⑦「常世」=伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国) ⑧「倭」=畿内ヤマト(「倭」・「大倭」)⇒倭建(ヤマトタケル)命の頃には、「大和」 に統一し、 「倭」 は、国号の意味に戻し、読みを、「ワ」⇒「ヤマト」 とすることが、始まった。 | |
| ①「高天原」 の記述例 | |
| 【上巻のみ】 天之御中主(アメノミナカヌシ)神~迩迩芸(ニニギ)命 ● 天地(アメツチ)が初めてできた時、高天原(タカアマハラ)に成った天之御中主(アメノミナカヌシ)神。 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命は、天照(アメテラス)大御神に、高天原(タカアマハラ)の統治を命じた。 ● 天照(アメテラス)大御神の天石屋戸(アメイハヤト)で、 高天原(タカアマハラ)・葦原中(アシハラナカ)国は、すべて暗くなった。 ● 高天原(タカアマハラ)が、どよめくほど、八百万(ヤホヨロヅ)神は、皆笑った。 ● 天照(アメテラス)大御神が、天石屋戸(アメイハヤト)から出て、 高天原(タカアマハラ)・葦原中(アシハラナカ)国は、自然と明るくなった。 ● 須佐之男(スサノヲ)大神は、大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神)に、宇迦(ウカ)山麓(西出 雲=出雲国神門)に、高天原(タカアマハラ)に見えるよう宮殿を高くして住め、と言った。 ● 大国主(オホクニヌシ)神は、高天原(タカアマハラ)に見えるよう宮殿を高くして、と言った。 ● 大国主(オホクニヌシ)神が熾(オコ)した火は、高天原(タカアマハラ)では、神産巣日(カミムスヒ)御祖 (ミオヤ)命の天之新巣(アメノニイス)(新宮殿)の煤(スス)が、厚く積もるまで焼く。 ● 迩迩芸(ニニギ)命が、下ろうとした時、天之八街(アメノヤチマタ)(海路)で、 高天原(タカアマハラ)と葦原中(アシハラナカ)国を照らす神(猿田毘古神)が居た。 ● 迩迩芸(ニニギ)命は、高天原(タカアマハラ)に見えるよう高くして住んだ。 ★天地(アメツチ)(天族の土地)が、初めてできた時の天之御中主(アメノミナカヌシ)神の頃の都、 「高天原」 は、海原の高み=山島(サト)=佐度(サト)(韓地巨済島)であったが、 国之常立(クニノトコタチ)神の頃には、「高天原」 は、壱岐(イキ)になり、 迩迩芸(ニニギ)命が、「葦原中国」(本土)に上陸して、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良) に遷都すると、都を、「高天原」(海原の高み)と、言わなくなった。 | |
| ②「黄泉」 の記述例 | |
| 【上巻】 伊耶那岐(イヤナキ)命~大穴牟遅(オホアナムヂ)神 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命は、伊耶那美(イヤナミ)命を追って、黄泉(ヨミ)国に行った。 ● 伊耶那美(イヤナミ)命は、黄泉(ヨミ)国の住人になってしまった。 ● 伊耶那美(イヤナミ)命は、黄泉(ヨミ)神(8雷神)と相談してみたい。 ● 伊耶那美(イヤナミ)命は、黄泉醜女(ヨミシコメ)に、伊耶那岐(イヤナキ)命を追わせた。 ● 黄泉比良(ヨミヒラ)坂・黄泉(ヨミ)坂=伊賦夜(イフヤ)坂(東出雲=出雲国意宇) ● 伊耶那美(イヤナミ)命を、黄泉津(ヨミツ)大神という。 ● 黄泉(ヨミ)坂を塞いだ岩の亦の名を、塞坐黄泉戸(フサギイマスヨミト)大神という。 ● 須佐之男(スサノヲ)大神は、大穴牟遅(オホアナムヂ)神を、 黄泉比良(ヨミヒラ)坂(東出雲=出雲国意宇)まで追って来て、呼びかけた。 【中巻】 神功皇后 ● 息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)に憑依した神が、帯中津日子(タラシナカツヒコ) 天皇(仲哀天皇)が、平定するべきではない、黄泉(ヨミ)国への道に向かえ、と言った。 ★伊耶那美(イヤナミ)命は、讃岐(サヌキ)国の火之迦具土(ホノカグヅチ)神の反逆により負傷し、 死去したが、遺体は、出身地の出雲(イヅモ)国(東出雲=出雲国意宇)に帰郷した。 その墓が在る比婆(ヒバ)之山の地(東出雲=出雲国意宇)を、「黄泉」(ヨミ)国という。 | |
| ③「葦原中国」≧「豊葦原水穂国」=「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」 の記述例 | |
| 【上巻】 伊耶那岐(イヤナキ)命~迩迩芸(ニニギ)命 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命の黄泉(ヨミ)国からの退却で、黄泉比良(ヨミヒラ)坂本の桃の実に、 葦原中(アシハラナカ)国に生きている青人草(アヲヒトクサ)(一般人)を助けてくれ、と言った。 ● 天照(アメテラス)大御神の天石屋戸(アメイハヤト)で、 高天原(タカアマハラ)・葦原中(アシハラナカ)国は、すべて暗くなった。 ● 天照(アメテラス)大御神が、天石屋戸(アメイハヤト)から出て、 高天原(タカアマハラ)・葦原中(アシハラナカ)国は、自然と明るくなった。 ● 豊葦原之千秋長五百秋之水穂(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミヅホ)国は、 御子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(マサカツアカツカツハヤヒアメノオシホミミ)命が治める国。 ● 豊葦原之千秋長五百秋之水穂(トヨアシハラノチアキナガイホアキノミヅホ)国は、大変騒がしい、 と天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命は、言った。 ● 葦原中(アシハラナカ)国は、天照(アメテラス)大御神の御子が治める国として、命じられた国。 ● 天之菩卑(アメノホヒ)神による葦原中(アシハラナカ)国平定失敗(第1次) ● 天若日子(アメワカヒコ)による葦原中(アシハラナカ)国平定失敗(第2次) ● 建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による葦原中(アシハラナカ)国平定(第3次) ● 建御雷(タケミカヅチ)神は、帰還、参上し、葦原中(アシハラナカ)国を平定した様を報告した。 ● 天照(アメテラス)大御神は、迩迩芸(ニニギ)命に、豊葦原水穂(トヨアシハラミヅホ)国に下れ、 と言った。 ● 迩迩芸(ニニギ)命が、下ろうとした時、天之八街(アメノヤチマタ)(海路)で、 高天原(タカアマハラ)と葦原中(アシハラナカ)国を照らす神(猿田毘古神)が居た。 【中巻】 神武天皇 ● 葦原中(アシハラナカ)国は、大変騒がしいことで、 私の御子(神倭伊波礼毘古命)達は、平穏でないらしい。 その葦原中(アシハラナカ)国は、専らあなた(建御雷之男神)が従わせた国。 ★「葦原中国」 は、上記 「高天原」 以外の所であるが、迩迩芸(ニニギ)命が、「葦原中国」 (本土)に上陸して、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)に遷都してからは、「高天原」・ 「葦原中国」 と言わなくなり、以後、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇) の熊野(クマノ)攻めで、熊野(クマノ)の高倉下(タカクラジ)の夢の中にのみ登場する。 | |
| ④「根之堅州国」 の記述例 | |
| 【上巻のみ】 速須佐之男(ハヤスサノヲ)命~大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神) ● 速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、亡き母(伊耶那美命=黄泉津大神)の居る国(東出雲= 出雲国意宇)奥の根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)に退去したくて泣く。 ● 大屋毘古(オホヤビコ)神は、大穴牟遅(オホアナムヂ)神に、須佐之男(スサノヲ)大神が居た 根之堅州(ネノカタス)国(根の方の国)(奥出雲=出雲国仁多)に行け、と言った。 ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の追放地、出雲(イヅモ)国の斐伊(ヒイ)川上、鳥髪(トリカミ)地 (奥出雲=出雲国仁多)の 「根之堅州国」(根の方の国)(奥出雲=出雲国仁多)は、 亡き母(伊耶那美命=黄泉津大神)の居る国(東出雲=出雲国意宇)の奥である。 | |
| ⑤「夜之食国」 の記述例 | |
| 【上巻のみ】 伊耶那岐(イヤナキ)命 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命は、月読(ツキヨミ)命に、夜之食(ヨルノヲス)国の統治を命じた。 ★伊耶那岐(イヤナキ)命が新天地(本土)を開発中に、3人の子に統治を分業した所は、 既に、天族の土地(天地)になっている地の中で、 天照(アメテラス)大御神に命じた都の 「高天原」(海原の高み)(壱岐)や、 建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命に命じた 「海原」(韓地と本土との間を渡海するため の対馬・日本海)とも異る地であるはずの、月読(ツキヨミ)命に命じた 「夜之食国」 は、 天族の旧都(韓地巨済島)のことになる。 | |
| ⑥「海原」 の記述例 | |
| 【上巻】 伊耶那岐(イヤナキ)命~稲氷(イナヒ)命 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命は、建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命に、海原(ワタノハラ)統治を命じた。 ● 豊玉毘売(トヨタマビメ)命が、天神(アメカミ)の御子を身籠り、海原(ワタノハラ)で産むべきで はないとして、火遠理(ホヲリ)命が居る所(都の竺紫日向)(筑紫国早良)に来て、 鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命を産んだ。 ● 稲氷(イナヒ)命は、母、玉依毘売(タマヨリビメ)命の海原(ワタノハラ)に行った。 【中巻】 垂仁天皇~神功皇后 ● 肥長比売(ヒナガヒメ)が、海原(ワタノハラ)上を照らし、船で追いかけて来た。 ● 新羅(シラギ)へ渡海する時、海原(ワタノハラ)の魚が、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后 (神功皇后)の船を背負って渡した。 ★「海原」 は、韓地と本土との間を渡海するための対馬・日本海のこと。 | |
| ⑦「常世」 の記述例 | |
| 【上巻】 思金(オモヒカネ)神~御毛沼(ミケヌ)命 ● 天石屋戸(アメイハヤト)で、思金(オモヒカネ)神は、常世長島鳥(トコヨナガシマトリ)を鳴かせた。 ● 少名毘古那(スクナビコナ)神は、出雲(イヅモ)を固めた後、常世(トコヨ)国に行った。 ● 迩迩芸(ニニギ)命の天降りで、常世思金(トコヨオモヒカネ)神を付き添わせた。 ● 御毛沼(ミケヌ)命は、海を渡って常世(トコヨ)国に行った。 【中巻】 垂仁天皇 ● 伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)天皇(垂仁天皇)は、多遅摩毛理(タヂマモリ)を 常世(トコヨ)国に遣わして、『時じくの香の木の実』(蜜柑類)を求めさせた。 ● 多遅摩毛理(タヂマモリ)は、常世(トコヨ)国の『時じくの香の木の実』(蜜柑類)を採り、 進上。 ★「常世」 長島鳥(トコヨナガシマトリ)は、土佐(四国)の長鳴鳥(ナガナキトリ)(東天紅)の原種 鶏で、少名毘古那(スクナビコナ)神が出雲(イヅモ)を固めた後に行った 「常世」(トコヨ)国 は、御毛沼(ミケヌ)命(鵜草葺不合命の子、若御毛沼命の兄)が居た所(竺紫日向)(筑 紫国早良)から渡海して行く所に在り、『時じくの香の木の実』(蜜柑類)の産地 であり、大和の多遅摩毛理(タヂマモリ)がこれを採って帰ることができる地となれば、 伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国)の国のことになる。 | |
| ⑧「倭」・「夜麻登」・「大倭」・「意冨夜麻登」・「大和」 の記述例 | |
| 【上巻】 伊耶那岐(イヤナキ)命~大国主(オホクニヌシ)神 ● 伊耶那岐(イヤナキ)命が、大倭豊秋津(オホヤマトトヨアキツ)島(山陽)を生む。 ● 誓約(ウケヒ)で交換した速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の人財、天津日子根(アメツヒコネ)命は、 倭田中直(ヤマトタナカアタヘ)、倭俺遠髙市縣主(ヤマトオレトホタケチアガタヌシ)の祖。 ● 八千矛(ヤチホコ)神(大国主)が、出雲(イヅモ)国から、倭(ヤマト)国(大和国)に上る。 ● 大国主(オホクニヌシ)神に協力する御諸(ミモロ)山神(大年神)は、 倭(大和)(ヤマト)の東山上に斎き祀れ、と言った。 【中巻】 神武天皇~倭建(ヤマトタケル)命 ● 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇) ● 倭国造(ヤマトクニミヤツコ)の祖=槁根津日子(サオネツヒコ)(速吸門で出会った) ● 大倭日子鉏友(オホヤマトヒコスキトモ)命(懿徳天皇) ● 大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命(孝安天皇) ● 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命(孝霊天皇) ● 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命(孝元天皇) ● 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命=蠅伊呂泥(ハヘイロネ)(孝霊天皇の妻) ● 夜麻登登母母曽毘売(ヤマトトモモソビメ)命(孝霊天皇の子) ● 倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)(孝霊天皇の子) ● 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(開化天皇) ● 倭日子(ヤマトヒコ)命(崇神天皇の子) ● 倭比売(ヤマトヒメ)命(垂仁天皇の子) ● 倭(ヤマト)の市師(イチシ)池・軽(カル)池に、 本牟智和気(ホムチワケ)皇子(垂仁天皇の子)を遊ばせる。 ● 倭者師木登美豊朝倉曙立(ヤマトハシキトミトヨアサクラアケタツ)皇子=曙立(アケタツ)皇子を、 本牟智和気(ホムチワケ)皇子(垂仁天皇の子)の出雲(イヅモ)国行きに付き添わせた。 ● 倭屯家(ヤマトミヤケ)を、景行天皇が定める。 ● 倭根子(ヤマトネコ)命(景行天皇の子) ● 倭(大和)男具那(ヤマトヲグナ)命=小碓(ヲウス)命(景行天皇の子) ● 西方には、熊曽建(クマソタケル)2人を除いて、勇猛な男はいないが、 大和(ヤマト)国(「大和」の初出)に、勇猛な小碓(ヲウス)命が居た。 ⇒小碓(ヲウス)命は、熊曽建(クマソタケル)の名付けで、倭建(ヤマトタケル)命となる。 ★元来、「倭」 は、天族の国号 「ワ」 であったが、大国主(オオクニヌシ)が、支配地を大(オホ)国 (山陰と畿内)に拡大した頃、畿内ヤマトを、「倭」・「夜麻登」(ヤマト)と言っていたのを、 天族の神武天皇が、畿内ヤマトを征圧した後、「大倭」・「意冨夜麻登」(オホヤマト)と言い、 その後、倭建(ヤマトタケル)命の頃には、畿内ヤマトを、「大和」(ヤマト)に統一して、 「倭」は、国号の意味に戻し、読みを、「ワ」⇒「ヤマト」 とすることが、始まった。 | |
| Q 2 | ①「天」・②「竺紫」・「筑紫」・③「淡海」・「近淡海」・「近江」・ ④「伊瀬」・「伊勢」・⑤「木」・「紀」・⑥「日向」 の付いた地名の場所は? |
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①「天」 の付いた地名 高天原(タカアマハラ)(壱岐) 天石屋戸(アメイハヤト)(高天原の洞窟)(壱岐) 天安川(アメヤスカハ)(高天原の川)(壱岐) 天堅石(アメカタイハ)・天金山(アメカナヤマ)(高天原の鉱山)(壱岐) 天之石位(アメノイハクラ)(海の岩座)(壱岐) 天之八街(アメノヤチマタ)(海路) 天之八重多那(アメノヤエタナ)雲(海の霧) 天浮橋(アメウキハシ)(海の中道)(筑紫国海の中道) ②「竺紫」・「筑紫」 の付いた地名 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良) 竺紫之岡田(チクシノオカタ)宮(筑紫国遠賀) 筑紫(ツクシ)島(筑紫国の在る島)(九州) 筑紫(ツクシ)国(筑前国・筑後国) 筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮・筑紫之訶志比(ツクシノカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎) 筑紫(ツクシ)国の伊討(イト)村・伊都(イツ)(筑紫国怡土) 筑紫末羅県(ツクシマツラアガタ)の玉島(タマシマ)里(肥前国松浦) ③「淡海」・「近淡海」・「近江」 の付いた地名 淡海(アフミ)(淡水湖)(筑紫国那珂野間大池) 近淡海(チカツアフミ)(近江国の淡水湖)(近江国琵琶湖) 近淡海(チカツアフミ)の志賀高穴穂(シガタカアナホ)宮(近江国滋賀) 近江(アフミ)玉倉部之清泉(タマクラベノシミヅ)(近江国の玉倉部之清泉)(近江国坂田) ④「伊瀬」・「伊勢」 の付いた地名 伊瀬(イセ)の海(響灘)(筑前国・長門国) 伊勢(イセ)大神の宮・伊勢(イセ)大神宮・伊勢(イセ)大御神宮(伊勢神宮)(伊勢国度会) ⑤「木」・「紀」 の付いた地名 木(キ)国(安芸国奴可大屋)の大屋毘古(オホヤビコ)神 紀(キ)国の男之水門(ヲノミナト)(紀伊国海部) 紀(キ)国の竃(カマ)山(紀伊国名草) 白鳥を追い求めて、木(キ)国(紀伊国)から播磨(ハリマ)国 木(キ)の道(紀伊国への道) ⑥「日向」 の付いた地名 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良) 日向(ヒムカ)(日向国) | |
| Q 3 | 「成」・「生」 の字を含む ①「成神」・②「生神」・③「神成居」・④「成島」・ ⑤「生島」・⑥「生物」 の意味は? |
| ①「成神」=「神に成す」=人をカミ(要人)にする ⇒天族の要人を選任(天神) ②「生神」=「神を生む」=カミ(要人)を支配する ⇒役人に選任(主に国神) ③「神成居」=「神が成り居る」=カミ(要人)が居る ⇒先住民による要人(国神) ④「成島」=「島を成す」=シマ(土地)を完成する ⇒天地内に築地 ⑤「生島」=「島を生む」=シマ(土地)を支配する ⇒新天地を支配 ⑥「生物」=「物を生む」=ブツ(物資)を支配する ⇒物資を調達 | |
| ①「成神」(天族の要人を選任) の例 12代17神+56神 | |
| ★神に成す(「成神」)=人をカミ(要人)にする⇒天族の要人を選任(天神)。 ◆独(ヒトリ)神(単独神)(世襲でない大王) 5代5神。 1.(神世第1代) 天之御中主(アメノミナカヌシ)神(天神) 2.(神世第2代) 高御産巣日(タカミムスヒ)神(天神) 3.(神世第3代) 神産巣日(カミムスヒ)神(天神) 4.(神世第4代) 宇摩志阿斯訶備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)神(天神) 5.(神世第5代) 天之常立(アメノトコタチ)神(天神) ◆独(ヒトリ)神(単独神)(世襲でない国王) 2代2神。 1.(神世第6代) 国之常立(クニノトコタチ)神(天神) 2.(神世第7代) 豊雲上野(トヨクモノヘノ)神(天神) ◆二(フタリ)神(夫婦神)(世襲になった国王) 5代10神。 1.(神世第8代) 宇比地迩(ウヒヂニ)神・須比智迩(スヒヂニ)神(天神) 2.(神世第9代) 筒杙(ツツクヒ)神・活杙(イククヒ)神(天神) 3.(神世第10代) 意冨斗能地(オホトノヂ)神・大斗乃弁(オホトノベ)神(天神) 4.(神世第11代) 於母陀流(オモダル)神・阿夜訶志古泥(アヤカシコネ)神(天神) 5.(神世第12代) 伊耶那岐(イヤナキ)神・伊耶那美(イヤナミ)神(天神) ◆伊耶那美(イヤナミ)命への救助隊 5神。 1.波迩夜須毘古(ハニヤスビコ)神(天神) 2.波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)神(天神) 3.弥都波能売(ミツハノメ)神(天神) 4.和久産巣日(ワクムスヒ)神(天神) 5.豊宇気毘売(トヨウケビメ)神(天神) ◆伊耶那美(イヤナミ)命への泣き女 1神。 1.香(カグ)山(日向国臼杵天香山)麓の木本の泣沢女(ナキサハメ)神(天神) ◆火之迦具土(ホノカグツチ)神への報復軍(御刀の先=前衛) 3神。 ⇒湯津石(ユツイハ)(神聖な岩)村(讃岐国小豆島岩谷)まで追撃。 1.石柝(イハサク)神(天神) 2.根柝(ネサク)神(天神) 3.石筒之男(イハツツノヲ)神(天神) ◆火之迦具土(ホノカグツチ)神への報復軍(御刀の本=中衛) 3神。 ⇒湯津石(ユツイハ)(神聖な岩)村(讃岐国小豆島岩谷)まで追撃。 1.甕速日(ミカハヤヒ)神(天神) 2.樋速日(ヒハヤヒ)神(天神) 3.建御雷之男(タケミイカヅチノヲ)神、亦の名:建布都(タケフツ)神、豊布都(トヨフツ)神(天神) ◆火之迦具土(ホノカグツチ)神への報復軍(御刀の柄=後衛) 2神。 ⇒指の股(讃岐国小豆島四方指)で決着。 1.闇淤加美(クラオカミ)神(天神) 2.闇御津羽(クラミツハ)神(天神) ◆火之迦具土(ホノカグツチ)神を討伐した後の讃岐(サヌキ)国の共同新領主 8神。 1.(頭) 正鹿山津見(マサカヤマツミ)神(天神) 2.(胸) 淤縢山津見(オドヤマツミ)神(天神) 3.(腹) 奧山津見(オクヤマツミ)神(天神) 4.(陰部) 闇山津見(クラヤマツミ)神(天神) 5.(左手) 志芸山津見(シギヤマツミ)神(天神) 6.(右手) 羽山津見(ハヤマツミ)神(天神) 7.(左足) 原山津見(ハラヤマツミ)神(天神) 8.(右足) 戸山津見(トヤマツミ)神(天神) ◆伊耶那岐(イヤナキ)大神の身辺世話をしていた従者 12神。 1.(杖) 衝立船戸(ツキタチフナト)神(天神) 2.(帯) 道之長乳歯(チノナガチハ)神(天神) 3.(袋) 時量師(トキハカラシ)神(天神) 4.(衣) 和豆良比能宇斯能(ワヅラヒノウシノ)神(天神) 5.(袴) 道俣(チマタ)神(天神) 6.(冠) 飽咋之宇斯能(アキクヒノウシノ)神(天神) 7.(左手の腕輪) 奥疎(オキザカル)神(天神) 8.(左手の腕輪) 奥津那芸佐毘古(オキツナギサビコ)神(天神) 9.(左手の腕輪) 奥津甲斐弁羅(オキツカヒベラ)神(天神) 10.(右手の腕輪) 辺疎(ヘザカル)神(天神) 11.(右手の腕輪) 辺津那芸佐毘古(ヘツナギサビコ)神(天神) 12.(右手の腕輪) 辺津甲斐弁羅(ヘツカヒベラ)神(天神) ◆川の中流での禊(巫女を交代) 5神。 黄泉(ヨミ)国の穢れ(悪い運勢) 2神を、 1.八十禍津日(ヤソマガツヒ)神(天神) 2.大禍津日(オホマガツヒ)神(天神) 禍(マガ)直し(良い運勢) 3神に交代。 1.神直毘(カムナホビ)神(天神) 2.大直毘(オホナホビ)神(天神) 3.伊豆能売(イヅノメ)神(天神) ◆川の水底・水中・水面での禊(水軍を交代) 6神。 綿津見(ワタツミ)神 3神を、 1.底津綿津見(ソコツワタツミ)神(天神) 2.中津綿津見(ナカツワタツミ)神(天神) 3.上津綿津見(カミツワタツミ)神(天神) 墨江(スミノエ)大神 3神に交代。 1.底箇之男(ソココノヲ)命(天神) 2.中箇之男(ナカコノヲ)命(天神) 3.上箇之男(カミコノヲ)命(天神) ◆伊耶那岐(イヤナキ)大神の顔を洗って禊(王権を世襲) 3神(3貴子)。 1.(左目) 天照(アメテラス)大御神(天神) 2.(右目) 月読(ツキヨミ)命(天神) 3.(鼻) 建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命(天神) ◆建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命(弟)が隠し持っていた十拳剣(トツカツルギ)との交換に、 差し出した天照(アメテラス)大御神(姉)の人財(人質交換) 3神。 1.多紀理毘売(タキリビメ)命、亦の名:奥津島比売(オキツシマヒメ)命(天神) 2.市寸島比売(イチキシマヒメ)命、亦の名:狭依毘売(サヨリビメ)命(天神) 3.多岐都比売(タキツヒメ)命(天神) ◆天照(アメテラス)大御神(姉)が着けていた八尺勾瓊(ヤサカマガタマ)との交換に、 差し出した速須佐之男(ハヤスサノヲ)命(弟)の人財(人質交換) 5神。 1.正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(マサカツアカツカツハヤヒアメノオシホミミ)命(天神) 2.天之菩卑(アメノホヒ)命(天神) 3.天津日子根(アメツヒコネ)命(天神) 4.活津日子根(イクツヒコネ)命(天神) 5.熊野久瀬毘(クマノクセビ)命(天神) | |
| ②「生神」(役人に選任) の例 35神 | |
| ★神を生む(「生神」)=カミ(要人)を支配する⇒役人に選任(主に国神)。 ◆山陽領主の下、内陸側の役人に選任 7神。 1.大事忍男(オホコトオシヲ)神(国神) 2.石土毘古(イハツチビコ)神(国神) 3.石巣比売(イハスヒメ)神(国神) 4.大戸日別(オホトヒワケ)神(国神) 5.天之須男(アメノタダヲ)神(天神) 6.大屋毘古(オホヤビコ)神(国神) 7.風木津別之忍男(カヤモクツワケノオシヲ)神(国神) ◆山陽領主の下、瀬戸内側の役人に選任 3神。 8.(海神) 大綿津見(オホワタツミ)神(国神) 9.(水戸神) 速秋津日子(ハヤアキツヒコ)神(国神) 10.(水戸神) 速秋津比売(ハヤアキツヒメ)神(国神) ◆山陽の水戸神の下、港の海側の役人に選任 4神。 11.沫那芸(アワナギ)神(国神) 12.沫那美(アワナミ)神(国神) 13.頬那芸(ツラナギ)神(国神) 14.頬那美(ツラナミ)神(国神) ◆山陽の水戸神の下、港の川側の役人に選任 4神。 15.天之水分(アメノミクマリ)神(天神) 16.国之水分(クニノミクマリ)神(国神) 17.天之久比奢母智(アメノクヒザモチ)神(天神) 18.国之久比奢母智(クニノクヒザモチ)神(国神) ◆九州(筑紫国・肥国・豊国・熊曽国)の4領主の下、役人に選任 4神(各1神)。 19.(風神) 志那都比古(シナツヒコ)神(国神) 20.(木神) 久久能智(ククノチ)神(国神) 21.(山神) 大山津見(オホヤマツミ)神(国神) 22.(野神) 鹿屋野比売(カヤノヒメ)神、亦の名:野椎(ノツチ)神(国神) ◆九州の山神の下、役人に選任 4神。 23.天之狭土(アメノサヅチ)神(天神) 24.天之狭霧(アメノサギリ)神(天神) 25.天之闇戸(アメノクラト)神(天神) 26.大戸或子(オホトマトヒコ)神(国神) ◆九州の野神の下、役人に選任 4神。 27.国之狭土(クニノサヅチ)神(国神) 28.国之狭霧(クニノサギリ)神(国神) 29.国之闇戸(クニノクラト)神(国神) 30.大戸或女(オホトマトヒメ)神(国神) ◆天族の水軍の将軍に選任 1神。 31.鳥之石楠船(トリノイハクスフネ)神、亦の名:天鳥船(アメトリフネ)(天神) ◆四国(阿波国・讃岐国・土佐国・伊予国)の4領主の下、役人に選任 4神(各1神)。 32.大冝都比売(オホゲツヒメ)神(国神) 33.火之夜芸速男(ホノヤギハヤヲ)神 亦の名:火之炫毘古(ホノカガビコ)神、火之迦具土(ホノカグヅチ)神(国神) 34.金山毘古(カナヤマビコ)神(国神) 35.金山毘売(カナヤマビメ)神(国神) | |
| ③「神成居」(先住民による要人) の例 8神 | |
| ★神が成り居る(「神成居」)=カミ(要人)が居る⇒先住民による要人(国神)。 ◆伊耶那美(イヤナミ)命の親衛隊=黄泉(ヨミ)神 8雷神。 1.(頭) 大雷(オホイカヅチ)(国神) 2.(胸) 火雷(ホイカヅチ)(国神) 3.(腹) 黒雷(クロイカヅチ)(国神) 4.(陰部) 柝雷(サクイカヅチ)(国神) 5.(左手) 若雷(ワカイカヅチ)(国神) 6.(右手) 土雷(ツチイカヅチ)(国神) 7.(左足) 島雷(シマイカヅチ)(国神) 8.(右足) 伏雷(フシイカヅチ)(国神) | |
| ④「成島」(天地内に築地) の例 1島 | |
| ★島を成す(「成島」)=シマ(土地)を完成する⇒天地内に築地。 ◆築地(港の造成) 1島。 1.淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島) | |
| ⑤「生島」(新天地支配) の例 14島 | |
| ★島を生む(「生島」)=シマ(土地)を支配する⇒新天地(領主は、主に国神)。 ◆一時支配(支配放棄) 2島。 1.水蛭子(ヒルコ)(豊国海部水ノ子島) 2.淡(アハ)島(讃岐国三野粟島) ◆支配成功 14島。 1.淡道之穂之狭別(アハヂノホノサワケ)島(淡路島) 領主:淡道之穂之狭別(アハヂノホノサワケ)(国神) 2.伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国) 伊予(イヨ)国(伊予国) 領主:愛比売(エヒメ)(国神) 讃岐(サヌキ)国(讃岐国) 領主:飯依比古(イヒヨリヒコ)(国神) 阿波(アハ)国(阿波国) 領主:大冝都比売(オホゲツヒメ)(国神) 土佐(トサ)国(土佐国) 領主:建依別(タケヨリワケ)(国神) 3.隠伎之三子(オキノミツコ)島(隠岐国) 領主:天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)(天神) 4.筑紫(ツクシ)島(九州) 筑紫(ツクシ)国(筑前国・筑後国) 領主:白日別(シラヒワケ)(国神) 豊(トヨ)国(豊前国・豊後国) 領主:豊日別(トヨヒワケ)(国神) 肥(ヒ)国(肥前国・肥後国・日向国) 領主:建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)(国神) 熊曽(クマソ)国(薩摩国・大隅国) 領主:建日別(タケヒワケ)(国神) 5.伊岐(イキ)島(壱岐) 領主:天比登都柱(アメヒトツハシラ)(天神) 6.津(ツ)島(対馬) 領主:天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)(天神) 7.佐度(山島)(サト)島(韓地巨済島)領主:なし 8.大倭豊秋津(オホヤマトトヨアキツ)島(本州全体でなく、1方面のみの小地域で、山陽のみ) 領主:天御虚空豊秋津根別(アメミソラトヨアキツネワケ)(天神) 国の全体=大八島(オホヤシマ)国(未支配の山陰、畿内、北陸、東山、東海他を含まず) 9.吉備児(キビコ)島(吉備国児島) 領主:建日方別(タケヒカタワケ)(国神) 10.小豆(ヲヅ)島(讃岐国小豆島) 領主:大野手比売(オホノテヒメ)(国神) 11.大(オホ)島(周防国大島) 領主:大多麻流別(オホタマルワケ)(国神) 12.女(メ)島(豊国姫島) 領主:天一根(アメヒトネ)(天神) 13.知訶(チカ)島(筑紫国宗像大島) 領主:天之忍男(アメノオシヲ)(天神) 14.両児(フタコ)島(筑紫国沖の島) 領主:天両屋(アメフタヤ)(天神) | |
| ⑥「生物」(物資を調達) の例 6種 | |
| ★物を生む(「生物」)=ブツ(物資)を支配する⇒物資を調達。 ◆大冝都比売(オホゲツヒメ)神を殺害して、物資を調達 6種。 1.(頭) 蚕 2.(目) 稲の種 3.(耳) 粟 4.(鼻) 小豆 5.(陰部) 麦 6.(尻) 大豆 | |
◆上記 Q1~Q3 の地域図 (「白地図 KenMap」 の地図画像編集)
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| Q 4 | ①別天神・②神世七代 の時代を区別した訳は? |
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①別天神(コトアメカミ)(天族の大王)(神世第1代 天之御中主神~神世第5代 天之常立神) は、天地(アメツチ)(天族の土地)を初めて開発し、水稲耕作を導入・人を殖やして、 邑を形成⇒邑を統率して、建国の基礎を作った。 その都は、山島(サト)=佐度(サト)(韓地巨済島)。 ②神世七代(カミヨナナヨ)(天族の国王)(神世第6代 国之常立神~神世第12代 伊耶那岐神 ・伊耶那美神)は、建国して富国強兵策推進⇒国土を更に拡大⇒壱岐(イキ)に遷都。 | |
| Q 5 | 別天神・神世七代で、①独神・②二神 を明示した訳は? |
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①独(ヒトリ)神(単独神)(神世第1代 天之御中主神~神世第7代 豊雲上野神)は、 天族の建国前後の時代迄に求められた実力本位の指導者(世襲せずに交代)のこと。 ②二(フタリ)神(夫婦神)(神世第8代 宇比地迩神・須比智迩神~神世第12代 伊耶那岐神 ・伊耶那美神)は、経済力が増進した天族の国土を更に拡大するために、 政略に長けた指導者の人脈を蓄積し、その権能を世襲するようになった国王と后。 | |
| Q 6 | 伊耶那岐命・伊耶那美命の2神は、授けられた天冶矛で、何をしたか? |
| ★伊耶那岐(イヤナキ)命・伊耶那美(イヤナミ)命は、「不安定な国の根本を修復せよ」 と授け られた天冶矛(アメイリホコ)(鉄製鋳造鋤)で、天浮橋(アメウキハシ)(筑紫国海の中道)の土砂 を掘削し、淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)に運び、天族の軍事拠点を造成した。 | |
| Q 7 | 2神が、淤能碁呂島を、「成島」 した訳は? |
| ★高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から、葦原中(アシハラナカ)国(本土)に進出する拠点に、 筑紫(ツクシ)島(九州)に近い淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)を選び、 「成島」(築地)して、兵站用軍港を造成した。 | |
| Q 8 | 2神が、淤能碁呂島に造った天之御柱 とは? |
| ★天下布武の拠点として、淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)に造った天之御柱 (アメノミハシラ)は、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)と淤能碁呂(オノゴロ)島を結ぶ軍港。 | |
| Q 9 | 伊耶那美命の先言を、伊耶那岐命が咎めた訳は? |
| ★伊耶那美(イヤナミ)命は、天族と異る倭種の国(出雲国)の出身で、 伊耶那岐(イヤナキ)命の天族の習俗 「女人先言不良」(男尊女卑)を知らなかったため。 | |
| Q10 | 2神が、①水蛭子・②淡島を、「生島」 失敗(支配放棄)とした訳は? |
| ①水蛭子(ヒルコ)(豊後国海部水ノ子島)は、伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国)の伊予(イヨ)国 の攻略拠点とするため、一旦、「生島」(支配)して兵站用軍港を造成したが、 伊予(イヨ)国を攻略した後に、水蛭子(ヒルコ)を、支配放棄(領主を置かずに放棄)した。 ②淡(アハ)島(讃岐国三野粟島)は、伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国)の讃岐(サヌキ)国の 攻略拠点とするため、一旦、「生島」(支配)して兵站用軍港を造成したが、 讃岐(サヌキ)国を攻略した後に、淡(アハ)島を、支配放棄(領主を置かずに放棄)した。 | |
| Q11 | 「女人先言不良」 が、「生島」 失敗(支配放棄)の原因になった訳は? |
| ★水蛭子(ヒルコ)・淡(アハ)島は、用済み後の支配放棄であったが、これを、 伊耶那美(イヤナミ)命が天族の習俗 「女人先言不良」(男尊女卑)を知らないための、 伊耶那美(イヤナミ)命による 「生島」 失敗とすることにより、その後の伊耶那美(イヤナミ) 命の死去・離縁について、天族側(伊耶那岐命)の責任を免れようとしたから。 | |
| Q12 | 2神が、「生島」 した島の名が、人名になっている訳は? |
| ★「生島」 した島に付けられた人名は、その島の初代領主名であり、 領主を置かず支配放棄した水蛭子(ヒルコ)・淡(アハ)島には、人名が付けられていない。 | |
| Q13 | 2神が、「生島」 した島の内、佐度島だけに、「亦名」 の人名がない訳は? |
| ★佐度(サト)島(韓地巨済島)は、天地(アメツチ)(天族の土地)を初めて開発した頃の都 =高天原(タカアマハラ)(海原の高み)=山島(サト)で、別天神(コトアメカミ) 5代5神のシマ (縄張り)であったので、佐度(サト)島に、領主(亦の名の人名)というものはない。 | |
| Q14 | 大倭豊秋津島 とは? |
| ★大倭豊秋津(オホヤマトトヨアキツ)島は、1人の人名しかないので、伊予之二名(イヨノフタナ)島 (四国)・筑紫(ツクシ)島(九州)のように、方面別に名が在るような大きな地域でなく、 本州の一部の地域、即ち、安芸(アキ)国を中心とする山陽のシマ(縄張り)である。 | |
| Q15 | 伊耶那岐命・伊耶那美命の 「生神」 35神の中に、速秋津日子神・速秋津比 売神の 「生神」 8神と、大山津見神・野椎神の 「生神」 8神 を含む訳は? |
| ★速秋津日子(ハヤアキツヒコ)神・速秋津比売(ハヤアキツヒメ)神、大山津見(オホヤマツミ)神・野椎 (ノツチ)神は、いずれも、伊耶那岐(イヤナキ)命・伊耶那美(イヤナミ)命が、「生神」 しており、 速秋津日子(ハヤアキツヒコ)神・速秋津比売(ハヤアキツヒメ)神の 「生神」、大山津見(オホヤマツミ) 神・野椎(ノツチ)神の 「生神」 は、 伊耶那岐(イヤナキ)命・伊耶那美(イヤナミ)命の代理としての 「生神」 とされたから。 ★上記のように、「生神」 は、代理することができるものであることから、 「生神」 とは、主に、本領安堵支配した土地の要人を、役人に選任することと分かる。 | |
| Q16 | 伊耶那美命が、火之迦具土神に、負傷させられた訳は? |
| ★火之迦具土(ホノカグヅチ)神は、 伊耶那岐(イヤナキ)命・伊耶那美(イヤナミ)命が、伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国)の讃岐 (サヌキ)国の領主、飯依比古(イヒヨリヒコ)の下に選任した役人であるが、反逆したため、 伊耶那岐(イヤナキ)命が、伊耶那美(イヤナミ)命と共に出陣した時、 伊耶那美(イヤナミ)命は、火之迦具土(ホノカグヅチ)神に、負傷させられた。(後に死去) ★一方、伊耶那岐(イヤナキ)命は、伊耶那美(イヤナミ)命への救助隊を要請したり、 伊耶那美(イヤナミ)命の死去に際して、泣き女を要請するような事後処理に終始し、 自分がいながら、伊耶那美(イヤナミ)命を負傷・死去させてしまった責任を感じず、 むしろ、伊耶那美(イヤナミ)命の死去を、待ち望んでいたのではないか、と思わせる。 | |
| Q17 | 伊耶那美命が、出雲国と伯耆国の境、比婆之山 に葬られた訳は? |
| ★伊耶那美(イヤナミ)命の遺体が、比婆(ヒバ)之山(東出雲=出雲国意宇)に葬られたのは、 伊耶那岐(イヤナキ)命の不甲斐なさに愛想を尽かした伊耶那美(イヤナミ)命の実家衆が、 伊耶那美(イヤナミ)命の遺体を、出身地の比婆(ヒバ)之山(東出雲=出雲国意宇)へ、 伊耶那岐(イヤナキ)命に無断で、搬送・帰郷させたから。 | |
| Q18 | 伊耶那岐命が、伊耶那美命の逝った黄泉国 へ行った訳は? |
| ★伊耶那岐(イヤナキ)命は、伊耶那美(イヤナミ)命の遺体が、実家(東出雲=出雲国意宇)に 搬送・埋葬されたことを知り、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)へ引き取るためと偽り、 黄泉(ヨミ)国(東出雲=出雲国意宇)に侵攻して、出雲(イヅモ)国征圧を目論んだから。 ★しかし、伊耶那岐(イヤナキ)命は、伊耶那美(イヤナミ)命の実家衆、黄泉(ヨミ)神(8雷神)の 反発・反撃に遭い、伊耶那美(イヤナミ)命と離縁して撤退し、将来の出雲(イヅモ)国征圧 (葦原中国平定)の課題を残すことになった。 | |
| Q19 | 伊耶那岐大神が、帰着して軍装束を解いた所は、出発地点の高天原でなく、 竺紫日向の橘小門阿波岐原 である訳は? |
| ★竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)の橘小門(タチバナヲト)阿波岐(アハキ)原は、筑紫(ツクシ) 島(九州)で、兵站用軍港を造成した淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)から見て、 対岸の筑紫(ツクシ)島(九州)本土にあって、将来の都として開発中の地だから。 | |
| Q20 | 伊耶那岐命・伊耶那美命による遠征ルート は? |
| ★伊耶那岐(イヤナキ)命・伊耶那美(イヤナミ)命による島生み・神生みルート 尚、伊岐(イキ)島・津(ツ)島・佐度(山島)(サト)島は、この遠征以前に支配済み。 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)⇒(玄界灘)⇒天浮橋(アメウキハシ)(筑紫国海の中道) ⇒淤能碁呂(オノゴロ)島(筑紫国能古島)⇒(響灘)⇒(周防灘)⇔(豊後水道) ⇔水蛭子(ヒルコ)(豊後国海部水ノ子島)⇒(瀬戸内海)⇒淡(アハ)島(讃岐国粟島) ⇒(播磨灘)⇒淡道之穂之狭別(アハヂノホノサワケ)島(淡路国淡路島) ⇒伊予之二名(イヨノフタナ)島(土佐国・阿波国・讃岐国・伊予国) ⇒(周防灘)⇔海原(日本海)⇔隠伎之三子(オキノミツコ)島(隠岐国) ⇔(豊後水道)⇔筑紫(ツクシ)島(熊曽国・肥国・豊国・筑紫国) ⇒大倭豊秋津(オホヤマトトヨアキツ)島(本州全体でなく、1方面のみの小地域で、山陽のみ) ⇒(瀬戸内海)⇒吉備児(キビコ)島(吉備国児島)⇒小豆(ヲヅ)島(讃岐国小豆島) ⇒大(オホ)島(周防国大島)⇒女(メ)島(豊国姫島)⇒(周防灘)⇒(響灘) ⇒知訶(チカ)島(筑紫国宗像大島)⇒両児(フタコ)島(筑紫国沖の島)。 ★伊耶那美(イヤナミ)命の遺体搬送ルート 讃岐(サヌキ)国⇒吉備(キビ)国 ⇒出雲(イヅモ)国と伯耆(ホウキ)国の境、比婆(ヒバ)之山(黄泉国=出雲国意宇)。 ★伊耶那岐(イヤナキ)命の火神報復・黄泉国侵攻・帰還ルート 湯津石(ユツイハ)(神聖な岩)村(讃岐国小豆島岩谷)・指の股(小豆島四方指) ⇒吉備(キビ)国⇒出雲(イヅモ)国と伯耆(ホウキ)国の境、比婆(ヒバ)之山(出雲国意宇) ⇒伊賦夜(イフヤ)坂(黄泉比良坂=出雲国意宇)⇒海原(日本海) ⇒竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)の橘小門(タチバナヲト)阿波岐(アハキ)原。 | |
| Q21 | 伊耶那岐大神が、竺紫日向の橘小門阿波岐原の禊で、①川の中流での禊・ ②川の水底・水中・水面での禊・③顔を洗う禊 を区別して行なった訳は? |
| ①川の中流での禊 上流は流れが速く、下流は流れが遅いため、初めから、流れが丁度良い中流に入り、 船を泊めた河岸で、巫女を交代して、運勢を改めた。 ②川の水底・水中・水面での禊 船を泊めた河岸で、3水軍の新手と交代した。 ③顔を洗う禊 3人の子(3貴子)に、現天地の統治権限を譲り、自分は、新天地(本土)開発に専念。 | |
| Q22 | 伊耶那岐大御神が、3貴子の統治権限を、次のように決めた訳は? ①天照大御神⇒高天原・②月読命⇒夜之食国・③建速須佐之男命⇒海原 |
| ★伊耶那岐(イヤナキ)大御神は、伊耶那美(イヤナミ)命と共に、新天地(本土)を開発中であっ たが、伊耶那美(イヤナミ)命の死去に伴い、現在直轄の天地(韓地巨済島・対馬・壱岐)を 3分割して、その統治権限を3人の子(3貴子)に譲ることにした。 ①天照(アメテラス)大御神(長女)には、伊耶那美(イヤナミ)命の才能を受け継ぐ後継者として、 王権を譲り、現在の都、高天原(タカアマハラ)(壱岐)の統治権限。 ②月読(ツキヨミ)命(長男)には、伝統の旧都、夜之食(ヨルノヲス)国(韓地巨済島)の統治権限。 ③建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命(次男)には、海原(夜之食国と高天原の間にある対馬、 韓地と本土との間を渡海するための日本海)の統治権限。(海賊退治) | |
| Q23 | 速須佐之男命が、伊耶那岐大御神の命令に背いてまで、亡き母 (伊耶那美命=黄泉津大神)の居る根之堅州国行きを希望した訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、伊耶那岐(イヤナキ)大御神に統治を命じられた海原(対馬・ 日本海)に赴任せずにいたのは、 月読(ツキヨミ)命(長男)が、旧都の夜之食(ヨルノヲス)国(韓地の巨済島)を統治し、 天照(アメテラス)大御神(長女)が、現在の都=高天原(タカアマハラ)(壱岐)を統治するのに 比べ、自分に命じられた海原(対馬と日本海)は、差別の左遷と思えたからで、 それ位なら、現在敵地(新天地)である亡き母(伊耶那美命=黄泉津大神)の居る 黄泉(ヨミ)国(東出雲=出雲国意宇)の奥(根)の方、根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲= 出雲国仁多)へ行く方が、まだ増しと考えたから。 ★伊耶那岐(イヤナキ)大御神は、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命を背任罪で処分するに際し、 現在、敵地(新天地)の根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)へ追放して、 将来の天族による出雲(イヅモ)国征圧の布石となることを期待したが、速須佐之男 (ハヤスサノヲ)命の敵愾心は、出雲(イヅモ)国を、大(オホ)国に発展させることになった。 | |
| Q24 | 伊耶那岐大御神が、淡海多賀(近淡海でない)で、死去した訳は? |
| ★伊耶那岐(イヤナキ)大御神は、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が背任したことの引責で、引退し、 淡海(アフミ)(筑紫国那珂野間大池)多賀(タガ)(近淡海でない)で、隠居・死去した。 | |
| Q25 | 速須佐之男命が、根之堅州国へ退去する前に、高天原 に行った訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、伊耶那岐(イヤナキ)大御神の死去後に、天照(アメテラス)大御神 の王権を簒奪しようと、私兵を率いて、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)に侵攻した。 | |
| Q26 | 速須佐之男命が、天照大御神に、誓約を提案した訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、高天原(タカアマハラ)の臨戦態勢を見て、急襲を断念したが、 下心をごまかすため、天照(アメテラス)大御神に、誓約(ウケヒ)(人質交換=人財交換)を 提案し、隠していた十拳剣(トツカツルギ)と速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の人財の無名5男神 を出す代りに、天照(アメテラス)大御神の人財の宗像(ムナカタ)(筑紫国宗像)3女神を獲得。 | |
| Q27 | 速須佐之男命が、誓約に、異議を唱えた訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、誓約(ウケヒ)(人質交換=人財交換)で、天照(アメテラス)大御 神が、宗像(ムナカタ)3女神を出したことには、王権が、男王でない女王の自分に相続さ れたことへの遠慮がある、と見て、図に乗ったため、異議を唱えた。 | |
| Q28 | 天照大御神が、天石屋戸 に隠れた訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神が、誓約(ウケヒ)の結果は、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の勝ち(潔白)、 と言い直しても、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の乱暴が酷くなり、天照(アメテラス)大御神は、 天服織女(アメハタオリメ)と機屋に居た時に、急襲され、負傷・死去した。 ★八百万(ヤホヨロヅ)神は、天照(アメテラス)大御神の死去による混乱を回避するために、 大御神死去を、天服織女(アメハタオリメ)死去と偽り、代りに、天服織女(アメハタオリメ)を、 天照(アメテラス)大御神(代行)に仕立てて、天石屋戸(アメイハヤト)(高天原の洞窟)に隠し、 後に、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅱ)を登場させることにより、復活を演出するため。 | |
| Q29 | 天照大御神が、天石屋戸に隠れると、常夜になった訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神以前から明るさはあったので、大御神が明るさの源泉ではない。 高天原(タカアマハラ)(都)・葦原中(アシハラナカ)国(都以外)が、常夜(トコヨ)になったのは、 天石屋戸(アメイハヤト)(高天原の洞窟)に明るさが隠れたことを意味するのではなく、 天照(アメテラス)大御神死去による混乱を回避するために、大御神を復活させる演出と して、常夜の日(日没前に日食が回復しない日)が、選択されたことを意味する。 ★天照(アメテラス)大御神(代行の天服織女)が、天石屋戸(アメイハヤト)(高天原の洞窟)に入る 時として、日没前に欠け始め、欠け状態で日没するような日食(常夜)の日を選んで、 西暦6年9月11日16時29分(最大日食:17時44分・86.3%、日没:18時35分)と し、天石屋戸(アメイハヤト)(高天原の洞窟)から出る時を、翌日の日昇(5時56分)とする ことにより、代行の天服織女が、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅱ)として、復活した。 | |
| Q30 | 速須佐之男命が、大冝都比売神 を殺害して物資を調達した訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から、根之堅州(ネノカタス)国 (奥出雲=出雲国仁多)へ赴く途上、大冝都比売(オホゲツヒメ)神の居る阿波(アハ)国に立 ち寄ったのは、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、天族の敵地である出雲(イヅモ)国の奥の方 にある根之堅州(ネノカタス)国へは、直接行けないため、伊予之二名(イヨノフタナ)島(四国) の讃岐(サヌキ)国回りで、根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)に、背後から入る ことにして、その途上、讃岐(サヌキ)国の隣の阿波(アハ)国に立ち寄り、食糧を求めた。 ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、国神の大冝都比売(オホゲツヒメ)神を殺害してしまったのは、 追放された天族の速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の世間知らずの結果であり、殺害した後、 天族の神産巣日(カミムスヒ)神の許可を得て、阿波(アハ)国の蚕と五穀を奪った。 | |
| Q31 | 速須佐之男命の ①反逆ルート・②追放ルート は? |
| ①速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の反逆ルート 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)⇒(玄界灘)⇒高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)。 ②速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の追放ルート 高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)⇒(玄界灘)⇒(瀬戸内海)⇒阿波(アハ)国 ⇒讃岐(サヌキ)国⇒吉備(キビ)国 ⇒出雲(イヅモ)国斐伊(ヒイ)川上の鳥髪(トリカミ)(根之堅州国=奥出雲=出雲国仁多)。 | |
| Q32 | 速須佐之男命が、高志から来た八俣遠呂知 を退治した訳は? |
| ★高志(コシ)(越国)の八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)は、次のような、荒々しい8族の山賊で、 出雲(イヅモ)国奥に在る無法地の根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)に来る。 目 赤ほおずきのよう 頭(首領) 1つ/族(全体で8つ) 尾(殿軍) 1つ/族(全体で8つ) 身体(勢力) 苔むし、檜・杉の木が生えた1谷・1峰/族(全体で8谷・8峰)の大きさ 腹(腹巻) 血が滲んでいる 山賊用に準備した酒樽の数:8樽/族(全体で64樽=1樽/桟敷×8桟敷/門×8門) ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、大山津見(オホヤマツミ)神の子の足名椎(アシナヅチ)(老夫)と、 手名椎(テナヅチ)(老妻)の了解の下、 その娘の櫛名田比売(クシナダヒメ)と、根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)を、 高志(コシ)(越国)から来る八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)に代って、支配するため。 | |
| Q33 | 強靭な都牟羽之大刀が、八俣遠呂知の尾に在った訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の鉄製の十拳剣(トツカツルギ)の刃が欠ける程の強靭な鉄製の 都牟羽之大刀(ツムハネノタチ)=頭刎(ツムハ)ねの太刀を、八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)が、 この根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)で入手し、尾(殿軍)の太刀持ちに、 1本/尾(全体で8本)を持たせていたから。 | |
| Q34 | 速須佐之男命が、獲得した都牟羽之大刀を、天照大御神に献上した訳は? |
| ★獲得した強靭な鉄製の都牟羽之大刀(ツムハネノタチ)8本の内、1本を天照(アメテラス)大御 神(天照Ⅱ)に献上して、草那芸之大刀(クサナギノタチ)と呼ばれたように、それが、 天族の速須佐之男(ハヤスサノヲ)命・天照(アメテラス)大御神にとって、珍品であったから。 ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命は、残りの都牟羽之大刀(ツムハネノタチ)7本を自軍に持たせて、 更に、大量の強靭な鉄製の剣を自軍用に作らせ、出雲(イヅモ)国征圧の武器にした。 | |
| Q35 | 速須佐之男大神(出雲始祖)と、6代下の子孫、出雲第6世 大国主神との 間に、直接交流があった 須佐之男大神 とは? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神(出雲始祖)は、死後、「速」 なし須佐之男(スサノヲ)大神に なってから、6代下の子孫、出雲第6世 大国主神との間に交流があり、次の通り。 1.大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神)は、須佐之男(スサノヲ)大神の下に行き、その娘、 須勢理毘売(スセリビメ)と相い交わる。 2.須佐之男(スサノヲ)大神は、大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神)を葦原色許男(アシハラ シコヲ)(葦原醜男=黄泉醜女と同じ蔑称)と言い、蛇が居る室(墓室)に寝させた。 3.葦原色許男(アシハラシコヲ)(大国主神)は、須勢理毘売(スセリビメ)がくれた蛇用比礼 (ヒレ)(難を逃れる呪力がある布)で、蛇が自然に静まって、寝ることができ、 次の夜の百足・蜂が居る部屋(斎殿)では、須勢理毘売(スセリビメ)がくれた百足・ 蜂用比礼(ヒレ)で、百足・蜂を退け、部屋を出た。 4.須佐之男(スサノヲ)大神は、葦原色許男(アシハラシコヲ)(大国主神)に、野に射た鏑(カブ ラ)矢を探させ、周りに火を点けたが、娘の須勢理毘売(スセリビメ)が、葬儀品を持 ち、泣きながら来ると、葦原色許男(アシハラシコヲ)(大国主神)は死んだと思って、 その野に出る。 ⇒葦原色許男(アシハラシコヲ)が出てきて、その矢を須佐之男(スサノヲ)大神に奉げる。 ⇒葦原色許男(アシハラシコヲ)を家に入れて、自分の頭の虱を取らせる。 5.葦原色許男(アシハラシコヲ)(大国主神)は、須佐之男(スサノヲ)大神の頭に百足が多く 居たため、須勢理毘売(スセリビメ)にもらった椋(ムク)の実・赤土を口に含み、吐き 出し、百足を噛み取るように見せた。 ⇒須佐之男(スサノヲ)大神は、葦原色許男(アシハラシコヲ)に、心を許して寝た。 須佐之男(スサノヲ)大神の髪を、部屋に結びつけ、大岩で部屋の戸を塞ぎ、須勢理 毘売(スセリビメ)を背負い、須佐之男(スサノヲ)大神の生太刀(イクタチ)・生弓矢(イクユミヤ)・ 天冶琴(アメイリコト)(青銅製鋳造琴=琴弦を張った銅鐸)を携え、逃げ出した。 天冶琴(アメイリコト)が、樹に触れて鳴り響き、寝ていた須佐之男(スサノヲ)大神を起 こしたが、須佐之男(スサノヲ)大神が結び付けられた髪を解く間に逃げていった。 6.須佐之男(スサノヲ)大神は、黄泉比良(ヨミヒラ)坂(東出雲=出雲国意宇)迄、追って来 て、大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神)の蔑称(葦原色許男)をやめて呼びかけ、 大穴牟遅(オホアナムヂ)神(大国主神)に、次の神託を授けた。 ①直伝の生大刀(イクタチ)・生弓矢(イクユミヤ)で、八十(ヤソ)神(兄弟神)を放逐せよ。 ②大国主(オホクニヌシ)神(大国の王)となれ。 ③宇都志国玉(ウツシクニタマ)神(現実の国王)とし、須勢理毘売(スセリビメ)を正室にせよ。 ④宮殿を、宇迦(ウカ)山麓(西出雲=出雲国神門)に、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)に 見えるように、建てて住め。 ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神が、出雲始祖であれば、死後の須佐之男(スサノヲ)大神とは、 出雲第1世 八島士奴美(ヤシマジヌミ)神 ~ 出雲第5世 天之冬衣(アメノフユキヌ)神が、 出雲始祖の襲名後継者、須佐之男(スサノヲ)大神(須佐之男Ⅰ~Ⅴ)に相当し、 その中で、出雲第6世 大国主神にとって、須佐之男(スサノヲ)大神とは、 直接交流があった 父親の出雲第5世 天之冬衣(アメノフユキヌ)神(須佐之男Ⅴ)である。 | |
| Q36 | 大国主神に、①大穴牟遅神・②葦原色許男・③八千矛神・④宇都志国玉神 のように、多くの 「亦名」 がある訳は? |
| ★大穴牟遅(オホアナムヂ)神が、八十(ヤソ)神(兄弟神)の従者であった頃から、名実共に、 大国主(オホクニヌシ)神(山陰・北陸・畿内に及ぶ大国の王)になる迄、順次名が変った。 ①大穴牟遅(オホアナムヂ)神(従者) 八十(ヤソ)神(兄弟神)の従者でありながら、因幡(イナバ)の八上比売(ヤカミヒメ)・兎神の 支持を得たため、伯耆(ホウキ)国・木(キ)国で、八十(ヤソ)神(兄弟神)から命を狙われる。 ②葦原色許男(アシハラシコヲ)神(葦原醜男=黄泉醜女のような蔑称) 根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)・黄泉(ヨミ)国(東出雲=出雲国意宇)で、 須佐之男(スサノヲ)大神の試練・神託を受け、大神の娘の須勢理毘売(スセリビメ)を娶る。 ③八千矛(ヤチホコ)神(矛の武神) 武神として、八十(ヤソ)神(兄弟神)を放逐し、越(コシ)国の沼河比売(ヌナカハヒメ)を獲得 したが、内政については、天族の少名毘古那(スクナビコナ)神による介入を受け入れた。 ④宇都志国玉(ウツシクニタマ)神(現実の国王) 御諸(ミモロ)山の神(大物主神)から倭(ヤマト)(大和国)を得て、大(オホ)国(山陰・北陸・ 畿内)の王(大国主)に成ったが、天族の国を滅ぼした上での現実の国王には、終ぞ、 成れなかった。 | |
| Q37 | 神産巣日神が、子の少名毘古那神に、出雲への政治介入をさせた訳は? |
| ★大穴牟遅(オホアナムヂ)神が、八千矛(ヤチホコ)神(矛の武神)となり、出雲(イヅモ)の国を 拡大(出雲国~越国)している動きを、天族としては、看過できず、兄弟分として、 国を固める援助をするという口実で、少名毘古那(スクナビコナ)神(神産巣日神の子) を送り込んだ⇒天族による政治介入は、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)平定の布石。 ★内政が弱い大穴牟遅(オホアナムヂ)神は、政治介入と知りつつも、これを受け入れた。 | |
| Q38 | 御諸山の神(大物主神)による協力 とは? |
| ★御諸(ミモロ)山の神(大物主神)は、須佐之男(スサノヲ)大神の側室の子、大年(オホトシ)神で、 既に、倭(ヤマト)(大和国)を征圧していたが、出雲(イヅモ)の勢力が畿内に及ぶように なり、協力する(従う)ことを求められたため、倭(ヤマト)(大和国)を大国主(オホクニヌシ) 神に譲り、御諸(ミモロ)山(大和国城上大神三輪山)に隠居して、死去。 | |
| Q39 | 速須佐之男大神の側室の子の大年神の子、羽山戸神が結婚した大冝都比 売神 は、速須佐之男命が殺害した大冝都比売神 と同じか? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、追放先の根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多)へ 赴く途上(阿波国)で食糧を求めて、殺害した大冝都比売(オホゲツヒメ)神は、 速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神の側室の子の大年(オホトシ)神の子、羽山戸(ハヤマト)神が結婚 した頃の阿波国では、襲名後継者の大冝都比売(オホゲツヒメ)神Ⅱ⇒Ⅲに代っている。 | |
| Q40 | 大国主神(大穴牟遅神・八千矛神)による葦原中国の ①統一・②拡大 は? |
| ①大国主神(大穴牟遅神)による葦原中国(出雲)の統一 気多(ケタ)が崎(因幡国気多)⇒伯耆(ホウキ)国の手間(テマ)(伯耆国会見天萬)山麓 ⇒木(キ)国(安芸国奴可大屋)⇒根之堅州(ネノカタス)国(奥出雲=出雲国仁多) ⇒黄泉比良(ヨミヒラ)坂(東出雲=出雲国意宇)⇒美保関(ミホノセキ)(出雲国島根) ⇒少名毘古那(スクナビコナ)(神産巣日神の子)と葦原中(アシハラナカ)国(出雲)を統一。 ②大国主神(八千矛神)による葦原中国(畿内)の拡大 出雲(イヅモ)国⇔越(コシ)国⇒倭(ヤマト)国(大和国)周辺 ⇒御諸(ミモロ)山の神(大物主神=大年神)の協力で、倭(ヤマト)国(大和国)まで拡大。 | |
| Q41 | 天照大御神が、葦原中国(出雲)を平定しようとした訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、出雲(イヅモ)は、弟の速須佐之男(ハヤスサノヲ)命(天族) を始祖とする限り、当然、天族の国である、と考えていた。 ★出雲第6世 大国主(オホクニヌシ)神の少年時代に、天族の神産巣日(カミムスヒ)神が、命を助 けなければ、今の大国主(オホクニヌシ)神の出雲(イヅモ)はない、と考えていた。 ★後に、大国主(オホクニヌシ)神の兄弟分として、出雲(イヅモ)固めを援助するという口実で、 出雲(イヅモ)に送り込んだ天族の少名毘古那(スクナビコナ)神(神産巣日神の子)から、 大国主(オホクニヌシ)神が、須佐之男(スサノヲ)大神の神託に従い、宇都志国玉(ウツシクニタマ)神 (天族の国を滅ぼした上で、現実の国王)に成ろうとしている、と知ったので、 天族としては、早いうちに出雲(イヅモ)を征圧しなければならない、と考えたから。 | |
| Q42 | 速須佐之男命の姉の天照大御神が、速須佐之男命(始祖)の第6世子孫の 大国主神の時に、国譲りを迫ることができた訳は? |
| ★速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の姉の天照(アメテラス)大御神は、葦原中(アシハラナカ)国(出雲) 平定の時には、襲名後継者の天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)に代っていたから。 | |
| Q43 | 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(第1次)を、誓約で獲得した、 速須佐之男命の人財の 天之忍穂耳命⇒天之菩卑神 に命じた訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)が、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)平定(第1次)を、誓約で 獲得した、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の人財の 天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命⇒天之菩卑 (アメノホヒ)神 に命じたのは、敵方、大国主(オホクニヌシ)神の反発が少ないと考えたから。 ★しかし、この弱気が敗因で、天之菩卑(アメノホヒ)神は、復命せず、その後の様子が不明。 | |
| Q44 | 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(第2次)を、 速須佐之男命の人財でない 天族の天若日子 に命じた訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)が、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)平定(第2次)を、 速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の人財でない 天族の天若日子(アメワカヒコ)に、天之麻迦古弓・ 天之波波矢を授けて命じたのは、前回(第1次)の敗因を反省して、強気に出たため。 ★しかし、天若日子(アメワカヒコ)は、出雲(イヅモ)側に付いたため、上記の矢で暗殺された。 | |
| Q45 | 出雲側に寝返った天族の天若日子の出雲妻の兄、阿遅鉏高日子根神 が、 死んだ天若日子の喪屋を倒して、喪山へ蹴飛ばし、戦地に戻った訳は? |
| ★天若日子(アメワカヒコ)の妻の兄、阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神が、死んだ天若日子 (アメワカヒコ)の弔いで、戦地からやって来た時、それを、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐) から来た天若日子(アメワカヒコ)の父・本妻が見て、死んだ天若日子(アメワカヒコ)に見間違 えられた阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神が怒ったから、とされているが、 阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神の本音は、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から来た 天若日子(アメワカヒコ)の父・本妻を見て、敵対関係にある天族憎し、天若日子(アメワカヒコ) の本妻憎し、以前の少名毘古那(スクナビコナ)(神産巣日神の子)による内政干渉憎し、 と感じたことの腹癒せから、とするのが自然である。 | |
| Q46 | 天照大御神が、葦原中国(出雲)平定(第3次)を、 伊都之尾羽張神(天之尾羽張神)の子、建御雷之男神 に命じた訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)平定の第1次・第2次と 異り、この第3次では、戦さのプロに任せることにしたからであり、 建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神は、伊都之尾羽張(イツノヲハバリ)神=天之尾羽張(アメノヲハバリ) 神(伊耶那岐が火之迦具土を斬った刀名に由来)の子で、火之迦具土(ホノカグツチ)神 への報復軍の神(軍人)である上、これに、天鳥船(アメトリフネ)神(水軍)が追加された。 ★建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神は、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)平定後、高天原(タカアマハラ) (都=壱岐)に帰還し、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)に報告した。 | |
| Q47 | 大国主神が、葦原中国(出雲)を、天族に譲渡する条件として、 自分の住居を、高天原に見えるような高さに、建てることを要求した訳は? |
| ★大国主(オホクニヌシ)神が、譲渡条件として要求した上記事柄は、大国主(オホクニヌシ)神が、 須佐之男(スサノヲ)大神から授かった神託の中で、未だ成就していない事柄だから。 | |
| Q48 | 建御雷之男神による葦原中国(出雲)平定ルート は? |
| ★建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による平定に、天鳥船(アメトリフネ)神(水軍)が付けられた。 高天原(タカアマハラ)天安川(アメヤスカハ)上の天石屋(アメイハヤ)(壱岐鬼の岩屋) ⇒海原(日本海)⇒出雲(イヅモ)伊那佐之小浜(イナサノヲハマ)(出雲国神門稲佐の浜) ⇔(山陰道)⇔(東山道)⇔信濃(シナノ)諏訪海(スハミ)(信濃国諏訪湖) ⇒出雲(イヅモ)多芸志之小浜(タギシノヲハマ)(出雲国出雲武志) ⇒海原(日本海)⇒高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)。 | |
| Q49 | 迩迩芸命に、豊葦原水穂国(葦原中国=本土)の統治を命じた訳は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、豊葦原水穂(トヨアシハラミヅホ)国(葦原中国=本土)の 統治を、誓約で獲得した速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の人財の天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命 に命じたが、その天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命の子の迩迩芸(ニニギ)命に変更になった。 ★その迩迩芸(ニニギ)命は、高木(タカキ)神(高御産巣日神Ⅳ)の娘、万幡豊秋津師比売 (ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)命が生んだ子2人の内、天火明(アメホアカリ)命の次の子であったが、 親の天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命が、豊葦原水穂(トヨアシハラミヅホ)国(葦原中国=本土) への赴任を、自分の幼い子に変更したのは、自分が天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)の 太子になっていたため、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)に留まるべきと考えたから。 ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、八尺勾瓊(ヤサカマガタマ)、鏡(天照大御神の御霊)、 草那芸剣(クサナギツルギ)を、迩迩芸(ニニギ)命の付添い(常世思金神等 4神)に持たせ、 太子の天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命ではなく、孫の迩迩芸(ニニギ)命に、王権を譲った。 | |
| Q50 | 天照大御神が、迩迩芸命の豊葦原水穂国(葦原中国=本土)赴任に おいて、出雲ではなく、竺紫日向に行くように命じた訳は? |
| ★国神の猿田毘古(サルタビコ)神が、葦原中(アシハラナカ)国=本土への案内で迎えに来ても、 天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、迩迩芸(ニニギ)命に天之石位(アメノイハクラ)(海の岩座) (都=壱岐)を出港し、天之八重多那(アメノヤエタナ)雲(海の霧)の中、伊都(イツ)(筑紫国 怡土)へ進み、天浮橋(アメウキハシ)(筑紫国海の中道)の浮島に沿い、竺紫日向(チクシヒナタ) (筑紫国早良)高千穂(タカチホ)の籤振る嶽(クジフルタケ)(高祖山)に行け、と命じた。 ★上記竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)は、以前、伊耶那岐(イヤナキ)大神が、黄泉(ヨミ)国 (東出雲=出雲国意宇)から戻り、軍装束を解き禊をした所で、筑紫(ツクシ)島(九州) 本土に将来の都として開発した地であり、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、迩迩芸 (ニニギ)命が幼いため、従者(5人)、付添い(4神)、近衛軍を付けたものの、猿田毘古 (サルタビコ)神の案内で出雲(イヅモ)国に行くと、出雲(イヅモ)軍が待ち構えている惧れ がある、と考え、葦原中(アシハラナカ)国=本土 で安全な竺紫日向(チクシヒナタ)を指定した。 | |
| Q51 | 迩迩芸命が、竺紫日向の高千穂の籤振る嶽に、宮殿を高天原に見えるよう、 高くして住んだ訳は? |
| ★竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)高千穂(タカチホ)の籤振る嶽(クジフルタケ)(高祖山)は、 韓(カラ)国(旧都=韓地巨済島)に向かい、笠紗之岬(カササノミサキ)(肥国神埼方面)に直結 して、朝日が真っ直ぐ差し夕日が照る国で、大変良い地と語り、岩盤に宮殿の柱を建 て、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)に見えるよう、高くして住んだのは、 その後、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から竺紫日向(チクシヒナタ)(新都=筑紫国早良)に、 遷都することになっており、新都の宮殿が、現在の都から見えるようにするため。 ★高天原(タカアマハラ)(壱岐)から竺紫日向(チクシヒナタ)(新都=筑紫国早良)に、遷都すると、 都を高天原(タカアマハラ)(海原の高み)と言わなくなった。 | |
| Q52 | 迩迩芸命が竺紫日向に住んだ後の天照大御神・天之忍穂耳命の様子は? |
| ★天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)は、王権を譲った迩迩芸(ニニギ)命が、従者の天宇受売 (アメウズメ)命に猿田毘古(サルタビコ)との結婚を命じたり、自分の結婚相手を探したり する迄になったので、元太子の天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命と共に、実質的に引退した。 | |
| Q53 | 迩迩芸命が、大山津見神の娘(妹)に添えられた姉を送り返した訳は? |
| ★大山津見(オホヤマツミ)神(肥国領主の下に、山神として選任された役人)が、 迩迩芸(ニニギ)命に、娘の木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)との結婚を乞われると、 迩迩芸(ニニギ)命には、その娘(妹)と共に、姉の石長比売(イハナガヒメ)を添えて送った のを、迩迩芸(ニニギ)命が、添えられた醜い姉を、大山津見(オホヤマツミ)神の元に送り返 してしまったのは、それが、九州(本土)の醜女(シコメ)の習俗と知らなかったため。 ★迩迩芸(ニニギ)命が、木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)だけを留めたことによって、 寿命は、木の花のように儚くなる⇒2倍年暦の習慣を廃止すると、短命に見える。 | |
| Q54 | 木花之佐久夜毘売が、燃える御殿で、迩迩芸命の子を産んだ訳は? |
| ★木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)は、国神の子ならば無事に産まれず、天神(アメカミ) の御子ならば無事に産まれるだろうと言いつつ、その時に生まれた三つ子の兄弟 (火照命・火須勢理命・火遠理命)が、迩迩芸(ニニギ)命の子であることを、命懸けで 説得するために、結局、焼身自殺することになった。 | |
| Q55 | 三つ子兄弟の二人、火遠理命(弟)が、火照命(兄)と道具を交換した訳は? |
| ★上記兄弟は、天族の迩迩芸(ニニギ)命が、山神の大山津見(オホヤマツミ)神の娘に産ませた 子であるが、火遠理(ホヲリ)命(弟)が、同い年の火照(ホデリ)命(兄)を服従させるため、 今度は、海神の綿津見(ワタツミ)神を味方に付けようと、考えた。 ★それで、火遠理(ホヲリ)命(弟)は、火照(ホデリ)命(兄)の漁師道具を使いたいと、 わがままを言い、海神の綿津見(ワタツミ)神に会うために、海の漁を体験してみた。 | |
| Q56 | 海神の綿津見神の宮殿へのルート は? |
| ★海神の綿津見(ワタツミ)神の宮殿へのルート 対馬(ツシマ)へ渡る海路で、都(筑紫国早良)⇒(玄界灘)⇒壱岐(イキ)⇒対馬(ツシマ)。 ★海神の綿津見(ワタツミ)神は、伊耶那岐(イヤナキ)命が、山陽(瀬戸内海)に選任した海神の 大綿津見(オホワタツミ)神の子孫であるが、速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、治めなかった海原 (日本海・対馬)を、綿津見(ワタツミ)神が、代りに治めていた。 | |
| Q57 | 綿津見大神が、火遠理命に授けた ①塩満珠・②塩乾珠 とは? |
| ①塩満珠(シオミツタマ)は、水害を起こす豪雨の予知、満潮・大潮を起こす月齢の観測手段。 ②塩乾珠(シオヒルタマ)は、旱魃を起こす少雨の予知、干潮・小潮を起こす月齢の観測手段。 | |
| Q58 | 綿津見大神の娘、豊玉毘売命が、海原から火遠理命の居所(新都=竺紫 日向)の海辺にやって来て、出身国の姿で、鵜草葺不合命を産んだ訳は? |
| ★豊玉毘売(トヨタマビメ)命が、火遠理(ホヲリ)命の子を、海原(日本海・対馬)で産むべきで ないと、火遠理(ホヲリ)命の居る所(新都=竺紫日向)(筑紫国早良)にやって来て、 出身国の姿(鰐鮫)になって産めるよう、新都(竺紫日向)の渚に産屋を造ったが、 火遠理(ホヲリ)命には、産むところを見ないでほしい、と言ったものの、覗き見られて 恥ずかしく思い、御子=鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命を産み置いて、産屋の在る渚か ら出身国の姿(鰐鮫)のまま、海原(日本海・対馬)に帰って行った。 ★天族の迩迩芸(ニニギ)命が、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から、竺紫日向(チクシヒナタ) (新都=筑紫国早良)に初めて来た時、九州(本土)の醜女(シコメ)の習俗を知らなか ったように、新都で生まれた子の火遠理(ホヲリ)命は、豊玉毘売(トヨタマビメ)命が出身 国の姿(鰐鮫)で産むという海原(日本海・対馬)の習俗を知らなかった。 「出身国の姿(鰐鮫)で産む」 ということは、海原(日本海・対馬)から火遠理(ホヲリ) 命を乗せて送り帰した鰐鮫(龍船)のように、八尋(ヤヒロ)(48尺=86.4m)の鰐鮫 (龍船)を使って、その上に鵜草(ウカヤ)で葺いた産屋を造り、その中で産むこと。 | |
| Q59 | 鵜草葺不合命の子4人(海神の娘、玉依毘売命との子)全員が、 高千穂宮(筑紫国高祖山)を離れた訳は? |
| ★鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命の子4人(海神の娘、玉依毘売命との子)全員が、 高千穂(タカチホ)宮(筑紫国高祖山)を離れたのは、三男・次男・長男の順で、次の通り。 3.御毛沼(ミケヌ)命 海を渡って、常世(トコヨ)国(四国)に行った。 2.稲氷(イナヒ)命 母(玉依毘売命)の国の海原(日本海・対馬)に行った。 1.五瀬(イツセ)命 幼少の4.若御毛沼(ワカミケヌ)命と共に、東方(畿内)に脱出。 4.若御毛沼(ワカミケヌ)命⇒神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇) ★迩迩芸(ニニギ)命は、高天原(タカアマハラ)(都=壱岐)から、竺紫日向(チクシヒナタ)(新都= 筑紫国早良)に来てから、山神(大山津見神)の娘(木花之佐久夜毘売)を娶ったが、 その子、火遠理(ホヲリ)命は、海神(綿津見大神)の娘(豊玉毘売命)を娶り、またその 子、鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命も、海神(綿津見大神)の娘(玉依毘売命)を娶る等、 海神勢力の連続姻戚に対して、山神勢力が反発し、海神の娘、玉依毘売(タマヨリビメ) 命の4人の子は、山神勢力の支持を失い、山神の勢力範囲(九州)に居辛くなった。 | |
| Q60 | 五瀬命(兄)・神倭伊波礼毘古命(弟)が、東方の平定に出発した訳は? |
| ★神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(弟)・五瀬(イツセ)命(兄)が、高千穂(タカチホ)宮 (筑紫国高祖山)で相談して、東方の新天地(畿内)を治めようと、 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)から筑紫(ツクシ)国を出発したのは、 上記Q59のように、山神の勢力範囲(九州)に居辛くなったからであるが、 逆に言えば、山神勢力の権力が強くなったことを意味している。 ★それで、五瀬(イツセ)命(兄)を将軍、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(弟)を 副将軍とする近衛軍を率い、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)から陸路で、 豊(トヨ)国宇沙(ウサ)の国人、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)に会ってから、 一旦、竺紫之岡田(チクシノオカタ)宮(筑紫国遠賀)(1年)(2倍数)に戻り、 水軍(久米兵士)を編成して、次のように、東方の新天地(畿内)に向けて出発した。 筑紫(ツクシ)国⇒(響灘)⇒(周防灘)⇒安芸(アキ)国(7年)(2倍数)(瀬戸内海) ⇒吉備(キビ)国(8年)(2倍数)⇒播磨(ハリマ)国(速吸門=明石海峡)。 | |
| Q61 | 五瀬命(兄)・神倭伊波礼毘古命(弟)が、豊国宇佐の国人 を訪れた訳は? |
| ★五瀬(イツセ)命(兄)・神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(弟)が、東方の新天地(畿内) を治めようと、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)から筑紫(ツクシ)国を出発して、 陸路で、豊(トヨ)国宇沙(ウサ)の国人(宇沙都比古・宇沙都比売)に会いに行ったのは、 山神勢力の権力中枢(山都)に居た豊(トヨ)国宇沙(ウサ)の国人(宇沙都比古・宇沙都 比売)に、筑紫(ツクシ)国を出発する旨を伝えるため。 ★宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)は、名前を挙げて、「国神」 でなく 「国人」 (後にも先にもこれっきり)と称されているから、特別な要人である可能性がある。 | |
| Q62 | 葦原中国(畿内)の登美能那賀須泥毘古との初戦で、敗退した訳は? |
| ★五瀬(イツセ)命(兄)・神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(弟)の水軍(久米兵士)が、 白肩津(シラカタツ)(河内国河内湾)に停泊し、夜明けになると、日下之蓼津(クサカノタデツ) の東から、葦原中(アシハラナカ)国(畿内)の登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の軍の 弓による奇襲攻撃を受け、下船して応戦したものの、逆光のまま地の利を得られず、 五瀬(イツセ)命(兄)が、手に毒矢を受けたため退却し、(畿内)東方に転回する途上、 紀(キ)国の男之水門(ヲノミナト)(雄湊)(紀伊国海部)で死去。 ⇒紀(キ)国の竃(カマ)山(紀伊国名草)に、五瀬(イツセ)命を埋葬。 ★登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)との初戦で、敗退した原因は、次の通り。 1.五瀬(イツセ)命(兄)の水軍(久米兵士)が、陸戦に弱い。 2.登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)軍の動静を知らないという油断があった。 3.東方(畿内)に西から向かうのでは、逆光で地の利を得られない。 | |
| Q63 | 熊野で苦戦中の神倭伊波礼毘古命が、反撃に転じることができた訳は? |
| ★神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命軍は、紀(キ)国の竃(カマ)山(紀伊国名草)から熊野 (クマノ)(紀伊国那賀高倉山)に着いた時、大熊の出現で気を失った。 ⇒陸戦に弱い水軍(久米兵士)が、熊野(クマノ)でも苦戦。 ⇒熊野(クマノ)(紀伊国那賀高倉山)の高倉下(タカクラジ)が、1振りの横刀(タチ)を、 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命に献上すると、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命 は、反撃に転じ、熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)の荒ぶる国神を切り倒した。 ★このように、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命が、反撃に転じることができたのは、 天照(アメテラス)大御神(天照Ⅵ)・高木(タカキ)神(高御産巣日神Ⅵ)の御霊を祀る豊(トヨ) 国から、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命に、葦原中(アシハラナカ)国(出雲)を平定した 建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神(豊布都神)の横刀(タチ)=佐士布都(サジフツ)神(武器等の 救援物資)が、熊野(クマノ)の高倉下(タカクラジ)に託されて届いたから。 | |
| Q64 | 八咫烏が、神倭伊波礼毘古命軍を先導した吉野ルート は? |
| ★都から派遣された八咫烏(ヤタカラス)(斥候)が、熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)から 奥熊野(オククマノ)(紀伊国日高川南)を避けて、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命軍を 先導した吉野(ヨシノ)ルートは、次の通り。 熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)⇒(紀伊国伊都)⇒(大和国宇智)⇒吉野(ヨシノ)川下 (大和国宇智阿陀)⇒吉野(ヨシノ)川上の光る泉(大和国吉野賀美井光) ⇒その先の山中(大和国吉野国栖)⇒(四郷川・鷲家川)⇒(佐倉峠) ⇒宇陀(ウダ)(大和国宇陀)=宇陀之穿(ウダノウガチ)。 | |
| Q65 | 葦原中国(畿内)の登美能那賀須泥毘古との再戦で、勝利した訳は? |
| ★登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)との再戦で勝利した原因は、次の通り。 1.宇陀(ウダ)(大和国宇陀)⇒忍坂大室(オサカオホムロ)(大和国城上忍坂) ⇒(大和国城上大神)⇒畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)へと、 東から西に向かう戦いで、順光の地の利があった。 2.敵に殺された八咫烏(ヤタカラス)の代りを、道臣(ミチオミ)命・大久米(オホクメ)命が勤め、 敵の罠に嵌らないように、敵軍の動静を調べながら戦うことができた。 3.下記在地勢力(国神)を味方に付けて、水軍(久米兵士)が陸戦に強くなった。 熊野(クマノ)(紀伊国)の高倉下(タカクラジ) 吉野(ヨシノ)(大和国)の贄特之子(ニヘノミノコ)・井氷鹿(イヒカ)・石押分之子(イハオシワクノコ) 宇陀(ウダ)(大和国)の弟宇迦斯(オトウカシ) | |
| Q66 | 葦原中国(畿内)の迩芸速日命が、天族の印を持っていた訳は? |
| ★登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の妹、登美夜毘売(トミヤビメ)を娶って、 大和(ヤマト)国に居た葦原中(アシハラナカ)国(畿内)の迩芸速日(ニギハヤヒ)命は、 葦原中(アシハラナカ)国平定(第1次)で派遣されても、復命しなかった天之菩卑 (アメノホヒ)神(天族)の子孫であるから、天族の印を持っていたのは、当然で、 この迩芸速日(ニギハヤヒ)命は、葦原中(アシハラナカ)国の拡大に伴い、 出雲(イヅモ)国⇒大和(ヤマト)国 に移動して来ていた。 | |
| Q67 | 神倭伊波礼毘古命による東征ルート(①東進ルート・②転回ルート) は? |
| ①五瀬(イツセ)命・神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命による東進ルート 高千穂(タカチホ)宮(筑紫国高祖山)=竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)⇒(陸路) ⇒宇沙(ウサ)足一騰(アシヒトアガリ)宮(豊国宇佐)⇒(陸路) ⇒竺紫之岡田(チクシノオカタ)宮(筑紫国遠賀)⇒(響灘・周防灘) ⇒安芸(アキ)多祁理(タギリ)宮(安芸国安芸)⇒(瀬戸内海) ⇒吉備之高島(キビノタカシマ)宮(吉備国児島)⇒(播磨灘) ⇒速吸門(ハヤスイト)(播磨国明石海峡)⇒浪速之渡(ナミハヤノワタリ)(摂津国西生) ⇒白肩津(シラカタツ)(河内国河内湾)⇒(下船・上陸) ⇒日下之蓼津(クサカノタデツ)(河内国河内)⇒(退却・上船) ⇒南方(ミナミカタ)(摂津国南方)⇒血沼(チヌ)海(和泉国茅渟海) ⇒紀(キ)国の男之水門(ヲノミナト)(雄湊)(紀伊国海部)で、五瀬(イツセ)命、死去 ⇒(下船・上陸)⇒紀(キ)国の竃(カマ)山(紀伊国名草)に、五瀬(イツセ)命を埋葬。 ②神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命による転回ルート 紀(キ)国竃(カマ)山(紀伊国名草)⇒(陸路) ⇒熊野(クマノ)村(紀伊国那賀高倉山)高倉下(タカクラジ) ⇒熊野(クマノ)山(紀伊国那賀高倉山)⇒(紀伊国伊都) ⇒(大和国宇智)⇒吉野(ヨシノ)川下(大和国宇智阿陀) ⇒吉野(ヨシノ)川上の光る泉(大和国吉野賀美井光) ⇒その先の山中(大和国吉野国栖)⇒(四郷川・鷲家川)⇒(佐倉峠) ⇒宇陀(ウダ)(大和国宇陀)⇒訶夫羅前(カブラサキ)(大和国宇陀) ⇒宇陀之血原(ウダノチハラ)(大和国宇陀)⇒忍坂大室(オサカオホムロ)(大和国城上忍坂) ⇒(大和国城上大神)⇒畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)。 | |
| Q68 | 神倭伊波礼毘古命(第1代 神武天皇)は、竺紫日向の正室があるにも 拘らず、大和国から、新たに皇后を選んだ訳は? |
| ★出身の竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)で、阿多(アタ)小椅(ヲバシ)君の妹、阿比良比売 (アヒラヒメ)を正室にしたにも拘らず、大和(ヤマト)国で、大物主(オホモノヌシ)神(大年神)の孫、 狭井(サイ)川(大和国城上三輪川)上の比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)を 皇后にしたのは、畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)で、地盤を固めるため。 | |
| Q69 | 神倭伊波礼毘古命(第1代 神武天皇)の死後、上皇后の比売多多良伊須気 余理比売を、当芸志美美命(正室の阿比良比売との子)が、娶った訳は? |
| ★神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(第1代 神武天皇)の死後、 上皇后の比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)を、当芸志美美(タギシミミ)命 (正室の阿比良比売との子)が娶ることにより、故神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ) 命(神武天皇)の縁者に対し、当芸志美美(タギシミミ)命が、後継者候補の第一人者と して受け入れられ易くなり、他の後継者候補(上皇后の比売多多良伊須気余理比 売の3子)を排除し易くなる、と考えたから。 ★しかし、上皇后の比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)が、上皇后の子3子 (大和国出身)に、正室の子、当芸志美美(タギシミミ)命(筑紫国出身)の陰謀を知らせ たことにより、大和(ヤマト)国地元の力を得た上皇后の末子、神沼河耳(カムヌナカハミミ) 命が、当芸志美美(タギシミミ)を討ち、天下を治めた。 | |
| Q70 | 神沼河耳命(第2代 綏靖天皇)~若倭根子日子大毘毘命(第9代 開化 天皇)のコンテンツが、子孫(姻戚と死没)だけである訳は? |
| ★神沼河耳(カムヌナカハミミ)命(第2代 綏靖天皇)~若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホ ビビ)命(第9代 開化天皇)は、宮殿・御陵も大和(ヤマト)国内にあって、姻戚による 地盤固めに専念。 ● 神沼河耳(カムヌナカハミミ)命(第2代 綏靖天皇)が娶ったのは、 磯城県主(シキアガタヌシ)の祖先、河俣毘売(カハマタビメ)。 ● 師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)命(第3代 安寧天皇)が娶ったのは、 河俣毘売(カハマタビメ)の兄、県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の娘、阿久斗比売(アクトヒメ)。 ● 大倭日子鉏友(オホヤマトネコスキトモ)命(第4代 懿徳天皇)が娶ったのは、 師木県主(シキアガタヌシ)の祖先、賦登麻和訶比売(フトマワカヒメ)命。 ● 御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシネ)命(第5代 孝昭天皇)が娶ったのは、 尾張連(ヲハリムラジ)の祖先、奥津余曽(オキツヨソ)の妹、余曽多本毘売(ヨソタホビメ)。 ● 大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命(第6代 孝安天皇)が娶ったのは、 姪の忍鹿比売(オシカヒメ)命。 ● 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命(第7代 孝霊天皇)が娶ったのは、 十市県主(トイチアガタヌシ)の祖先、大目(オホメ)の娘、細比売(ホソヒメ)命、 春日(カスガ)の千千速真若比売(チチハヤマワカヒメ)、 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命、 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命の妹、縄伊呂抒(ハヘイロド)。 ● 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命(第8代 孝元天皇)が娶ったのは、 穂積臣(ホツミオミ)の祖先、内色許男(ウチシコヲ)命の妹、内色許売(ウチシコメ)、 内色許男(ウチシコヲ)命の娘、伊迦賀色許売(イカガシコメ)命、 河内青玉(カハチアヲタマ)の娘、波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)。 ● 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)が娶ったのは、 丹波(タニハ)の大県主(オホアガタヌシ)、由碁理(ユゴリ)の娘、竹野比売(タケノヒメ)、 継母の伊迦賀色許売(イカガシコメ)命、 和迩臣(ワニオミ)の祖先、日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命の妹、意祁都比売(オケツヒメ)命、 葛城(カツラギ)の垂見宿祢(タルミスクネ)の娘、差羽比売(サシバヒメ)。 ★上記姻戚による子孫を使って、畿内の版図を固めさせた。 ● 師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)命(第3代 安寧天皇)の孫は、 伊賀須知(イガスチ)・那婆理(ナバリ)・美濃(ミノ)の稲置(イナキ)の祖先。 ● 大倭日子鉏友(オホヤマトネコスキトモ)命(第4代 懿徳天皇)の子は、 茅渟(チヌ)の別(ワケ)、但馬(タジマ)の竹別(タケワケ)、葦井(アシイ)の稲置(イナキ)の祖先。 ● 御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシネ)命(第5代 孝昭天皇)の子は、 春日臣(カスガオミ)、大宅臣(オホヤケオミ)、粟田臣(アハタオミ)、小野臣(ヲノオミ)、 柿本臣(カキモトオミ)、壱比韋臣(イチヒイオミ)、大坂臣(オホサカオミ)、阿那臣(アナオミ)、 多紀臣(タキオミ)、羽栗臣(ハクリオミ)、知多臣(チタオミ)、牟耶臣(ムヤオミ)、壱師(イチシ)君、 都怒山臣(ツノヤマオミ)、伊勢飯高(イセイヒタカ)君、近淡海国造(チカツアフミクニミヤツコ)の祖先。 ● 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命(第7代 孝霊天皇)の子は、 越之利波臣(コシノトナミオミ)、国前臣(クニサキオミ)、五百原(イホハラ)君、 角鹿海直(ツヌガアマアタヘ)、吉備上道臣(キビカミミチオミ)、播磨牛鹿臣(ハリマウシカオミ)、 吉備下道臣(キビシモミチオミ)、笠臣(カサオミ)の祖先。 ● 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命(第8代 孝元天皇)の孫は、 阿部臣(アベオミ)の祖先、膳臣(カシハデオミ)、山背内臣(ヤマシロウチオミ)の祖先。 ● 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命(第8代 孝元天皇)の孫(建内宿祢)の子 は、波多臣(ハタオミ)、林臣(ハヤシオミ)、波美臣(ハミオミ)、星川臣(ホシカハオミ)、淡海臣(アフミオミ)、 長谷部(ハセベ)君、巨勢臣(コセオミ)、雀部臣(サザキベオミ)、軽部臣(カルベオミ)、 蘇我臣(ソガオミ)、川辺臣(カハヘオミ)、田中臣(タナカオミ)、高向臣(タカムクオミ)、 小治田臣(ヲハリダオミ)、桜井臣(サクライオミ)、岸田臣(キシタオミ)、平群臣(ヘグリオミ)、 佐和良臣(サワラオミ)、馬御杭連(ウマミクヒムラジ)、木臣(キオミ)、都奴臣(ツヌオミ)、 坂本臣(サカモトオミ)、玉手臣(タマテオミ)、的臣(イクハオミ)、生江臣(イクエオミ)、 阿芸那臣(アギナオミ)、江野財臣(エノタカラオミ)の祖先。 ● 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)の子は、 道守臣(チモリオミ)、忍海部造(オシヌミベミヤツコ)、御名部造(ミナベミヤツコ)、因幡忍部 (イナバオシベ)、丹波之竹野別(タニハノタケノワケ)、依網之阿毘古(ヨサミノアビコ)の祖先。 ● 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)の孫は、 当麻勾(タイママガリ)君、佐佐(ササ)君、日下部連(クサカベムラジ)、甲斐国造(カヒクニミヤツコ)、 葛野之別(カヅノノワケ)、近淡海蚊野之別(チカツアフミカノノワケ)、若狭之耳別(ワカサノミミワケ)、 近江(アフミ)の安直(ヤスアタヘ)、美濃(ミノ)国の本巣国造(モトスクニミヤツコ)、 長幡部連(ナガハタベムラジ)、吉備品遅(キビホムヂ)君、播磨阿宗(ハリマアソ)君、 伊勢之品遅部(イセノホムヂベ)、伊勢之佐那造(イセノサナミヤツコ)、比売陀(ヒメダ)君、 三河之穂別(ミカハノホワケ)、但馬国造(タヂマクニミヤツコ)の祖先。 | |
| Q71 | 若倭根子日子大毘毘命(第9代 開化天皇)の3代下の 息長帯比売命 は、 5代下の帯中津日子天皇(第14代 仲哀天皇)の皇后 になり得るか? |
| ★若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)が、 側室、意祁都比売(オケツヒメ)命を娶り、生んだ御子の日子坐(ヒコイマス)皇子が、 側室、袁祁都比売(ヲケツヒメ)命を娶り、生んだ子の大筒木真若(オホツツキマワカ)皇子が、 側室、高額比売(タカヌカヒメ)を娶り、生んだ子の息長帯比売(オキナガタラシヒメ)命は、 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)の3代下であるが、 次例のように、若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)の 没後約50年(<3世代)後に生まれた5代下の帯中津日子天皇(第14代 仲哀天皇) と結婚(神功皇后)できる世代になり得る。 第9代 開化天皇 在位:284年17歳-299年32歳(268年1歳-299年32歳) 第10代 崇神天皇 在位:300年29歳-317年46歳(272年1歳-355年戊寅84歳) 第11代 垂仁天皇 在位:318年23歳-342年47歳(296年1歳-372年77歳) 第12代 景行天皇 在位:343年24歳-358年39歳(320年1歳-388年69歳) 第13代 成務天皇 在位:359年21歳-374年36歳(339年1歳-386年己卯48歳) 第14代 仲哀天皇 在位:375年24歳-377年26歳(352年1歳-377年壬戌26歳) 摂政 神功皇后 在位:378年18歳-395年35歳(361年1歳-410年50歳) | |
| Q72 | 御真木入日子印恵天皇(第10代 崇神天皇)が、 初国知らしし(初めて国を治めた)御真木天皇、と讃えられた訳は? |
| ★御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニエ)天皇(第10代 崇神天皇)は、大(オホ)国に流行して いた疫病を鎮め、内紛を抑えて、越(コシ)国(北陸道)・東方12道(東海道・東山道方面) を平定し、大(オホ)国を大層平穏にし、人民を富み栄えさせて、男の弓矢で得た獲物 の税や女の手で織った織物の税を初めて貢納させ、灌漑用の池を作ったことで、 天族だけのためではなく、初めて人民のための政治をしたから。 | |
| Q73 | 伊久米伊理毘古伊佐知命(第11代 垂仁天皇)の皇后、沙本毘売命が、 兄の沙本毘古皇子の指示で、謀反を起こそうとした訳は? |
| ★伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命(第11代 垂仁天皇)は、 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)が、継母の伊迦賀色 許売(イカガシコメ)命を娶り、生んだ子の御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニエ)命(第10代 崇神天皇)の子であり、また、上記継母の伊迦賀色許売(イカガシコメ)命は、若倭根子 日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)の父、大倭根子日子国玖琉 (オホヤマトネコヒコクニクル)命(第8代 孝元天皇)の妻であり、穂積臣(ホツミオミ)の祖先、 内色許男(ウチシコヲ)命の娘であった。 ★一方、皇后の沙本毘売(サホビメ)命とその兄の沙本毘古(サホビコ)皇子は、 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命(第9代 開化天皇)が、和迩臣(ワニオミ) の祖先、日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命の妹、意祁都比売(オケツヒメ)命を娶り、生んだ子 の日子坐(ヒコイマス)皇子の子であった。 ★従って、穂積臣(ホツミオミ)系の伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命(第11代 垂仁天皇)に対して、和迩臣(ワニオミ)系の沙本毘古(サホビコ)皇子が、妹の沙本毘売 (サホビメ)命を皇后として送り込み、皇后に伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ) 命(第11代 垂仁天皇)を殺害させて、政権を奪取しようとした。 | |
| Q74 | 伊久米伊理毘古伊佐知命(第11代 垂仁天皇)の皇后、沙本毘売命の子、 本牟智和気皇子による出雲大神宮の参拝ルート は? |
| ★本牟智和気(ホムチワケ)皇子による出雲(イヅモ)大神宮(出雲大社)の参拝ルート 磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上)⇔紀伊(キイ)国 ⇔(和泉国茅渟海)⇔(瀬戸内海)⇔(周防灘)⇔船越(長門国豊浦) ⇔海原(日本海)⇔出雲(イヅモ)大神宮(出雲国神門)。 | |
| Q75 | 伊久米伊理毘古伊佐知命(第11代 垂仁天皇)の皇后、沙本毘売命の子、 本牟智和気皇子が、次代の天皇になれなかった訳は? |
| ★伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命(第11代 垂仁天皇)の皇后の沙本毘売(サ ホビメ)命の子、本牟智和気(ホムチワケ)皇子は、皇后の兄の沙本毘古(サホビコ)皇子の指示 で、謀反を起こそうとした謀反人の子であるため、出雲(イヅモ)大国主(オホクニヌシ)神の 祟りとして、長い鬚が胸元に届くようになる迄、発言できず、天皇になれなかった。 ★皇后沙本毘売(サホビメ)命が、自分の死後は、伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ) 命(第11代 垂仁天皇)の身の回りは、異母兄、丹波比古多多須美知能宇斯(タニハヒコタ タスミチノウシ)皇子の皇女、兄比売(エヒミ)命・弟比売(オトヒメ)命に世話をさせることを推奨 したため、伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命(第11代 垂仁天皇)が、上記美 知能宇斯(ミチノウシ)皇子の皇女、比婆須比売(ヒバスヒメ)命(兄比売命)・沼羽田之入毘売 (ヌバタノイリビメ)命(弟比売命)・阿耶美能伊理毘売(アヤミノイリビメ)命(歌凝比売命)の 3人姉妹を娶ったことにより、比婆須比売(ヒバスヒメ)命(兄比売命)が生んだ子の大 帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命(第12代 景行天皇)の系統へと移った。 | |
| Q76 | 伊久米伊理毘古伊佐知命(第11代 垂仁天皇)の段に、時じくの香の木の 実(不老不死の果実)を求める多遅摩毛理のことが、記述されている訳は? |
| ★多遅摩毛理(タヂマモリ)が、常世(トコヨ)国(四国)で、時じくの香の木の実(不老不死の果 実=蜜柑類)を入手し、伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命(第11代 垂仁天皇) に進上しようとしたが、天皇は、既に死去していたと、あたかも、秦の始皇帝時代に、 蓬莱国の長生不老の霊薬の探索を命じられた徐福のように記述することによって、 多遅摩毛理(タヂマモリ)に注目させ、その4代上の祖先が、新羅(シラギ)国王の子、天之日 矛(アメノヒホコ)で、その天之日矛(アメノヒホコ)の6代下の子孫が、息長帯比売(オキナガタラシヒメ) 命(神功皇后)であることを、品陀和気(ホムダワケ)天皇の段で、印象付ける布石のため。 | |
| Q77 | 大帯日子淤斯呂和気命(第12代 景行天皇)が、長身に見える訳は? |
| ★大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命(第12代 景行天皇)は、 身長:1丈2寸(約309cm)、脚長:4尺1寸(約124cm)と、記されているから、 成長ホルモンの異常分泌による巨人症よりも、長身に見える。 ★しかし、一般的な体型のプロポーションを、考慮して、(胴長)≒(脚長)とすると、 (顔長+首長)=(身長)-2×(脚長)=(1丈2寸)-2×(4尺1寸)=2尺(約61cm) となり、一般的な(顔長+首長)の2倍数になっている。 従って、基数は、その半分で、身長:5尺1寸(約154cm)、脚長:2尺5分(約62cm) であるから、当時の普通の体格を示している。 | |
| Q78 | 大帯日子淤斯呂和気天皇(第12代 景行天皇)が、 小碓命・若帯日子命・五百木之入日子命 の3人を、太子にした訳は? |
| ★小碓(ヲウス)命は、大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(第12代 景行天皇)が、 吉備臣(キビオミ)の祖先、若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ)の娘、播磨之伊那毘能大郎女 (ハリマノイナビノオホイラツメ)を娶って、生んだ5人の子の1人であり、 兄の大碓(オホウス)命が、天皇による命令の、大根(オホネ)皇子の娘、兄比売(エヒメ)・弟比 売(オトヒメ)の2人を呼び寄せること、に背き、他の女を天皇に献上して、自分が娶っ たり、朝夕の天皇との食事にも来ないため、 大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(第12代 景行天皇)は、大碓(オホウス)命 の弟、小碓(ヲウス)命を太子にしたが、兄の大碓(オホウス)命を暴殺するような残虐性が あるため、東西遠征の軍人にし、 太子については、八尺入日子(ヤサカイリヒコ)命の娘、八坂之入日売(ヤサカノイリヒメ)命を娶 り、生んだ子の若帯日子(ワカタラシヒコ)命・五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命に変更した。 ★しかし、大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(第12代 景行天皇)没後、太子、 若帯日子(ワカタラシヒコ)命が、第13代 成務天皇になって、五百木之入日子(イホキノイリヒコ) 命の太子は消滅し、若帯日子(ワカタラシヒコ)命(第13代 成務天皇)没後には、 小碓(ヲウス)命が、伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)天皇(第11代 垂仁天皇)の 娘、布多遅能伊理毘売(フタヂノイリビメ)命を娶り、生んだ子(小碓命の子)の 帯中津日子(タラシナカツヒコ)命が、次の第14代 仲哀天皇になった。 | |
| Q79 | 伊勢大御神宮(伊勢神宮)の宮廷に居た倭比売命が、 倭建命に授けた草那芸剣(草那芸之大刀)の由来(①~⑤) は? |
| ①速須佐之男(ハヤスサノヲ)命が、八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)を切った時、その尾から出た強靭 な造りの都牟羽之大刀(ツムハネノタチ)の1本を、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅱ)に献上し たものが、草那芸之大刀(クサナギノタチ)と呼ばれる。 ②天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)が、迩迩芸(ニニギ)命を、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早 良)の高千穂の籤振る嶽(筑紫国高祖山)に行かせる時、持たせたものが、八尺勾瓊 (ヤサカマガタマ)、鏡(天照大御神の御霊)、草那芸剣(クサナギツルギ)(草那芸之大刀)。 ③この八尺勾瓊(ヤサカマガタマ)、鏡(天照大御神の御霊)、草那芸剣(クサナギツルギ)(草那芸 之大刀)は、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(第1代 神武天皇)が、大和(ヤマト)国 を平定し、正室とその子を、高千穂(タカチホ)宮(筑紫国高祖山)から畝傍之橿原(ウネビ ノカシハラ)宮(大和国高市)に連れて来た時に搬送し、 大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(第12代 景行天皇)の頃には、倭比売 (ヤマトヒメ)命が、保管していたものと思われる。 ④大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(景行天皇)が、東方12道(東山道・東海 道方面)遠征を倭建(ヤマトタケル)命に命じた時、伊勢(イセ)大御神宮(伊勢国度会)の宮 廷に居た倭比売(ヤマトヒメ)命が、倭建(ヤマトタケル)命に授けたものが、 火打ち石の御袋と、この草那芸剣(クサナギツルギ)(草那芸之大刀)。 ⑤倭建(ヤマトタケル)命は、草那芸剣(クサナギツルギ)(草那芸之大刀)を美夜受比売(ミヤズヒメ) の所(尾張国中島)に置いて、伊吹野(イブキノ)(美濃国不破)の神を討ち取りに行き、 戻ったが、草那芸剣(クサナギツルギ)(草那芸之大刀)は、そのまま置いて来たとされ、 後世の熱田神宮(尾張国愛智熱田)のご神体となる。 | |
| Q80 | 倭建命 ①熊曽建-出雲建討伐・②東方12道征討・③死出の旅 ルートは? |
| ①倭建(ヤマトタケル)命の熊曽建(クマソタケル)-出雲建(イヅモタケル)討伐ルート 纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)⇒(山陽道)⇒穴戸(アナト)(長門国豊浦) ⇔(西海道)⇔熊曽(クマソ)国(薩摩国・大隅国)⇒(山陰道)⇒出雲(イヅモ)国 ⇒(山陰道)⇒纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)。 ②倭建(ヤマトタケル)命の東方12道(東海道・東山道方面)征討ルート 纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺)⇒(伊勢街道) ⇒伊勢(イセ)大御神宮(伊勢国度会)⇒尾張(ヲハリ)国府(尾張国中島) ⇒(東海道)⇒相模(サガミ)野中の大沼(相模国足柄、丹沢湖の元) ⇒相模(サガミ)焼遺(ヤキステ)(相模国足柄焼津)⇒走水(ハシリミヅ)海(相模国御浦) ⇒(浦賀水道)⇒上総(カヅサ)国⇒下総(シモウサ)国⇒常陸(ヒタチ)国⇒下野(シモツケ)国 ⇒上野(コウヅケ)国⇒武蔵(ムサシ)国⇒相模(サガミ)足柄(アシカラ)坂下(相模国足柄) ⇒甲斐(カヒ)酒折(サカヲリ)宮(甲斐国山梨)⇒信濃(シナノ)国⇒(東山道) ⇒尾張(ヲハリ)国府(尾張国中島)⇒美濃(ミノ)伊吹野(イブキノ)(美濃国不破) ⇒近江(アフミ)玉倉部之清泉(タマクラベノシミヅ)(近江国坂田) ⇒美濃(ミノ)当芸野(タギノ)(美濃国多芸)⇒尾張(ヲハリ)尾津崎(ヲツサキ)(尾張国中島) ③倭建(ヤマトタケル)命の死出の旅(八尋白智鳥)ルート 尾張(ヲハリ)尾津崎(ヲツサキ)(尾張国中島)⇒伊勢(イセ)三重(ミヘ)村(伊勢国三重) ⇒能煩野(ノボノ)(伊勢国鈴鹿)⇒死去し、八尋白智鳥(ヤヒロシロチトリ)になる ⇒伊勢(イセ)国の磯⇒河内(カハチ)志幾(シキ)(河内国志紀)⇒天高く、飛んで行った。 | |
| Q81 | 建内宿祢が、天皇6世代に亘るような、特別な長寿に見える訳は? |
| ★建内宿祢(タケウチスクネ)は、第8代 孝元天皇の孫で、第10代 崇神天皇と同世代である。 その第10代 崇神天皇の曾孫の第13代 成務天皇の時、大臣(オホオミ)になって以来、 玄孫の第14代 仲哀天皇・神功皇后・その子第15代 応神天皇の時迄も大臣(オホオミ) であったので、天皇6世代に亘るような、特別な長寿に見える。 ★しかし、第14代 仲哀天皇・神功皇后・その子第15代 応神天皇の時、大臣(オホオミ)は、 襲名後継者の建内宿祢(タケウチスクネ)Ⅱに替わっていた。 | |
| Q82 | 帯中津日子天皇(第14代 仲哀天皇)が、畿内から遠い 穴門之豊浦宮 (長門国豊浦)・筑紫訶志比宮(筑紫国糟屋香椎)に、遷都した訳は? |
| ★穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦)・筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎) が、九州・韓地に近いことから、表の目的は、次の通り。 1.神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(第1代 神武天皇)が、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑 紫国早良)の高千穂(タカチホ)宮(筑紫国高祖山)から、新天地の畿内の畝傍之橿原 (ウネビノカシハラ)宮(大和国高市)に、天族の地盤を移して以来、北九州での地盤が 弱体化しており、その旧天地を回復するため。 2.帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)は、 中・南九州の熊曽(クマソ)国征討のため。 3.息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(第14代 仲哀天皇の皇后=神功皇后)は、 韓地遠征のため。 ★穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦)・筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎) が、旧都の畿内から遠いことから、(秘密裏に決行し易い)裏の目的は、次の通り。 1.息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)が、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣を、襲名 後継者の建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱに、秘密裏に替えるため。 2.息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)は、神懸って発する神託(帯中津日子 天皇は死ね)を、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱに聞かせて、帯中津日子(タラシナカツヒコ) 天皇(第14代 仲哀天皇)を神罰として死没させ、既に、御子を身籠っていたか のように、腰に石を巻いて腹を膨らませ、新羅(シラギ)国から帰還するまで産気 を抑えたことにして、帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)の御子を 生んだ、とするため。 3.息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)が、次の天皇に即位させる男の御子、 それも、帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)の御子としてであれば、 たとえ、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱの血統でも構わずに、秘密裏に宿すため。 ★帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)は、日頃から息長帯日売(オキナガタ ラシヒメ)皇后(神功皇后)が神懸って発する神託を信用し、皇后の神懸りを促すため、 琴を弾いて協力し、皇后の意向に沿うようになっていたので、皇后との間の秘密 が漏洩し難く、神罰で暗殺されたとしても、露見し難い状況にあった。 | |
| Q83 | 息長帯日売皇后(神功皇后)が、新羅国を征圧することにこだわった訳は? |
| ★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)の神託に、新羅(シラギ)国は、筑紫之訶志 比(ツクシノカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎)の西方(実際は北方)に在る、と錯誤をしてまで、 息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)は、帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)の熊曽(クマソ)国征討より、新羅(シラギ)国征圧を優先した訳は、次の通り。 1.天族が、新天地の畿内に地盤を移して以来、弱体化した壱岐・対馬・巨済島(韓地) での旧天地を回復するため。 2.息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)は、新羅(シラギ)国王の子、天之日矛 (アメノヒホコ)の6代下の末裔で、神託のように、新羅(シラギ)国情報が、得られたため。 ★上記錯誤があるとして神託に逆らう帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天 皇)を、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)は、神罰で死没(暗殺)させること により、熊曽(クマソ)国征討を、神託通りの新羅(シラギ)国征圧に、容易に変更できた。 | |
| Q84 | 息長帯日売皇后(神功皇后)が、都に帰る時、人の反逆心を心配した訳は? |
| ★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)が、大和(ヤマト)に帰り上る時、人の反逆心 が疑わしいので、棺を乗せた喪船を準備して、その喪船に御子(太子=大鞆和気命) を乗せ、太子が死去したとの噂を立てさせた、とあるように、 上記反逆心とは、帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)が、大江(オホエ)皇 子の娘、大中津比売(オホナカツヒメ)命を娶り、生んだ子の香坂(カグサカ)皇子・忍熊(オシクマ) 皇子の2人が抱く反逆心のことで、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)に生 まれた太子(大鞆和気命)に皇位継承権が移ること、に対する彼等の反発のこと。 ★更に、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)に生まれた太子(大鞆和気命)は、 生まれるより数年前に死没した帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇) の子でなく、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱの子ではないか、と疑われていたことは、 幼い太子(大鞆和気命⇒品陀和気命)が、後見人、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱと共に、 禊のために行った越前之角鹿(コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)から、都(大和国)に帰っ た時、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)が、太子(品陀和気命)を歓迎する ためとして、後見人、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱに、酒と歌を楽しませて、建内宿祢 (タケウチスクネ)大臣Ⅱを厚遇したことと、符合している。 | |
| Q85 | 太子(大鞆和気命)の名前を、品陀和気命 に替えた訳は? |
| ★太子(大鞆和気命)の名前を、伊奢沙和気(イザサワケ)大神の神託で、品陀和気(ホムダワケ) 命に替えたのは、大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)天皇(第12代 景行天皇)の 孫、品陀真若(ホムダマワカ)皇子の娘3人を娶ることにしたため。 ★禊のために、太子後見人、建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱが、太子を連れて、越前之角鹿 (コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)の仮宮に居た時、気比(ケヒ)大神=伊奢沙和気(イザサワケ) 大神(神功皇后の祖先、新羅国王の子、天之日矛)の神託を得たとして、息長帯日売 (オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)は、品陀真若(ホムダマワカ)皇子を味方に付けた。 上記仮宮は、後の気比(ケヒ)神社で、帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇) を、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)・建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱと合祀。 | |
| Q86 | 品陀和気命(第15代 応神天皇)の子、 伊奢之真若命・伊奢能麻和迦皇子 とは? |
| ★品陀和気(ホムダワケ)命(第15代 応神天皇)が、品陀真若(ホムダマワカ)皇子の娘、 高木之入日売(タカキノイリヒメ)命を娶り、生んだ子の伊奢之真若(イザノマワカ)命と、 品陀和気(ホムダワケ)命(第15代 応神天皇)が、葛城之野伊呂売(カツラギノノイロメ)を娶り、 生んだ子の伊奢能麻和迦(イザノマワカ)皇子とは、 別人であるが、気比(ケヒ)神宮の伊奢沙和気(イザサワケ)大神(神功皇后の祖先、 新羅国王の子、天之日矛)の 「伊奢」 にあやかり、強調するためと思われる。 | |
| Q87 | 品陀和気天皇(第15代 応神天皇)が、 大山守命・大雀命・宇遅能和紀郎子 の皇子を試した訳は? |
| ★品陀和気(ホムダワケ)天皇(第15代 応神天皇)は、 品陀真若(ホムダマワカ)皇子の娘、高木之入日売(タカキノイリヒメ)命を娶り、生んだ子の 大山守(オホヤマモリ)命(年長)と、 品陀真若(ホムダマワカ)皇子の娘、中日売(ナカヒメ)命を娶り、生んだ子の 大雀(オホサザキ)命(年中)との 2人に、 和迩之比布礼能意冨美(ワニノヒフレノオホミ)の娘、宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカハエヒメ)を娶り、 生んだ子の宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)(年少)を、 天津日継(アメツヒツギ)(皇位継承)にすることの賛否を問うことにより、 大雀(オホサザキ)命(年中)に、天皇の意向に反する大山守(オホヤマモリ)命(年長)を見せ、 宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)(年少)の身に予想される大山守(オホヤマモリ)命(年長) の攻撃を、大雀(オホサザキ)命(年中)から、宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)(年少)に、 事前に伝え、対策させることにより、大山守(オホヤマモリ)命(年長)を自滅させるため。 | |
| Q88 | 妻の阿加流比売を追って、但馬国に渡来した新羅国王子、天之日矛とは? |
| ★新羅(シラギ)国王の子、天之日矛(アメノヒホコ)とは、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功 皇后)の祖先で、越前之角鹿(コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)の伊奢沙和気(イザサワケ)大神 でもあり、難波(ナニハ)出身の美人妻の阿加流比売(アカルヒメ)を追って、新羅(シラギ)国 から但馬(タヂマ)国に渡来したとされ、その渡来時期は、次の通り。 1.多遅摩毛理(タヂマモリ)が仕えた伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)天皇 (第11代 垂仁天皇)の4代上、 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命(第7代 孝霊天皇)の頃。 2.息長帯比売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)の夫の帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇 (第14代 仲哀天皇)の6代上、 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命(第8代 孝元天皇)の頃。 ★大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命(第7代 孝霊天皇)が、 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命を娶り、生んだ子とされている 日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命が、角鹿海直(ツヌガアマアタヘ)の祖先となるので、 これが、天之日矛(アメノヒホコ)と思われる。 | |
| Q89 | 天之日矛が渡来させた宝の 伊豆志之八前大神と天之日矛との関係は? |
| ★天之日矛(アメノヒホコ)が渡来させた8種の宝(玉津宝)を、但馬(タヂマ)国出石(イヅシ)で は、伊豆志之八前(イヅシノヤサキ)大神といい、その娘には、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)神 が居るとされている。 ★しかし、天之日矛(アメノヒホコ)の子は、多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク) 1人とされている ので、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)神の親の伊豆志之八前(イヅシノヤサキ)大神は、天之日矛 (アメノヒホコ)でなく、天之日矛(アメノヒホコ)と共に渡来した宝物担当者ということになる。 | |
| Q90 | 品陀和気天皇(第15代 応神天皇)の段に、 昔の天之日矛の渡来のことが、記述された訳は? |
| ★第7代 孝霊天皇~第8代 孝元天皇の頃に渡来した、天之日矛(アメノヒホコ)(新羅国王 の子)のことを、品陀和気(ホムダワケ)天皇(第15代 応神天皇)の時に記述したのは、 品陀和気(ホムダワケ)天皇(第15代 応神天皇)が、息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神 功皇后)と帯中津日子(タラシナカツヒコ)天皇(第14代 仲哀天皇)の子でなく、建内宿祢 (タケウチスクネ)大臣Ⅱの子ではないか、との疑いを払拭するために、 息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)の子は、皇后の祖先、天之日矛(アメノヒホコ) (新羅国王の子)の7代下の末裔であり、越前之角鹿(コシサキノツヌガ)(越前国敦賀)の 気比(ケヒ)大神=伊奢沙和気(イザサワケ)大神(天之日矛)の神託で、名前(大鞆和気命 ⇒品陀和気命)を替える等、気比(ケヒ)大神(天之日矛)との繋がりを強調して、 身柄が保証されていることに、すり替えた。 尚、第8代 孝元天皇の4代下の子孫である息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇 后)と同じ孝元天皇の2~4代下の子孫である建内宿祢(タケウチスクネ)とは、親戚関係。 ★息長帯日売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)が、将来生まれる品陀和気(ホムダワケ)天 皇(第15代 応神天皇)の代行として、新羅(シラギ)国を天皇の御馬飼(ミマカヒ)にし、 毎年、貢物をするように定めたので、品陀和気(ホムダワケ)天皇(第15代 応神天皇) の頃は、新羅(シラギ)人の渡来が、急増した。 | |
| Q91 | ①登場時、「神」 に成っている場合・②死後、「神」 に成る場合 がある訳は? |
| ①登場時、「神」 に成っている場合は、伝誦開始以前から地位の高い 「要人」 である。 1.別天神(コトアメカミ)「成神」 【5代5神】 (神世第1代) 天之御中主(アメノミナカヌシ)神、 (神世第2代) 高御産巣日(タカミムスヒ)神⇒高木(タカキ)神(高御産巣日神Ⅲ・Ⅴ)、 (神世第3代) 神産巣日(カミムスヒ)神、 (神世第4代) 宇摩志阿斯訶備比古遅(ウマシアシカビヒコヂ)神、 (神世第5代) 天之常立(アメノトコタチ)神。 2.神世七代(カミヨナナヨ)「成神」 【7代12神】 (神世第6代) 国之常立(クニノトコタチ)神、 (神世第7代) 豊雲上野(トヨクモノヘノ)神、 (神世第8代) 宇比地迩(ウヒヂニ)神、須比智迩(スヒヂニ)神、 (神世第9代) 筒杙(ツツクヒ)神、活杙(イククヒ)神、 (神世第10代) 意冨斗能地(オホトノヂ)神、大斗乃弁(オホトノベ)神、 (神世第11代) 於母陀流(オモダル)神、阿夜訶志古泥(アヤカシコネ)神、 (神世第12代) 伊耶那岐(イヤナキ)神⇒(同名)大神⇒(同名)大御神、 伊耶那美(イヤナミ)神⇒黄泉津(ヨミツ)大神。 3.伊耶那岐(イヤナキ)・伊耶那美(イヤナミ)2神による 「生神」 【35神】 大事忍男(オホコトオシヲ)神、石土毘古(イハツチビコ)神、石巣比売(イハスヒメ)神、 大戸日別(オホトヒワケ)神、天之須男(アメノタダヲ)神、大屋毘古(オホヤビコ)神、 風木津別之忍男(カヤモクツワケノオシヲ)神、大綿津見(オホワタツミ)神、 速秋津日子(ハヤアキツヒコ)神、速秋津比売(ハヤアキツヒメ)神、沫那芸(アワナギ)神、 沫那美(アワナミ)神、頬那芸(ツラナギ)神、頬那美(ツラナミ)神、天之水分(アメノミクマリ)神、 国之水分(クニノミクマリ)神、天之久比奢母智(アメノクヒザモチ)神、 国之久比奢母智(クニノクヒザモチ)神、志那都比古(シナツヒコ)神、久久能智(ククノチ)神、 大山津見(オホヤマツミ)神、野椎(ノツチ)神、天之狭土(アメノサヅチ)神、 天之狭霧(アメノサギリ)神、天之闇戸(アメノクラト)神、大戸或子(オホトマトヒコ)神、 国之狭土(クニノサヅチ)神、国之狭霧(クニノサギリ)神、国之闇戸(クニノクラト)神、 大戸或女(オホトマトヒメ)神、鳥之石楠船(トリノイハクスフネ)神(天鳥船神)、 大冝都比売(オホゲツヒメ)神、火之迦具土(ホノカグヅチ)神、 金山毘古(カナヤマビコ)神、金山毘売(カナヤマビメ)神。 4.伊耶那美(イヤナミ)神による 「成神」 【5神】 波迩夜須毘古(ハニヤスビコ)神、波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)神、弥都波能売(ミツハノメ)神、 和久産巣日(ワクムスヒ)神、豊宇気毘売(トヨウケビメ)神。 5.伊耶那岐(イヤナキ)神による 「成神」 【17神】 泣沢女(ナキサハメ)神、石柝(イハサク)神、根柝(ネサク)神、石筒之男(イハツツノヲ)神、 甕速日(ミカハヤヒ)神、樋速日(ヒハヤヒ)神、建御雷之男(タケミイカヅチノヲ)神、 闇淤加美(クラオカミ)神、闇御津羽(クラミツハ)神、正鹿山津見(マサカヤマツミ)神、 淤縢山津見(オドヤマツミ)神、奧山津見(オクヤマツミ)神、闇山津見(クラヤマツミ)神、 志芸山津見(シギヤマツミ)神、羽山津見(ハヤマツミ)神、原山津見(ハラヤマツミ)神、 戸山津見(トヤマツミ)神。 6.黄泉(ヨミ)神 「神成居」 【8雷神】 大雷(オホイカヅチ)、火雷(ホイカヅチ)、黒雷(クロイカヅチ)、柝雷(サクイカヅチ)、 若雷(ワカイカヅチ)、土雷(ツチイカヅチ)、島雷(シマイカヅチ)、伏雷(フシイカヅチ)。 7.伊耶那岐(イヤナキ)神の禊による 「成神」 【27神】 衝立船戸(ツキタチフナト)神、道之長乳歯(チノナガチハ)神、時量師(トキハカラシ)神、 和豆良比能宇斯能(ワヅラヒノウシノ)神、道俣(チマタ)神、飽咋之宇斯能(アキクヒノウシノ)神、 奥疎(オキザカル)神、奥津那芸佐毘古(オキツナギサビコ)神、 奥津甲斐弁羅(オキツカヒベラ)神、辺疎(ヘザカル)神、辺津那芸佐毘古(ヘツナギサビコ)神、 辺津甲斐弁羅(ヘツカヒベラ)神、八十禍津日(ヤソマガツヒ)神、大禍津日(オホマガツヒ)神、 【禍直し3神】神直毘(カムナホビ)神、大直毘(オホナホビ)神、伊豆能売(イヅノメ)神、 底津綿津見(ソコツワタツミ)神、中津綿津見(ナカツワタツミ)神、上津綿津見(カミツワタツミ)神、 【墨江3大神】底箇之男(ソココノヲ)命、中箇之男(ナカコノヲ)命、上箇之男(カミコノヲ)命、 【3貴子】(神世第13代) 天照(アメテラス)大御神⇒(同名)大御神Ⅱ~Ⅷ 月読(ツキヨミ)命 建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命⇒速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神 ⇒須佐之男(スサノヲ)大神、 【伊耶那岐大神の首飾り珠⇒天照大御神】 御倉板挙神。 8.天照(アメテラス)大御神・建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)命の誓約 【8神】 【3女神】多紀理毘売(タキリビメ)命、市寸島比売(イチキシマヒメ)命、多岐都比売(タキツヒメ)命 【5男神】(神世第13代 天照大御神の太子) 天之忍穂耳(アメノオシホミミ)命、 天之菩卑(アメノホヒ)命、天津日子根(アメツヒコネ)命、活津日子根(イクツヒコネ)命、 熊野久瀬毘(クマノクセビ)命。 9.天照(アメテラス)大御神の復活儀式 【八百万神+7神】 八百万(ヤホヨロヅ)神、思金(オモヒカネ)神⇒常世思金(トコヨオモヒカネ)神、 伊斯許理度売(イシコリドメ)命、玉祖(タマオヤ)命、天児屋(アメコヤ)命、布刀玉(フトタマ)命、 天宇受売(アメウズメ)神、天手力男(アメテチカラヲ)神(手力男神)。 10.速須佐之男(ハヤスサノヲ)命の下野 【14神】 足名椎(アシナヅチ)神⇒稲田宮主須賀之八耳(イナダミヤヌシスガノヤツミミ)神、 手名椎(テナヅチ)神、八島士奴美(ヤシマジヌミ)神、 布波能母遅久奴須奴(フハノモヂクヌスヌ)神、淤加美(オカミ)神、 深渕之水夜礼花(フカフチノミヅヤレハナ)神、天之都度閇知泥(アメノツドヘチネ)神、 淤美豆奴(オミヅヌ)神、布怒豆怒(フノヅノ)神、布帝耳(フテミミ)神、 天之冬衣(アメノフユキヌ)神、刺国(サシクニ)大神、 大国主(オホクニヌシ)神(大穴牟遅神・八千矛神)⇒出雲(イヅモ)大神、 大年(オホトシ)神=御諸(ミモロ)山の神(大物主神)、宇迦之御魂(ウカノミタマ)神。 11.大国主(オホクニヌシ)神の国 【八十神+50神】 八十(ヤソ)神、木俣(キマタ)神、阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神⇒鴨(カモ)大御神、 事代主(コトシロヌシ)神⇒八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)神、八島牟遅能(ヤシマムヂノ)神、 鳥取(トトリ)神、鳥鳴海(トリナルミ)神、 日名照額田毘道男伊許知迩(ヒナテルヌカタビミチヲイコチニ)神、国忍冨(クニオシホ)神、 葦那陀迦(アシナダカ)神、連甕之多気佐波夜遅奴美(ツラミカノタケサハヤヂヌミ)神、 天之甕主(アメノミカヌシ)神、甕主日子(ミカヌシヒコ)神、多比理岐志麻美(タヒリキシマミ)神、 比比羅木之其花麻豆美(ヒヒラキノソノハナマヅミ)神、沼玉前玉比売(ヌタマサキタマヒメ)神、 美呂浪(ミロナミ)神、敷山主(シキヤマヌシ)神、青沼馬沼押比売(アヲヌマヌオシヒメ)神、 布忍冨鳥島海(ヌノオシホトリシマミ)神、若尽女(ワカツクシメ)神、 天日腹大科度美(アメヒハラオホシナドミ)神、天狭霧(アメサギリ)神、遠津待根(トホツマチネ)神、 遠津山岬多良斯(トホツヤマサキタラシ)神、少名毘古那(スクナビコナ)神、 神活須毘(カムイクスビ)神、大国御魂(オホクニミタマ)神、韓(カラ)神、曽冨理(ソホリ)神、 白日(シラヒ)神、聖(ヒジリ)神、大香山戸臣(オホカグヤマトオミ)神、年御(トシミ)神、 奥津日子(オキツヒコ)神、奥津比売(オキツヒメ)神、大山咋(オホヤマクヒ)神、 庭津日(ニハツヒ)神、阿須波(アスハ)神、波比岐(ハヒキ)神、香山戸臣(カグヤマトオミ)神、 羽山戸(ハヤマト)神、庭高津日(ニハタカツヒ)神、大土(オホツチ)神、若山咋(ワカヤマクヒ)神、 若年(ワカトシ)神、若沙那売(ワカサナメ)神、弥豆麻岐(ミヅマキ)神、夏高津日(ナツタカツヒ)神、 秋毘売(アキビメ)神、久久年(ククトシ)神、久久紀若室葛根(ククキワカムロツナネ)神。 12.天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)による葦原中国平定 【20神】 天津国玉(アメツクニタマ)神、天之尾羽張(アメノヲハバリ)神、天之加久(アメノカク)神、 建御名方(タケミナカタ)神、櫛八玉(クシヤタマ)神、猿田毘古(サルタビコ)神⇒(同名)大神、 登由宇気(トユウケ)神、天石門別(アメイハトワケ)神、塩椎(シオツチ)神、綿津見(ワタツミ)大神、 佐士布都(サジフツ)神、天之御影(アメノミカゲ)神、宇陀墨坂(ウダスミサカ)神、 河瀬(カハセ)神、大坂(オホサカ)神、坂之御尾(サカノミヲ)神、 伊豆志之八前(イヅシノヤサキ)大神、伊豆志袁登売(イヅシヲトメ)神、 秋山之下氷壮夫(アキヤマノシモヒヲトコ)神、春山之霞壮夫(ハルヤマノカスミヲトコ)神。 ②死後、「神」 又は 「神」 のようなものに成る例は、次の通り。 1.上巻(神世)の黄泉(ヨミ)坂を塞ぐ岩(兵士)⇒道返(チガヘシ)之大神として顕彰。 2.上巻(神世)の因幡(イナバ)の白兎(シロウ)⇒兎(ウ)神として顕彰。 3.上巻(神世)の火遠理(ホヲリ)命を送る一尋(ヒロ)鰐鮫⇒鉏持(サヒモチ)神として顕彰。 4.中巻(神人世)の天之日矛(アメノヒホコ)⇒伊奢沙和気(イザサワケ)大神として顕彰。 5.中巻(神人世)の難波(ナニハ)の阿加流比売(アカルヒメ)⇒(同名)神として顕彰。 6.中巻(神人世)の倭建(ヤマトタケル)命⇒八尋白智鳥(ヤヒロシロチトリ)になったとして顕彰。 死後、「神」 にして祀る手法は、後世、非業の死に至らしめた者の関係者や一族達 の反発を封じるためにも、多用されることになる。 ③登場以来、「神」 と言わない例は、次の通り。 尚、中巻(神人世)の 「天皇」 は、「神」 の進化形。 淡道之穂之狭別(アハヂノホノサワケ)、愛比売(エヒメ)、飯依比古(イヒヨリヒコ)、 大冝都比売(オホゲツヒメ)⇒(同名)Ⅱ、 建依別(タケヨリワケ)、天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)、白日別(シラヒワケ)、 豊日別(トヨヒワケ)、建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)、 建日別(タケヒワケ)、天比登都柱(アメヒトツハシラ)、天之狭手依比売(アメノサデヨリヒメ)、 天御虚空豊秋津根別(アメミソラトヨアキツネワケ)、建日方別(タケヒカタワケ)、 大野手比売(オホノテヒメ)、大多麻流別(オホタマルワケ)、天一根(アメヒトネ)、 天之忍男(アメノオシヲ)、天両屋(アメフタヤ)、黄泉醜女(ヨミシコメ)、 意冨加牟豆美(オホカムヅミ)命、宇都志日金柝(ウツシヒカナサク)命、天津麻羅(アメツマラ)、 八俣遠呂知(ヤマタヲロチ)、櫛名田比売(クシナダヒメ)、木花知流比売(コノハナチルヒメ)、 日河比売(ヒカハヒメ)、刺国若比売(サシクニワカヒメ)、神大市比売(カムオホイチヒメ)、 八上比売(ヤカミヒメ)、𧏛貝比売(キサカイヒメ)、蛤貝比売(ウムカイヒメ)、 須勢理毘売(スセリビメ)、沼河比売(ヌナカハヒメ)、下照比売(シタテルヒメ)命、 神屋楯比売(カムヤタテヒメ)命、前玉比売(サキタマヒメ)、比那良志毘売(ヒナラシビメ)、 久延毘古(クエビコ)、伊怒比売(イノヒメ)、香用比売(カグヨヒメ)、 天知迦流美豆比売(アメチカルミヅヒメ)、天若日子(アメワカヒコ)、鳴女(ナキメ)、 天佐具売(アメサグメ)、河雁(カハカリ)、鷺(サギ)、翠鳥(ソニトリ)、雀(スズメ)、雉(キジ)。 (神世第14代) 迩迩芸(ニニギ)命、天忍日(アメオシヒ)命、天津久米(アメツクメ)命、 木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)、石長比売(イハナガヒメ)、 火照(ホデリ)命(海佐知毘古)、火須勢理(ホスセリ)命。 (神世第15代) 火遠理(ホヲリ)命(山佐知毘古)、豊玉毘売(トヨタマビメ)命、 鵜草葺不合(ウカヤフキアヘズ)命、玉依毘売(タマヨリビメ)命、五瀬(イツセ)命、 稲氷(イナヒ)命、御毛沼(ミケヌ)命。 (第1代 神武天皇) 若御毛沼(ワカミケヌ)命⇒神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)天皇、 宇沙都比古(ウサツヒコ)、宇沙都比売(ウサツヒメ)、槁根津日子(サオネツヒコ)、 登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)、高倉下(タカクラジ)、八咫烏(ヤタカラス)、 贄特之子(ニヘノミノコ)、井氷鹿(イヒカ)、石押分之子(イハオシワクノコ)、兄宇迦斯(エウカシ)、 弟宇迦斯(オトウカシ)、道臣(ミチオミ)命、大久米(オホクメ)命、迩芸速日(ニギハヤヒ)命、 登美夜毘売(トミヤビメ)、宇麻志麻遅(ウマシマヂ)命、阿比良比売(アヒラヒメ)、 当芸志美美(タギシミミ)命、岐須美美(キスミミ)命、三島湟咋(ミシマミゾクヒ)、 勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)、比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)、 日子八井(ヒコヤイ)命、神八井耳(カムヤイミミ)命。 (第2代 綏靖天皇) 神沼河耳(カムヌナカハミミ)命⇒(同名)天皇、河俣毘売(カハマタビメ)。 (第3代 安寧天皇) 師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)命⇒(同名)天皇、波延(ハエ)、 阿久斗比売(アクトヒメ)、常根津日子伊呂泥(トコネツヒコイロネ)命、師木津日子(シキツヒコ)命、 孫(ウマゴ)、和知都美(ワチツミ)命、 蠅伊呂泥(ハヘイロネ)⇒意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ)命、 蠅伊呂抒(ハヘイロド)。 (第4代 懿徳天皇) 大倭日子鉏友(オホヤマトヒコスキトモ)命⇒(同名)天皇、 賦登麻和訶比売(フトマワカヒメ)命、多芸志比古(タギシヒコ)命。 (第5代 孝昭天皇) 御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシネ)命⇒(同名)天皇、 奥津余曽(オキツヨソ)、余曽多本毘売(ヨソタホビメ)、天押帯日子(アメオシタラシヒコ)命。 (第6代 孝安天皇) 大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命⇒(同名)天皇、 忍鹿比売(オシカヒメ)命、大吉備諸進(オホキビモロススミ)命。 (第7代 孝霊天皇) 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命⇒(同名)天皇、 大目(オホメ)、細比売(ホソヒメ)命、千千速真若比売(チチハヤマワカヒメ)、 千千速比売(チチハヤヒメ)、夜麻登登母母曽毘売(ヤマトトモモソビメ)命、 日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命、大吉備津日子(オホキビツヒコ)命(比古伊佐勢理毘古命)、 倭飛羽矢若屋比売(ヤマトトビハヤワカヤヒメ)、日子寤間(ヒコサメマ)命、 若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命。 (第8代 孝元天皇) 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命⇒(同名)天皇、 内色許男(ウチシコヲ)命、内色許売(ウチシコメ)、大毘古(オホビコ)命、 少名日子建猪心(スクナヒコタケイココロ)命、伊迦賀色許売(イカガシコメ)命、 比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命、河内青玉(カハチアヲタマ)、 波迩夜須毘売(ハニヤスビメ)、建波迩夜須毘古(タケハニヤスビコ)命(建波迩安皇子)、 建沼河別(タケヌナカハワケ)命、比古伊那許士別(ヒコイナコシワケ)命、意冨那毘(オホナビ)、 高千那毘売(タカチナビメ)、味師内宿祢(ウマシウチスクネ)、宇豆比古(ウヅヒコ)、 山下影日売(ヤマシモカゲヒメ)、建内宿祢(タケウチスクネ)⇒(同名)大臣Ⅱ、 波多八代宿祢(ハタヤシロスクネ)、許勢小柄宿祢(コセヲカラスクネ)、 蘇賀石河宿祢(ソガイシカハスクネ)、平群都久宿祢(ヘグリツクスクネ)、木角宿祢(キツノスクネ)、 久米能摩伊刀比売(クメノマイトヒメ)、怒能伊呂比売(ノノイロヒメ)、 葛城長江曽都毘古(カツラギナガエソツビコ)、若子宿祢(ワクゴスクネ)。 (第9代 開化天皇) 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命⇒(同名)天皇、 由碁理(ユゴリ)、竹野比売(タケノヒメ)、比古由牟須美(ヒコユムスミ)命、 御真津比売(ミマツヒメ)命、日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命、意祁都比売(オケツヒメ)命、 日子坐(ヒコイマス)皇子、垂見宿祢(タルミスクネ)、差羽比売(サシバヒメ)、 建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)皇子、大筒木垂根(オホツツキタリネ)皇子、 讃岐垂根(サヌキタリネ)皇子、荏名津比売(エナツヒメ)、大俣(オホマタ)皇子、 小俣(ヲマタ)皇子、志夫美宿祢(ジブミスクネ)皇子、春日建国勝戸売(カスガタケクニカツトメ)、 大闇見戸売(オホクラミトメ)、沙本毘古(サホビコ)皇子、袁耶本(ヲヤホ)皇子、 沙本毘売(サホビメ)命、室毘古(ムロビコ)皇子、息長水依比売(オキナガミヅヨリヒメ)、 丹波比古多多須美知能宇斯(タニハヒコタタスミチノウシ)皇子、 水穂(ミヅホ)の真若(マワカ)皇子、神大根(カムオホネ)皇子、 水穂(ミヅホ)五百依比売(イホヨリヒメ)、御井津比売(ミイツヒメ)、袁祁都比売(ヲケツヒメ)命、 大筒木真若(オホツツキマワカ)皇子、比古意須(ヒコオス)皇子、伊理泥(イリネ)皇子、 曙立(アケタツ)皇子、菟上(ウナカミ)皇子、摩須郎女(マスイラツメ)、 比婆須比売(ヒバスヒメ)命(兄比売命)⇒(同名)皇后、 真砥野比売(マトノヒメ)命(円野比売命)、 沼羽田之入毘売(ヌバタノイリビメ)命(弟比売命)、 朝遅別(アサヂワケ)皇子、阿治佐波毘売(アヂサハビメ)、迦迩米雷(カニメイカヅチ)皇子、 高桟比売(タカキヒメ)、息長宿祢(オキナガスクネ)皇子、高額比売(タカヌカヒメ)、 虚空津比売(ソラツヒメ)命、息長日子(オキナガヒコ)皇子、河俣稲依毘売(カハマタイナヨリビメ)、 大多牟坂(オホタムサカ)皇子。 (第10代 崇神天皇) 御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニエ)命⇒(同名)天皇、 荒河刀弁(アラカハトベ)、遠津年魚目目微比売(トホツアユメマクハシヒメ)、 豊木入日子(トヨキイリヒコ)命、豊鉏入日売(トヨスキイリヒメ)命、意冨阿麻比売(オホアマヒメ)、 大入杵(オホイリキ)命、八坂之入日子(ヤサカノイリヒコ)命、 沼名木之入日売(ヌナキノイリヒメ)命、十市之入日売(トヲチノイリヒメ)命、 伊耶能真若(イヤノマワカ)命、国片比売(クニカタヒメ)命、千千都久和比売(チチツクワヒメ)命、 伊賀比売(イガヒメ)命、倭日子(ヤマトヒコ)命、意冨多多泥古(オホタタネコ)、 陶津耳(スエツミミ)命、活玉依毘売(イクタマヨリビメ)、櫛御方(クシミカタ)命、 飯肩須見(イヒカタスミ)命、建甕𣟧(タケミカヒシ)命、伊迦賀色許男(イカガシコヲ)命、 玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)、日子国夫玖(ヒコクニブク)命。 (第11代 垂仁天皇) 伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命⇒(同名)天皇、 本牟智和気(ホムチワケ)命、印色之入日子(イニシキノイリヒコ)命、 大中津日子(オホナカツヒコ)命、倭比売(ヤマトヒメ)命、若木入日子(ワカキイリヒコ)命、 阿耶美能伊理毘売(アヤミノイリビメ)命(歌凝比売命)、伊許婆夜和気(イコバヤワケ)命、 沙本穴太部之別(サホアナホベノワケ)、阿耶美都比売(アヤミツヒメ)命、 稲瀬毘古(イナセビコ)皇子、大筒木垂根(オホツツキタリネ)皇子、迦具夜比売(カグヤヒメ)命、 袁耶弁(ヲヤベ)皇子、山背大(ヤマシロオホ)国の渕(フチ)、苅羽田刀弁(カリハタトベ)、 落別(オチワケ)皇子、五十日帯日子(イソカタラシヒコ)皇子、伊登志別(イトシワケ)皇子、 弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)、石衝別(イハツクワケ)皇子、石衝毘売(イハツクビメ)命、 山辺之大鶙(ヤマヘノオホタカ)、岐比佐都美(キヒサツミ)、肥長比売(ヒナガヒメ)、 多遅摩毛理(タヂマモリ)。 (第12代 景行天皇) 大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命⇒(同名)天皇、 伊那毘能大郎女(ハリマノイナビノオホイラツメ)、櫛甬別(クシツネワケ)皇子、大碓(オホウス)命、 倭根子(ヤマトネコ)命、神櫛(カムクシ)皇子、八尺入日子(ヤサカイリヒコ)命、 八坂之入日売(ヤサカノイリヒメ)命、五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命、押別(オシワケ)命、 五百木之入日売(イホキノイリヒメ)命、豊戸別(トヨトワケ)皇子、沼代郎女(ヌシロイラツメ)、 沼名木郎女(ヌナキイラツメ)、香余理比売(カグヨリヒメ)命、 若木之入日子(ワカキノイリヒコ)皇子、吉備之兄日子(キビノエヒコ)皇子、 高木比売(タカキヒメ)命、弟比売(オトヒメ)命、日向之美波迦斯毘売(ヒムカノミハカシビメ)、 豊国別(トヨクニワケ)皇子、伊那毘能若郎女(イナビノワカイラツメ)、真若(マワカ)皇子、 日子人之大兄(ヒコヒトノオホエ)皇子、須売伊呂大中日子(スメイロオホナカツヒコ)皇子、 訶具漏比売(カグロヒメ)、大枝(オホエ)皇子、大根(オホネ)皇子、 兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)、押黒之兄日子(オシクロノエヒコ)皇子、 美濃宇泥須和気(ミノウネスワケ)、押黒弟日子(オシクロオトヒコ)皇子、熊曽建(クマソタケル)、 熊曽建(クマソタケル)(弟)=弟建(オトタケル)、出雲建(イヅモタケル)、 御鉏友耳建日子(ミスキトモミミタケヒコ)、美夜受比売(ミヤズヒメ)、 弟橘比売(オトタチバナヒメ)皇后、七拳脛(ナナツカハギ)、 布多遅能伊理毘売(フタヂノイリビメ)命、若建(ワカタケル)皇子、意冨多牟和気(オホタムワケ)、 布多遅比売(フタヂヒメ)、稲依別(イナヨリワケ)皇子、建日子(タケヒコ)、 大吉備建比売(オホキビタケヒメ)、建見兒(タケミコ)皇子、玖玖麻毛理比売(ククマモリヒメ)、 足鏡別(アシカガミワケ)皇子、息長田別(オキナガタワケ)皇子、 棧俣長日子(キマタナガヒコ)皇子、飯野真黒比売(イヒノマクロヒメ)命、 息長真若中比売(オキナガマワカナカヒメ)、弟比売(オトヒメ)、飯野真黒比売(イヒノマクロヒメ)、 須売伊呂大中日子(スメイロオホナカヒコ)皇子、柴野入杵(シバノイリキ)、柴野比売(シバノヒメ)、 迦具漏比売(カグロヒメ)命、大江(オホエ)皇子、銀(シロカネ)皇女、大名方(オホナカタ)皇子、 大中比売(オホナカヒメ)命。 (第13代 成務天皇) 若帯日子(ワカタラシヒコ)命⇒(同名)天皇、 建忍山垂根(タケオシヤマタリネ)、弟財郎女(オトタカライラツメ)、和訶奴気(ワカヌケ)皇子。 (第14代 仲哀天皇) 帯中津日子(タラシナカツヒコ)命⇒(同名)天皇⇒暗殺される ⇒祟りを畏れ、神功皇后の祖先の天之日矛(アメノヒホコ)=伊奢沙和気(イザサワケ)大神 (気比神社)(越前国敦賀)に、神功皇后・建内宿祢(タケウチスクネ)大臣Ⅱと合祀。 忍熊(オシクマ)皇子、息長帯比売(オキナガタラシヒメ)皇后(神功皇后)、 品夜和気(ホムヤワケ)命、伊佐比宿祢(イサヒスクネ)、 難波根子建振熊(ナニハネコタケフルクマ)命。 (第15代 応神天皇) 品陀和気(ホムダワケ)命⇒(同名)天皇、 品陀真若(ホムダマワカ)皇子、高木之入日売(タカキノイリヒメ)命、 額田大中日子(ヌカタオホナカヒコ)命、大山守(オホヤマモリ)命、 伊奢之真若(イザノマワカ)命、妹大原郎女(イモオホハライラツメ)、 高目郎女(コムクイラツメ)、中日売(ナカヒメ)命、木之荒田郎女(キノアラタイラツメ)、 大雀(オホサザキ)命(⇒第16代 仁徳天皇)、根鳥(ネトリ)命、弟日売(オトヒメ)命、 阿倍郎女(アベイラツメ)、阿貝知能三腹郎女(アハチノミハライラツメ)、 木之菟野郎女(キノウノイラツメ)、美濃郎女(ミノイラツメ)、建伊那陀宿祢(タケイナダスクネ)、 志理都紀斗売(シリツキトメ)、比布礼能意冨美(ヒフレノオホミ)、 宮主矢河枝比売(ミヤヌシヤカハエヒメ)、宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)、 妹八田若郎女(イモヤタワカイラツメ)、女鳥(メトリ)皇子、袁那弁郎女(ヲナベイラツメ)、 宇遅之若郎女(ウヂノワカイラツメ)、咋毛俣長日子(クヒケマタナガヒコ)皇子、 息長真若中比売(オキナガマワカナカヒメ)、若沼毛二俣(ワカヌケフタマタ)皇子、 島垂根(シマタリネ)、糸井比売(イトイヒメ)、速総別(ハヤフサワケ)命、泉長比売(イズナガヒメ)、 大羽江(オホハエ)皇子、小羽江(ヲハエ)皇子、樯日之若郎女(ホバシラヒノワカイラツメ)、 川原田郎女(カハラタイラツメ)、玉郎女(タマイラツメ)、忍坂大中比売(オサカオホナカヒメ)、 登冨志郎女(トホシイラツメ)、迦多遅(カタヂ)皇子、野伊呂売(ノイロメ)、 伊奢能麻和迦(イザノマワカ)皇子、髪長比売(カミナガヒメ)、 (百済国) 照古(ショウコ)王、阿知吉師(アチキシ)、和迩吉師(ワニキシ)、 (百済国) 卓素(タクソ)、西素(サイソ)、須須許理(ススコリ)、 (新羅国) 阿具奴麻(アグヌマ)、 多遅摩之俣尾(タヂマノマタヲ)、前津見(サキツミ)、多遅摩母呂須玖(タヂマモロスク)、 多遅摩斐泥(タヂマヒネ)、多遅摩比那良岐(タヂマヒナラキ)、多遅摩比多訶(タヂマヒタカ)、 清日子(キヨヒコ)、当摩之咩斐(タイマノメヒ)、酢鹿之諸男(スカノモロヲ)、 菅竃由良度美(スガカマユラドミ)、弟日売真若比売(オトヒメマワカヒメ)命、 意冨冨杼(オホホド)皇子、忍坂之大中津比売(オサカノオホナカツヒメ)命、 田井之中比売(タイノナカヒメ)、田宮之中比売(タミヤノナカヒメ)、 藤原之琴節郎女(フヂハラノコトフシイラツメ)、取売(トリメ)皇子、沙祢(サネ)皇子、 三腹郎女(ミハライラツメ)、中日子(ナカヒコ)皇子、伊和島(イワシマ)皇子、久奴(クヌ)皇子。 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| Q92 | 「神」・「大神」・「大御神」 がある訳は? |
| ★「神」⇒「大神」⇒「大御神」 の順に昇格する 「神」 の位を表す。 伊耶那岐(イヤナキ)神⇒伊耶那岐(イヤナキ)大神⇒伊耶那岐(イヤナキ)大御神、 伊耶那美(イヤナミ)神⇒黄泉津(ヨミツ)大神=道敷(チシキ)大神、 【墨江3大神】底箇之男(ソココノヲ)命、中箇之男(ナカコノヲ)命、上箇之男(カミコノヲ)命、 天照(アメテラス)大御神⇒天照(アメテラス)大御神Ⅱ~Ⅷ 建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)神⇒速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神⇒須佐之男(スサノヲ)大神、 刺国(サシクニ)大神、 大国主(オホクニヌシ)神(大穴牟遅神・八千矛神)⇒出雲(イヅモ)大神、 阿遅鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)神⇒鴨(カモ)大御神、 猿田毘古(サルタビコ)神⇒猿田毘古(サルタビコ)大神、 綿津見(ワタツミ)大神、 (新羅国) 天之日矛(アメノヒホコ)⇒伊奢沙和気(イザサワケ)大神(気比大神)、 伊豆志之八前(イヅシノヤサキ)大神、 黄泉(ヨミ)坂を塞ぐ岩(兵士)⇒道返(チガヘシ)之大神。 ★「大御神」 3神は、伊耶那岐(イヤナキ)大御神、天照(アメテラス)大御神、鴨(カモ)大御神。 伊耶那岐(イヤナキ)神は、死去した伊耶那美(イヤナミ)神が、黄泉津(ヨミツ)大神(道敷大神) に成ったことに対抗して、竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良)に到着後、「大神」 に 昇格し、その後、自分と天照(アメテラス)命(長女)を、黄泉津(ヨミツ)大神(道敷大神)の 「大神」 より上位の 「大御神」 にし、伊耶那美(イヤナミ)神の才能を受け継ぐ天照 (アメテラス)大御神を、自分の後継者として、王権を譲ると共に、弟達の月読(ツキヨミ)命 (長男)と建速須佐之(タケハヤスサノヲ)命(次男)の 「神」 位と差別化した。 鴨(カモ)大御神は、出雲始祖 須佐之男(スサノヲ)大神、出雲第1世 八島士奴美(ヤシマジヌミ) 神と続く葦原中(アシハラナカ)国(出雲)で、出雲第6世 大国主(オホクニヌシ)神が、宗像(ムナカ タ)の多紀理毘売(タキリビメ)命を娶り、生んだ子の出雲第7世 阿遅鉏高日子根(アヂスキタ カヒコネ)神の別名であり、出雲第6世 大国主(オホクニヌシ)神が、この神を後継者にした時、 敵方、天照(アメテラス)大御神(天照Ⅳ)に対抗して、鴨(カモ)大御神にした。 しかし、建御雷之男(タケミカヅチノヲ)神による葦原中国(出雲)平定(第3次)があった時 には、既に戦死していて、出雲第8世 八重事代主(ヤヘコトシロヌシ)神に代っていた。 | |
| Q93 | 中巻(神人世)の 「天皇」 の称号が、意味するものは? |
| ★中巻(神人世)の 「天皇」 は、上巻(神世)の 「神」・「大神」 のような地位を表し、 第1代 神武天皇~第9代 開化天皇では、死後、「天皇」(スメロキ)に昇格するが、 第10代 崇神天皇~は、現神(アキツカミ)として、生前から 「天皇」(スメラミコト)と呼ばれる。 1.死後、「天皇」 と称する場合 【第1代 神武天皇~第9代 開化天皇】 (第1代 神武天皇) 若御毛沼(ワカミケヌ)命⇒神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)天皇、 (第2代 綏靖天皇) 神沼河耳(カムヌナカハミミ)命⇒(同名)天皇、 (第3代 安寧天皇) 師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)命⇒(同名)天皇、 (第4代 懿徳天皇) 大倭日子鉏友(オホヤマトヒコスキトモ)命⇒(同名)天皇、 (第5代 孝昭天皇) 御真津日子訶恵志泥(ミマツヒコカエシネ)命⇒(同名)天皇、 (第6代 孝安天皇) 大倭帯日子国押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命⇒(同名)天皇、 (第7代 孝霊天皇) 大倭根子日子賦斗迩(オホヤマトネコヒコフトニ)命⇒(同名)天皇、 (第8代 孝元天皇) 大倭根子日子国玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命⇒(同名)天皇、 (第9代 開化天皇) 若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命⇒(同名)天皇。 2.生前から、「天皇」 と称する場合 【第10代 崇神天皇~第15代 応神天皇】 (第10代 崇神天皇) 御真木入日子印恵(ミマキイリヒコイニエ)命⇒(同名)天皇、 (第11代 垂仁天皇) 伊久米伊理毘古伊佐知(イクメイリビコイサチ)命⇒(同名)天皇、 (第12代 景行天皇) 大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命⇒(同名)天皇、 (第13代 成務天皇) 若帯日子(ワカタラシヒコ)命⇒(同名)天皇、 (第14代 仲哀天皇) 帯中津日子(タラシナカツヒコ)命⇒(同名)天皇、 (第15代 応神天皇) 大鞆和気(オホトモワケ)命⇒品陀和気(ホムダワケ)命⇒(同名)天皇。 | |
| Q94 | 天皇になった天族が、大和国で頻繁に遷都する訳は? |
| ★大和(ヤマト)国には大河が無く、厠(川屋)の浄化が難しいため、天皇になった天族は、 大和(ヤマト)国でほぼ1回/1代、清浄な地に遷都している。 第1代 神武天皇~第8代 孝元天皇の時の都が、元、大(オホ)国の都(大和国山辺纒向) から遠い高市(タケチ)郡、葛上(カツラギカミ)郡、城下(シキシモ)郡であったのに対し、 第9代 開化天皇~第12代 景行天皇の代には、元、大(オホ)国の都(大和国山辺纒向) に近い添上(ソフカミ)郡、城上(シキカミ)郡、山辺(ヤマベ)郡に、都を移している。 1.上巻(神世)における遷都 (神世第1代 天之御中主神~神世第15代 火遠理命) 佐度(山島)(サト)島(韓地巨済島) ⇒壱岐(イキ)島(壱岐) (神世第6代 国之常立神) ⇒筑紫(ツクシ)島の竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良) (神世第14代 迩迩芸命) 2.中巻(神人世)における遷都 (第1代 神武天皇~第15代 応神天皇) 竺紫日向(チクシヒナタ)(筑紫国早良) ⇒畝傍之橿原(ウネビノカシハラ)宮(大和国高市) (第1代 神武天皇) ⇒葛城高岡(カツラギタカオカ)宮(大和国葛上高宮) (第2代 綏靖天皇) ⇒片塩浮穴(カタシオウキアナ)宮(大和国高市) (第3代 安寧天皇) ⇒軽之境岡(カルノサカヒオカ)宮(大和国高市) (第4代 懿徳天皇) ⇒葛城掖上(カツラギワキカミ)宮(大和国葛上) (第5代 孝昭天皇) ⇒葛城室之秋津島(カツラギムロノアキツシマ)宮(大和国葛上牟婁) (第6代 孝安天皇) ⇒黒田廬戸(クロタイオト)宮(大和国城下黒田) (第7代 孝霊天皇) ⇒軽之境原(カルノサカヒハラ)宮(大和国高市) (第8代 孝元天皇) ⇒春日之伊耶川(カスガノイヤカハ)宮(大和国添上春日) (第9代 開化天皇) ⇒磯城水垣(シキミヅカキ)宮(大和国城上) (第10代 崇神天皇) ⇒磯城玉垣(シキタマカキ)宮(大和国城上) (第11代 垂仁天皇) ⇒纒向之日代(マキムクノヒシロ)宮(大和国山辺) (第12代 景行天皇) ⇒近淡海(チカツアフミ)志賀高穴穂(シガタカアナホ)宮(近江国滋賀) (第13代 成務天皇) ⇒穴門之豊浦(アナトノトユラ)宮(長門国豊浦) (第14代 仲哀天皇) ⇒筑紫訶志比(ツクシカシヒ)宮(筑紫国糟屋香椎) (第14代 仲哀天皇) ⇒軽島之明(カルシマノアキラ)宮(大和国高市) (第15代 応神天皇) | |
| Q95 | 祖先の名前が、列挙されている訳は? | |
| ★「連」・「君」・「臣」・「国造」・「造」・「県主」・「県直」・「直」・「首」・「稲寸」・「稲置」・「別」・ 「和気」・「部」・「史」 のような役職が、各祖先から特定氏族に世襲されたことを示す。 祖先の氏族数ランキング(上・中巻合計)のベスト10は、次の通り。 1.第12代 景行天皇系 85 6.誓約5男神の天津日子根命+天之菩卑命 18 2.第8代 孝元天皇系 34 7.第5代 孝昭天皇系 17 3.第1代 神武天皇系 23 8.第15代 応神天皇系 16 4.第9代 開化天皇系 23 9.第7代 孝霊天皇系 9 5.第11代 垂仁天皇系 19 10.迩迩芸命系 8 ★しかし、次の9氏には祖先が複数あり、氏族系譜が断絶したその都度、養子縁組等に より更新されたか、大氏族であるが故の混乱(複数伝承)か、何れかと思われる。 No.8出雲国造(イヅモクニミヤツコ)、No.9木国造(キクニミヤツコ)、No.25大伴連(オホトモムラジ) No.26久米直(クメアタヘ)、 No.36穂積臣(ホヅミオミ)、No.57雀部臣(サザキベオミ) No.66尾張連(ヲハリムラジ)、 No.123和迩臣(ワニオミ)、 No.178吉備臣(キビオミ) | ||
| No. | 子孫(氏族) | 祖先名 |
| 1 | 阿曇連(アヅミムラジ) | ● 大綿津見(オホワタツミ)神の子孫、 綿津見(ワタツミ)神の子、 宇都志日金柝(ウツシヒカナサク)命 |
| 2 | 武蔵国造(ムサシクニミヤツコ) | ● 誓約5男神の1人、 天之菩卑(アメノホヒ)命の子、 建比良鳥(タケヒラトリ)命 |
| 3 | 上菟上国造(カミウナカミクニミヤツコ) | |
| 4 | 下菟上国造(シモウナカミクニミヤツコ) | |
| 5 | 伊自牟国造(イジムクニミヤツコ) | |
| 6 | 対馬県直(ツシマアガタアタヘ) | |
| 7 | 遠江国造(トホアフミクニミヤツコ) | |
| 8 | 出雲国造(イヅモクニミヤツコ) | ● 誓約5男神の1人、 天之菩卑(アメノホヒ)命の子、 建比良鳥(タケヒラトリ)命 ● 第11代 垂仁天皇の子、 本牟智和気(ホムチワケ)命の従者、 岐比佐都美(キヒサツミ) |
| 9 | 木国造(キクニミヤツコ) | ● 誓約5男神の1人、 天津日子根(アメツヒコネ)命 ● 第8代 孝元天皇の孫、 比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命の后、 山下影日売(ヤマシモカゲヒメ)の兄、 宇豆比古(ウヅヒコ) |
| 10 | 凡川内国造(オフシカフチクニミヤツコ) | ● 誓約5男神の1人、 天津日子根(アメツヒコネ)命 |
| 11 | 額田部湯坐連(ヌカタベユエムラジ) | |
| 12 | 大和田中直(ヤマトタナカアタヘ) | |
| 13 | 山背国造(ヤマシロクニミヤツコ) | |
| 14 | 馬来田国造(マクタクニミヤツコ) | |
| 15 | 怡土国造(イトクニミヤツコ) | |
| 16 | 道尻岐閇国造(ミチシリキヘクニミヤツコ) | |
| 17 | 大和俺遠高市県主 (ヤマトオレトホタケチアカタヌシ) |
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| 18 | 蒲生稲寸(カマフイナキ) | |
| 19 | 三枝部造(サエクサベミヤツコ) | |
| 20 | 中臣連(ナカトミムラジ) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の従者、 天児屋(アメコヤ)命 |
| 21 | 忌部首(インベオビト) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の従者、 布刀玉(フトタマ)命 |
| 22 | 猿女(サルメ)君 | ● 迩迩芸(ニニギ)命の従者、 天宇受売(アメウズメ)命 |
| 23 | 作鏡連(ツクリカガミムラジ) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の従者、 伊斯許理度売(イシコリドメ)命 |
| 24 | 玉祖連(タマオヤムラジ) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の従者、 玉祖(タマオヤ)命 |
| 25 | 大伴連(オホトモムラジ) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の軍人、 天忍日(アメオシヒ)命 ● 第1代 神武天皇の軍人、 道臣(ミチオミ)命 |
| 26 | 久米直(クメアタヘ) | ● 迩迩芸(ニニギ)命の軍人、 天津久米(アメツクメ)命 ● 第1代 神武天皇の軍人、 大久米(オホクメ)命 ● 第12代 景行天皇の子、 倭建(ヤマトタケル)命の料理人、 七拳脛(ナナツカハギ) |
| 27 | 隼人阿多(ハヤトアタ)君 | ● 迩迩芸(ニニギ)命の子、 火照(ホデリ)命 |
| 28 | 大和国造(ヤマトクニミヤツコ) | ● 速吸門(ハヤスイト)の漁師、 槁根津日子(サオネツヒコ) |
| 29 | 阿陀之鵜飼(アダノウカヒ) | ● 吉野(ヨシノ)川下(大和国宇智阿陀) の漁師、贄特之子(ニヘノミノコ) |
| 30 | 吉野首(ヨシノオビト) | ● 吉野(ヨシノ)川上(大和国吉野賀美井光) の猟師、井氷鹿(イヒカ) |
| 31 | 吉野国栖(ヨシノクズ) | ● その先の山(大和国吉野国栖)の猟師、 石押分之子(イハオシワクノコ) |
| 32 | 宇陀(ウダ) | ● 宇陀(ウダ)の豪族、 弟宇迦斯(オトウカシ) |
| 33 | 水取(モヒトリ) | |
| 34 | 物部連(モノベムラジ) | ● 大和(ヤマト)の豪族、 迩芸速日(ニギハヤヒ)命の子、 宇麻志麻遅(ウマシマヂ)命 |
| 35 | 婇臣(ウネオミ) | |
| 36 | 穂積臣(ホヅミオミ) | ● 大和(ヤマト)の豪族、 迩芸速日(ニギハヤヒ)命の子、 宇麻志麻遅(ウマシマヂ)命 ● 第8代 孝元天皇の后、 内色許売(ウチシコメ)の兄、 内色許男(ウチシコヲ)命 ● 第13代 成務天皇の后、 弟財郎女(オトタカライラツメ)の父、 建忍山垂根(タケオシヤマタリネ) |
| 37 | 茨田連(ウマラタムラジ) | ● 第1代 神武天皇の子、 日子八井(ヒコヤイ)命 |
| 38 | 手島連(テシマムラジ) | |
| 39 | 意冨臣(オホオミ) | ● 第1代 神武天皇の子、 神八井耳(カムヤイミミ)命 |
| 40 | 小子部連(チヒサコベムラジ) | |
| 41 | 坂井部連(サカヒベムラジ) | |
| 42 | 火(ホ)君 | |
| 43 | 大分(オホキダ)君 | |
| 44 | 阿蘇(アソ)君 | |
| 45 | 筑紫三家連(ツクシミヤケムラジ) | |
| 46 | 雀部造(サザキベミヤツコ) | |
| 47 | 小長谷造(ヲハセミヤツコ) | |
| 48 | 都祁直(ツケアタヘ) | |
| 49 | 伊予国造(イヨクニミヤツコ) | |
| 50 | 信濃国造(シナノクニミヤツコ) | |
| 51 | 陸奥磐城国造 (ミチノクイハキクニミヤツコ) |
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| 52 | 常陸仲国造(ヒタチナカクニミヤツコ) | |
| 53 | 長狭国造(ナガサクニミヤツコ) | |
| 54 | 伊勢舟木直(イセフナキアタヘ) | |
| 55 | 尾張丹波臣(ヲハリニハオミ) | |
| 56 | 島田臣(シマタオミ) | |
| 57 | 雀部臣(サザキベオミ) | ● 第1代 神武天皇の子、 神八井耳(カムヤイミミ)命 ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 許勢小柄宿祢(コセヲカラスクネ) |
| 58 | 磯城県主(シキアガタヌシ) | ● 第2代 綏靖天皇の后 県主(アガタヌシ)波延(ハエ)の妹、 河俣毘売(カハマタビメ) |
| 59 | 伊賀須知稲置(イガスチイナキ) | ● 第3代 安寧天皇の孫、 孫(ウマゴ) |
| 60 | 那婆理稲置(ナバリイナキ) | |
| 61 | 美濃稲置(ミノイナキ) | |
| 62 | 師木県主(シキアガタヌシ) | ● 第4代 懿徳天皇の后、 賦登麻和訶比売(フトマワカヒメ)命 |
| 63 | 茅渟別(チヌワケ) | ● 第4代 懿徳天皇の子、 多芸志比古(タギシヒコ)命 |
| 64 | 但馬竹別(タジマタケワケ) | |
| 65 | 葦井稲置(アシイイナキ) | |
| 66 | 尾張連(ヲハリムラジ) | ● 第5代 孝昭天皇の后、 余曽多本毘売(ヨソタホビメ)の兄、 奥津余曽(オキツヨソ) ● 第8代 孝元天皇の子、 比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命の后、 高千那毘売(タカチナビメ)の兄、 意冨那毘(オホナビ) ● 第10代 崇神天皇の后、 意冨阿麻比売(オホアマヒメ) ● 第12代 景行天皇の子、 五百木之入日子(イホキノイリヒコ)命の后、 志理都紀斗売(シリツキトメ)の父、 建伊那陀宿祢(タケイナダスクネ) |
| 67 | 春日臣(カスガオミ) | ● 第5代 孝昭天皇の子、 天押帯日子(アメオシタラシヒコ)命 |
| 68 | 大宅臣(オホヤケオミ) | |
| 69 | 粟田臣(アハタオミ) | |
| 70 | 小野臣(ヲノオミ) | |
| 71 | 柿本臣(カキモトオミ) | |
| 72 | 壱比韋臣(イチヒイオミ) | |
| 73 | 大坂臣(オホサカオミ) | |
| 74 | 阿那臣(アナオミ) | |
| 75 | 多紀臣(タキオミ) | |
| 76 | 羽栗臣(ハクリオミ) | |
| 77 | 知多臣(チタオミ) | |
| 78 | 牟耶臣(ムヤオミ) | |
| 79 | 壱師(イチシ)君 | |
| 80 | 都怒山臣(ツノヤマオミ) | |
| 81 | 伊勢飯高(イセイヒタカ)君 | |
| 82 | 近淡海国造(チカツアフミクニミヤツコ) | |
| 83 | 十市県主(トイチアガタヌシ) | ● 第7代 孝霊天皇の后、 細比売(ホソヒメ)命の父、 大目(オホメ) |
| 84 | 越之利波臣(コシノトナミオミ) | ● 第7代 孝霊天皇の子、 日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命 |
| 85 | 国前臣(クニサキオミ) | |
| 86 | 五百原(イホハラ)君 | |
| 87 | 角鹿海直(ツヌガアマアタヘ) | |
| 88 | 吉備上道臣(キビカミミチオミ) | ● 第7代 孝霊天皇の子、 大吉備津日子(オホキビツヒコ)命 |
| 89 | 播磨牛鹿臣(ハリマウシカオミ) | ● 第7代 孝霊天皇の子、 日子寤間(ヒコサメマ)命 |
| 90 | 吉備下道臣(キビシモミチオミ) | ● 第7代 孝霊天皇の子、 若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命 |
| 91 | 笠臣(カサオミ) | |
| 92 | 阿部臣(アベオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建沼河別(タケヌナカハワケ)命 |
| 93 | 膳臣(カシハデオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 比古伊那許士別(ヒコイナコシワケ)命 |
| 94 | 山背内臣(ヤマシロウチオミ) | ● 第8代 孝元天皇のひ孫、 味師内宿祢(ウマシウチスクネ) |
| 95 | 波多臣(ハタオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 波多八代宿祢(ハタヤシロスクネ) |
| 96 | 林臣(ハヤシオミ) | |
| 97 | 波美臣(ハミオミ) | |
| 98 | 星川臣(ホシカハオミ) | |
| 99 | 淡海臣(アフミオミ) | |
| 100 | 長谷部(ハセベ)君 | |
| 101 | 巨勢臣(コセオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 許勢小柄宿祢(コセヲカラスクネ) |
| 102 | 軽部臣(カルベオミ) | |
| 103 | 蘇我臣(ソガオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 蘇賀石河宿祢(ソガイシカハスクネ) |
| 104 | 川辺臣(カハヘオミ) | |
| 105 | 田中臣(タナカオミ) | |
| 106 | 高向臣(タカムクオミ) | |
| 107 | 小治田臣(ヲハリダオミ) | |
| 108 | 桜井臣(サクライオミ) | |
| 109 | 岸田臣(キシタオミ) | |
| 110 | 平群臣(ヘグリオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 平群都久宿祢(ヘグリツクスクネ) |
| 111 | 佐和良臣(サワラオミ) | |
| 112 | 馬御杭連(ウマミクヒムラジ) | |
| 113 | 木臣(キオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 木角宿祢(キツノスクネ) |
| 114 | 都奴臣(ツヌオミ) | |
| 115 | 坂本臣(サカモトオミ) | |
| 116 | 玉手臣(タマテオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 葛城長江曽都毘古(カツラギナガエソツビコ) |
| 117 | 的臣(イクハオミ) | |
| 118 | 生江臣(イクエオミ) | |
| 119 | 阿芸那臣(アギナオミ) | |
| 120 | 江野財臣(エノタカラオミ) | ● 第8代 孝元天皇の孫、 建内宿祢(タケウチスクネ)の子、 若子宿祢(ワクゴスクネ) |
| 121 | 和迩臣(ワニオミ) | ● 第8代 孝元天皇の子、 大毘古(オホビコ)命の軍人、 日子国夫玖(ヒコクニブク)命 ● 第9代 開化天皇の后、 意祁都比売(オケツヒメ)命の兄、 日子国意祁都(ヒコクニオケツ)命 ● 第15代 応神天皇の軍人、 難波根子建振熊(ナニハネコタケフルクマ)命 |
| 122 | 道守臣(チモリオミ) | ● 第9代 開化天皇の子、 建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)皇子 |
| 123 | 忍海部造(オシヌミベミヤツコ) | |
| 124 | 御名部造(ミナベミヤツコ) | |
| 125 | 因幡忍部(イナバオシベ) | |
| 126 | 丹波之竹野別(タニハノタケノワケ) | |
| 127 | 依網之阿毘古(ヨサミノアビコ) | |
| 128 | 当麻勾(タイママガリ)君 | ● 第9代 開化天皇の孫、 小俣(ヲマタ)皇子 |
| 129 | 佐佐(ササ)君 | ● 第9代 開化天皇の孫、 志夫美宿祢(ジブミスクネ)皇子 |
| 130 | 日下部連(クサカベムラジ) | ● 第9代 開化天皇の孫、 沙本毘古(サホビコ)皇子 |
| 131 | 甲斐国造(カヒクニミヤツコ) | |
| 132 | 葛野之別(カヅノノワケ) | ● 第9代 開化天皇の孫、 袁耶本(ヲヤホ)皇子 |
| 133 | 近淡海蚊野之別(チカツアフミカノノワケ) | |
| 134 | 若狭之耳別(ワカサノミミワケ) | ● 第9代 開化天皇の孫、 室毘古(ムロビコ)皇子 |
| 135 | 近淡海之安直(チカツアフミノヤスアタヘ) | ● 第9代 開化天皇の孫、 水穂(ミヅホ)の真若(マワカ)皇子 |
| 136 | 本巣国造(モトスクニミヤツコ) | ● 第9代 開化天皇の孫、 神大根(カムオホネ)皇子 |
| 137 | 長幡部連(ナガハタベムラジ) | |
| 138 | 吉備品遅(キビホムヂ)君 | ● 第9代 開化天皇の孫、 大筒木真若(オホツツキマワカ)皇子 |
| 139 | 播磨阿宗(ハリマアソ)君 | |
| 140 | 伊勢之品遅部(イセノホムヂベ) | ● 第9代 開化天皇のひ孫、 曙立(アケタツ)皇子 |
| 141 | 伊勢之佐那造(イセノサナミヤツコ) | |
| 142 | 比売陀(ヒメダ)君 | ● 第9代 開化天皇のひ孫、 菟上(ウナカミ)皇子 |
| 143 | 三河之穂別(ミカハノホワケ) | ● 第9代 開化天皇のひ孫、 朝遅別(アサヂワケ)皇子 |
| 144 | 但馬国造(タヂマクニミヤツコ) | ● 第9代 開化天皇のひ孫、 大多牟坂(オホタムサカ)皇子 |
| 145 | 上毛野(カミツケノ)君 | ● 第10代 崇神天皇の子、 豊木入日子(トヨキイリヒコ)命 |
| 146 | 下毛野(シモツケノ)君 | |
| 147 | 能登臣(ノトオミ) | ● 第10代 崇神天皇の子、 大入杵(オホイリキ)命 |
| 148 | 神(ミワ)君 | ● 大物主(オホモノヌシ)大神 (大年神=須佐之男神の子)の玄孫、 意冨多多泥古(オホタタネコ) |
| 149 | 鴨(カモ)君 | |
| 150 | 山辺之別(ヤマヘノワケ) | ● 第11代 垂仁天皇の子、 大中津日子(オホナカツヒコ)命 |
| 151 | 三枝之別(サエクサノワケ) | |
| 152 | 稲木之別(イナキノワケ) | |
| 153 | 阿太之別(アタノワケ) | |
| 154 | 美濃別(ミノワケ) | |
| 155 | 吉備之石无別(キビノイハナシワケ) | |
| 156 | 許呂母之別(コロモノワケ) | |
| 157 | 高巣鹿之別(タカスカノワケ) | |
| 158 | 飛鳥(アスカ)君 | |
| 159 | 牟礼之別(ムレノワケ) | |
| 160 | 沙本穴太部之別(サホアナホベノワケ) | ● 第11代 垂仁天皇の子、 伊許婆夜和気(イコバヤワケ)命 |
| 161 | 小目山(ヲメヤマ)君 | ● 第11代 垂仁天皇の子、 落別(オチワケ)皇子 |
| 162 | 二川之衣(フタカハノコロモ)君 | |
| 163 | 春日山(カスカヤマ)君 | ● 第11代 垂仁天皇の子、 五十日帯日子(イソカタラシヒコ)皇子 |
| 164 | 越他(コシタ)君 | |
| 165 | 春日部(カスカベ)君 | |
| 166 | 羽咋(ハクヒ)君 | ● 第11代 垂仁天皇の子、 石衝別(イハツクワケ)皇子 |
| 167 | 三尾(ミヲ)君 | |
| 168 | 三宅連(ミヤケムラジ) | ● 新羅(シラギ)国王子、 天之日矛(アメノヒホコ)の玄孫、 多遅摩毛理(タヂマモリ) |
| 169 | 茨田下連(マムタシモムラジ) | ● 第12代 景行天皇の子、 櫛甬別(クシツネワケ)皇子 |
| 170 | 守(モリ)君 | ● 第12代 景行天皇の子、 大碓(オホウス)命 |
| 171 | 大田(オホタ)君 | |
| 172 | 島田(シマタ)君 | |
| 173 | 木(キ)国の酒部(サカベ) | ● 第12代 景行天皇の子、 神櫛(カムクシ)皇子 |
| 174 | 阿比古宇陀酒部(アヒコウダサカベ) | |
| 175 | 日向国造(ヒムカクニミヤツコ) | ● 第12代 景行天皇の子、 豊国別(トヨクニワケ)皇子 |
| 176 | 任地の国造(クニミヤツコ)、和気(ワケ)、 稲置(イナキ)、県主(アガタヌシ) |
● 第12代 景行天皇の子 (記されていない59人) |
| 177 | 吉備臣(キビオミ) | ● 第12代 景行天皇の后、 伊那毘能大郎女(イナビノオホイラツメ)の父、 若建吉備津日子(ワカタケキビツヒコ) ● 第12代 景行天皇の子、 倭建(ヤマトタケル)命の従者、 御鉏友耳建日子(ミスキトモミミタケヒコ) |
| 178 | 美濃国造(ミノクニミヤツコ) | ● 第12代 景行天皇の子、 大碓(オホウス)命の后、 兄比売(エヒメ)・弟比売(オトヒメ)の父、 大根(オホネ)皇子 |
| 179 | 美濃宇泥須和気(ミノウネスワケ) | ● 第12代 景行天皇の孫、 押黒之兄日子(オシクロノエヒコ)皇子 |
| 180 | 牟冝都(ムゲツ)君 | ● 第12代 景行天皇の孫、 押黒弟日子(オシクロオトヒコ)皇子 |
| 181 | 尾張国造(ヲハリクニミヤツコ) | ● 第12代 景行天皇の子、 倭建(ヤマトタケル)命の后、 美夜受比売(ミヤズヒメ) |
| 182 | 近淡海之安国造 (チカツアフミノヤスクニミヤツコ) |
● 第12代 景行天皇の子、 倭建(ヤマトタケル)命の后、 布多遅比売(フタヂヒメ)の父、 意冨多牟和気(オホタムワケ) |
| 183 | 犬上(イヌカミ)君 | ● 第12代 景行天皇の孫、 稲依別(イナヨリワケ)皇子 |
| 184 | 建部(タケルベ)君 | |
| 185 | 讃岐綾(サヌキアヤ)君 | ● 第12代 景行天皇の孫、 建見兒(タケミコ)皇子 |
| 186 | 伊勢之別(イセノワケ) | |
| 187 | 登袁之別(トヲノワケ) | |
| 188 | 麻佐首(マサオビト) | |
| 189 | 宮首之別(ミヤオビトノワケ) | |
| 190 | 鎌倉之別(カマクラノワケ) | ● 第12代 景行天皇の孫、 足鏡別(アシカガミワケ)皇子 |
| 191 | 小津石代之別(ヲヅイハシロノワケ) | |
| 192 | 漁田之別(イサリタノワケ) | |
| 193 | 難波吉師部(ナニハキシベ) | ● 第14代 仲哀天皇の子、 忍熊(オシクマ)皇子の軍人、 伊佐比宿祢(イサヒスクネ) |
| 194 | 土形(ヒヂカタ)君 | ● 第15代 応神天皇の子、 大山守(オホヤマモリ)命 |
| 195 | 幣岐(ヘキ)君 | |
| 196 | 榛原(ハリハラ)君 | |
| 197 | 桜井田部連(サクライタベムラジ) | ● 第15代 応神天皇の后、 糸井比売(イトイヒメ)の父、 島垂根(シマタリネ) |
| 198 | 阿直史(アチキフヒト) | ● 第15代 応神天皇の頃の渡来人、 百済(クタラ)国の阿知吉師(アチキシ) |
| 199 | 文首(フミオビト) | ● 第15代 応神天皇の頃の渡来人、 百済(クタラ)国の賢人、和迩吉師(ワニキシ) |
| 200 | 秦造(ハタミヤツコ) | ● 第15代 応神天皇の頃の渡来人、 百済(クタラ)国の酒造人、須須許理(ススコリ) |
| 201 | 漢直(アヤアタヘ) | |
| 202 | 三国(ミクニ)君 | ● 第15代 応神天皇の孫、 意冨冨杼(オホホド)皇子 |
| 203 | 波多(ハタ)君 | |
| 204 | 息長(オキナガ)君 | |
| 205 | 筑紫之米多(ツクシノメタ)君 | |
| 206 | 長坂(ナガサカ)君 | |
| 207 | 酒人(サカヒト)君 | |
| 208 | 山布勢(ヤマフセ)君 | |
| Q96 | 「古事記」 上巻(神世)~中巻(神人世)における死亡年齢は、2倍年暦か? | ||
| ★中巻(神人世)には、全天皇について死亡年齢の記述があるが、上巻(神世)には、 火遠理(ホヲリ)命以外、死亡年齢の記述がなく、現実的な死亡の概念を避けている。 ★中巻(神人世)では、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命~品陀和気(ホムダワケ)天皇の 死亡年齢を、2倍数(春の耕作と秋の収穫で区切って年紀を決める2倍年暦)と見れ ば、死亡年齢・基数は、下記の通り現実的になるが、上巻(神世)の火遠理(ホヲリ)命の 死亡年齢・基数は、2倍年暦の5倍数即ち、10倍数と見なければ、現実的にならない。 この火遠理(ホヲリ)命の場合は、海神の綿津見(ワタツミ)神の宮殿を訪問して帰ることで、 2倍年暦が大幅に加速した、ことを示しているように思われる⇒浦島伝説の原型。 ★「古事記」 上巻(神世)~中巻(神人世)にある死亡年齢は、次の通り。 | |||
| 「古事記」 上巻 (神世) | 死亡年齢・基数 | ||
| 別天神 5神 | ①天之御中主神 (神世第1代) | 記述なし | |
| ②高御産巣日神 (神世第2代) | 記述なし | ||
| ③神産巣日神 (神世第3代) | 記述なし | ||
| ④宇摩志阿斯訶備比古遅神 (神世第4代) | 記述なし | ||
| ⑤天之常立神 (神世第5代) | 記述なし | ||
| 神世七代 12神 | ⑥国之常立神 (神世第6代) | 記述なし | |
| ⑦豊雲上野神 (神世第7代) | 記述なし | ||
| ⑧宇比地迩神・須比智迩神 (神世第8代) | 記述なし | ||
| ⑨筒杙神・活杙神 (神世第9代) | 記述なし | ||
| ⑩意冨斗能地神・大斗乃弁神 (神世第10代) | 記述なし | ||
| ⑪於母陀流神・阿夜訶志古泥神 (神世第11代) | 記述なし | ||
| ⑫伊耶那岐神・伊耶那美神 (神世第12代) | 記述なし | ||
| 天照大御神 ~火遠理命 | ⑬天照大御神 (神世第13代) | 記述なし | |
| ⑭迩迩芸命 (神世第14代) | 記述なし | ||
| ⑮火遠理命 (神世第15代) | 580歳・58歳 | ||
| 「古事記」 中巻 (神人世) | 死亡年齢・基数 | ||
| 神倭伊波礼毘古命~品陀和気天皇 | ①神倭伊波礼毘古命 (第1代 神武天皇) | 137歳・69歳 | |
| ②神沼河耳命 (第2代 綏靖天皇) | 45歳・23歳 | ||
| ③師木津日子玉手見命 (第3代 安寧天皇) | 49歳・25歳 | ||
| ④大倭日子鉏友命 (第4代 懿徳天皇) | 45歳・23歳 | ||
| ⑤御真津日子訶恵志泥命 (第5代 孝昭天皇) | 93歳・47歳 | ||
| ⑥大倭帯日子国押人命 (第6代 孝安天皇) | 123歳・62歳 | ||
| ⑦大倭根子日子賦斗迩命 (第7代 孝霊天皇) | 106歳・53歳 | ||
| ⑧大倭根子日子国玖琉命 (第8代 孝元天皇) | 57歳・29歳 | ||
| ⑨若倭根子日子大毘毘命 (第9代 開化天皇) | 63歳・32歳 | ||
| ⑩御真木入日子印恵命 (第10代 崇神天皇) | 168歳・84歳 | ||
| ⑪伊久米伊理毘古伊佐知命 (第11代 垂仁天皇) | 153歳・77歳 | ||
| ⑫大帯日子淤斯呂和気天皇 (第12代 景行天皇) | 137歳・69歳 | ||
| ⑬若帯日子天皇 (第13代 成務天皇) | 95歳・48歳 | ||
| ⑭帯中津日子天皇 (第14代 仲哀天皇) | 52歳・26歳 | ||
| 息長帯日売命 (第14代 仲哀天皇の神功皇后) | 100歳・50歳 | ||
| ⑮品陀和気天皇 (第15代 応神天皇) | 130歳・65歳 | ||
| 平均 | 97歳・49歳 | ||
| Q97 | 「古事記」 における天皇の死亡年齢・干支から、その年代を推定できるか? |
| ★死亡年齢に干支が併記された第10代・第13代・第14代・第15代の天皇4人の内、 第15代 応神天皇を基準にし、没年の甲午年(2倍年暦)を、西暦423年,453年, 483年に対応させて、次の2条件を加えると、下記のように推定できる。 1.第10代~第15代には兄弟継承はないので、10~40年/1代の親子年齢差があ るとすると、5代間の年齢差(生誕年間)は、50~200年。 2.第15代 応神天皇が、第14代 仲哀天皇の死後に生まれたことから、年齢差(生 誕年間)は、第14代 仲哀天皇の死亡年齢26歳(2倍年暦 52歳)以上の年数。 第10代 崇神天皇生誕 1歳 ⇒242年,272年,302年 崇神天皇没(戊寅)84歳(2倍年暦 168歳) ⇒325年,355年,385年 第11代 垂仁天皇生誕 1歳 ⇒266年,296年,326年 垂仁天皇没 77歳(2倍年暦 153歳) ⇒342年,372年,402年 第12代 景行天皇生誕 1歳 ⇒290年,320年,350年 景行天皇没 69歳(2倍年暦 137歳) ⇒358年,388年,418年 第13代 成務天皇生誕 1歳 ⇒309年,339年,369年 成務天皇没(己卯)48歳(2倍年暦 95歳) ⇒356年,386年,416年 第14代 仲哀天皇生誕 1歳 ⇒322年,352年,382年 仲哀天皇没(壬戌)26歳(2倍年暦 52歳) ⇒347年,377年,407年 神功皇后生誕 1歳 ⇒331年,361年,391年 神功皇后没 50歳(2倍年暦 100歳) ⇒380年,410年,440年 第15代 応神天皇生誕 1歳 ⇒359年,389年,419年 応神天皇没(甲午)65歳(2倍年暦 130歳) ⇒423年,453年,483年 ★即ち、第15代 応神天皇の没年の甲午年(2倍年暦)を、西暦453年とした場合には、 母親の神功皇后による韓地遠征が、高句麗好太王碑文(西暦391年)に合致し易く なり、第15代 応神天皇の生誕(西暦389年)は、第14代 仲哀天皇が26歳で死去 (西暦377年)してから12年経過しており、神功皇后が母親で29歳の時としても、 第14代 仲哀天皇が父親であり得ないことがわかる。 ★しかし、第14代 仲哀天皇と神功皇后との間の子は、次の2人とされているから、 1.品夜和気(ホムヤワケ)命 2.大鞆和気(オホトモワケ)命、亦の名:品陀和気(ホムダワケ)命(⇒第15代 応神天皇) 従って、弟の2.品陀和気(ホムダワケ)命の伝承は、兄の1.品夜和気(ホムヤワケ)命(早逝?) の伝承を継承しているものと思われる。 | |
| Q98 | 「古事記」 における和暦(2倍年暦)の干支は、中国暦と、どう対応するか? | |||||||||||
| ★1年を1歳とする中国暦の元嘉暦(西暦443年に成立した太陰太陽暦)の 六十干支を、半年を1歳とする倭暦(2倍年暦)に、癸巳の年(西暦453年)から導入。 以後、必要に応じ遡及して、倭の過去の紀年にも使用するも、 倭暦(2倍年暦)は、240年後の癸巳の年(西暦693年)に廃止して、中国暦に一本化。 ★倭暦(2倍年暦)の干支(前半年・後半年)と中国暦の干支との関係は、次の通り。 | ||||||||||||
| 和暦 | 古事記 記述 | 西暦年 | 中国 暦 | |||||||||
| 前半 | 後半 | |||||||||||
| 乙未 | 丙申 | なし | 244 | 304 | 364 | 424 | 484 | 544 | 604 | 664 | 甲子 | |
| 丁酉 | 戊戌 | なし | 245 | 305 | 365 | 425 | 485 | 545 | 605 | 665 | 乙丑 | |
| 己亥 | 庚子 | なし | 246 | 306 | 366 | 426 | 486 | 546 | 606 | 666 | 丙寅 | |
| 辛丑 | 壬寅 | なし | 247 | 307 | 367 | 427 | 487 | 547 | 607 | 667 | 丁卯 | |
| 癸卯 | 甲辰 | なし | 248 | 308 | 368 | 428 | 488 | 548 | 608 | 668 | 戊辰 | |
| 乙巳 | 丙午 | なし | 249 | 309 | 369 | 429 | 489 | 549 | 609 | 669 | 己巳 | |
| 丁未 | 戊申 | なし | 250 | 310 | 370 | 430 | 490 | 550 | 610 | 670 | 庚午 | |
| 己酉 | 庚戌 | なし | 251 | 311 | 371 | 431 | 491 | 551 | 611 | 671 | 辛未 | |
| 辛亥 | 壬子 | なし | 252 | 312 | 372 | 432 | 492 | 552 | 612 | 672 | 壬申 | |
| 癸丑 | 甲寅 | なし | 253 | 313 | 373 | 433 | 493 | 553 | 613 | 673 | 癸酉 | |
| 乙卯 | 丙辰 | なし | 254 | 314 | 374 | 434 | 494 | 554 | 614 | 674 | 甲戌 | |
| 丁巳 | 戊午 | なし | 255 | 315 | 375 | 435 | 495 | 555 | 615 | 675 | 乙亥 | |
| 己未 | 庚申 | なし | 256 | 316 | 376 | 436 | 496 | 556 | 616 | 676 | 丙子 | |
| 辛酉 | 壬戌 | 仲哀没 壬戌 | 257 | 317 | 377 | 437 | 497 | 557 | 617 | 677 | 丁丑 | |
| 癸亥 | 甲子 | なし | 258 | 318 | 378 | 438 | 498 | 558 | 618 | 678 | 戊寅 | |
| 乙丑 | 丙寅 | なし | 259 | 319 | 379 | 439 | 499 | 559 | 619 | 679 | 己卯 | |
| 丁卯 | 戊辰 | なし | 260 | 320 | 380 | 440 | 500 | 560 | 620 | 680 | 庚辰 | |
| 己巳 | 庚午 | なし | 261 | 321 | 381 | 441 | 501 | 561 | 621 | 681 | 辛巳 | |
| 辛未 | 壬申 | なし | 262 | 322 | 382 | 442 | 502 | 562 | 622 | 682 | 壬午 | |
| 癸酉 | 甲戌 | なし | 263 | 323 | 383 | 443 | 503 | 563 | 623 | 683 | 癸未 | |
| 乙亥 | 丙子 | なし | 264 | 324 | 384 | 444 | 504 | 564 | 624 | 684 | 甲申 | |
| 丁丑 | 戊寅 | 崇神没 戊寅 | 265 | 325 | 385 | 445 | 505 | 565 | 625 | 685 | 乙酉 | |
| 己卯 | 庚辰 | 成務没 己卯 | 266 | 326 | 386 | 446 | 506 | 566 | 626 | 686 | 丙戌 | |
| 辛巳 | 壬午 | なし | 267 | 327 | 387 | 447 | 507 | 567 | 627 | 687 | 丁亥 | |
| 癸未 | 甲申 | なし | 268 | 328 | 388 | 448 | 508 | 568 | 628 | 688 | 戊子 | |
| 乙酉 | 丙戌 | なし | 269 | 329 | 389 | 449 | 509 | 569 | 629 | 689 | 己丑 | |
| 丁亥 | 戊子 | なし | 270 | 330 | 390 | 450 | 510 | 570 | 630 | 690 | 庚寅 | |
| 己丑 | 庚寅 | なし | 271 | 331 | 391 | 451 | 511 | 571 | 631 | 691 | 辛卯 | |
| 辛卯 | 壬辰 | なし | 272 | 332 | 392 | 452 | 512 | 572 | 632 | 692 | 壬辰 | |
| 癸巳 | 甲午 | 応神没 甲午 | 273 | 333 | 393 | 453 | 513 | 573 | 633 | 693 | 癸巳 | |
| 乙未 | 丙申 | なし | 274 | 334 | 394 | 454 | 514 | 574 | 634 | 694 | 甲午 | |
| 丁酉 | 戊戌 | なし | 275 | 335 | 395 | 455 | 515 | 575 | 635 | 685 | 乙未 | |
| 己亥 | 庚子 | なし | 276 | 336 | 396 | 456 | 516 | 576 | 636 | 696 | 丙申 | |
| 辛丑 | 壬寅 | なし | 277 | 337 | 397 | 457 | 517 | 577 | 637 | 697 | 丁酉 | |
| 癸卯 | 甲辰 | なし | 278 | 338 | 398 | 458 | 518 | 578 | 638 | 698 | 戊戌 | |
| 乙巳 | 丙午 | なし | 279 | 339 | 399 | 459 | 519 | 579 | 639 | 699 | 己亥 | |
| 丁未 | 戊申 | なし | 280 | 340 | 400 | 460 | 520 | 580 | 640 | 700 | 庚子 | |
| 己酉 | 庚戌 | なし | 281 | 341 | 401 | 461 | 521 | 581 | 641 | 701 | 辛丑 | |
| 辛亥 | 壬子 | なし | 282 | 342 | 402 | 462 | 522 | 582 | 642 | 702 | 壬寅 | |
| 癸丑 | 甲寅 | なし | 283 | 343 | 403 | 463 | 523 | 583 | 643 | 703 | 癸卯 | |
| 乙卯 | 丙辰 | なし | 284 | 344 | 404 | 464 | 524 | 584 | 644 | 704 | 甲辰 | |
| 丁巳 | 戊午 | なし | 285 | 345 | 405 | 465 | 525 | 585 | 645 | 705 | 乙巳 | |
| 己未 | 庚申 | なし | 286 | 346 | 406 | 466 | 526 | 586 | 646 | 706 | 丙午 | |
| 辛酉 | 壬戌 | 仲哀没 壬戌 | 287 | 347 | 407 | 467 | 527 | 577 | 637 | 697 | 丁未 | |
| 癸亥 | 甲子 | なし | 288 | 348 | 408 | 468 | 528 | 588 | 648 | 708 | 戊申 | |
| 乙丑 | 丙寅 | なし | 289 | 349 | 409 | 469 | 529 | 589 | 649 | 709 | 己酉 | |
| 丁卯 | 戊辰 | なし | 290 | 350 | 410 | 470 | 530 | 590 | 650 | 710 | 庚戌 | |
| 己巳 | 庚午 | なし | 291 | 351 | 411 | 471 | 531 | 591 | 651 | 711 | 辛亥 | |
| 辛未 | 壬申 | なし | 292 | 352 | 412 | 472 | 532 | 592 | 652 | 712 | 壬子 | |
| 癸酉 | 甲戌 | なし | 293 | 353 | 413 | 473 | 533 | 593 | 653 | 713 | 癸丑 | |
| 乙亥 | 丙子 | なし | 294 | 354 | 414 | 474 | 534 | 594 | 654 | 714 | 甲寅 | |
| 丁丑 | 戊寅 | 崇神没 戊寅 | 295 | 355 | 415 | 475 | 535 | 595 | 655 | 715 | 乙卯 | |
| 己卯 | 庚辰 | 成務没 己卯 | 296 | 356 | 416 | 476 | 536 | 596 | 656 | 716 | 丙辰 | |
| 辛巳 | 壬午 | なし | 297 | 357 | 417 | 477 | 537 | 597 | 657 | 717 | 丁巳 | |
| 癸未 | 甲申 | なし | 298 | 358 | 418 | 478 | 538 | 598 | 658 | 718 | 戊午 | |
| 乙酉 | 丙戌 | なし | 299 | 359 | 419 | 479 | 539 | 599 | 659 | 719 | 己未 | |
| 丁亥 | 戊子 | なし | 300 | 360 | 420 | 480 | 540 | 600 | 660 | 720 | 庚申 | |
| 己丑 | 庚寅 | なし | 301 | 361 | 421 | 481 | 541 | 601 | 661 | 721 | 辛酉 | |
| 辛卯 | 壬辰 | なし | 302 | 362 | 422 | 482 | 542 | 602 | 662 | 722 | 壬戌 | |
| 癸巳 | 甲午 | 応神没 甲午 | 303 | 363 | 423 | 483 | 543 | 603 | 663 | 723 | 癸亥 | |
| Q99 | 「古事記」 上巻(神世)~中巻(神人世)における御陵は、何を意味するか? | |
| ★中巻(神人世)には、全天皇について御陵の記述があるが、上巻(神世)には、 伊耶那岐(イヤナキ)神、伊耶那美(イヤナミ)神、火遠理(ホヲリ)命以外に、御陵の記述がなく、 現実的な死亡の概念を避けている。 ★中巻(神人世)では、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(第1代 神武天皇)~品陀和 気(ホムダワケ)天皇(第15代 応神天皇)の御陵のある地は、死後に墓荒らしされない 各天皇の地盤を示していると思われる。 ★そうとすると、地盤は、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(第1代 神武天皇)により、 筑紫(ツクシ)国⇒大和(ヤマト)国 に移り、次に若帯日子天皇(第13代 成務天皇)により、 大和(ヤマト)国⇒河内(カハチ)国 に移っていることになる。 ★「古事記」 上巻(神世)~中巻(神人世)にある御陵は、次の通り。 | ||
| 「古事記」 上巻 (神世) | 御陵 | |
| ①天之御中主神 (神世第1代) | 記述なし | |
| ②高御産巣日神 (神世第2代) | 記述なし | |
| ③神産巣日神 (神世第3代) | 記述なし | |
| ④宇摩志阿斯訶備比古遅神 (神世第4代) | 記述なし | |
| ⑤天之常立神 (神世第5代) | 記述なし | |
| ⑥国之常立神 (神世第6代) | 記述なし | |
| ⑦豊雲上野神 (神世第7代) | 記述なし | |
| ⑧宇比地迩神・須比智迩神 (神世第8代) | 記述なし | |
| ⑨筒杙神・活杙神 (神世第9代) | 記述なし | |
| ⑩意冨斗能地神・大斗乃弁神 (神世第10代) | 記述なし | |
| ⑪於母陀流神・阿夜訶志古泥神 (神世第11代) | 記述なし | |
| ⑫伊耶那岐神 (神世第12代) | 淡海(筑紫国那珂野間大池)多賀 | |
| 伊耶那美神 (神世第12代 伊耶那岐神の后) | 比婆之山(東出雲=出雲国意宇) | |
| ⑬天照大御神 (神世第13代) | 記述なし | |
| ⑭迩迩芸命 (神世第14代) | 記述なし | |
| ⑮火遠理命 (神世第15代) | 高千穂山(筑紫国高祖山)の西 | |
| 「古事記」 中巻 (神人世) | 御陵 | |
| ①神倭伊波礼毘古命 (第1代 神武天皇) | 畝傍山(大和国高市)の北方の橿尾 | |
| ②神沼河耳命 (第2代 綏靖天皇) | 衝田崗(大和国高市) | |
| ③師木津日子玉手見命 (第3代 安寧天皇) | 畝傍山(大和国高市)の陰 | |
| ④大倭日子鉏友命 (第4代 懿徳天皇) | 畝傍山(大和国高市)の真名子谷 | |
| ⑤御真津日子訶恵志泥命 (第5代 孝昭天皇) | 掖上博多山(大和国葛城) | |
| ⑥大倭帯日子国押人命 (第6代 孝安天皇) | 玉手岡(大和国葛城) | |
| ⑦大倭根子日子賦斗迩命 (第7代 孝霊天皇) | 片岡馬坂(大和国葛城) | |
| ⑧大倭根子日子国玖琉命 (第8代 孝元天皇) | 剣池の中崗(大和国高市) | |
| ⑨若倭根子日子大毘毘命 (第9代 開化天皇) | 伊耶川(大和国添上)の坂 | |
| ⑩御真木入日子印恵命 (第10代 崇神天皇) | 山辺道勾之岡(大和国山辺) | |
| ⑪伊久米伊理毘古伊佐知命 (第11代 垂仁天皇) | 菅原之御立野(大和国添上)中 | |
| 比婆須比売命 (第11代 垂仁天皇の皇后) | 狭木之寺間陵(大和国添下) | |
| ⑫大帯日子淤斯呂和気天皇 (第12代 景行天皇) | 山辺之道(大和国山辺) | |
| 倭建 (第12代 景行天皇の子、小碓命) | 白鳥御陵(河内国志紀) | |
| ⑬若帯日子天皇 (第13代 成務天皇) | 狭城之楯列(河内国志紀) | |
| ⑭帯中津日子天皇 (第14代 仲哀天皇) | 河内恵賀の長江(河内国丹比) | |
| 息長帯日売命 (第14代 仲哀天皇の神功皇后) | 狭城楯列陵(河内国志紀) | |
| ⑮品陀和気天皇 (第15代 応神天皇) | 河内恵我の裳伏崗(河内国志紀) | |
| Q100 | 「古事記」 上巻(神世)~中巻(神人世)における歌は、何を意味するか? | ||
| ★上巻(神世)~中巻(神人世)の歌は、次の①~⑳の場面で、詠われている。 ①出雲始祖 速須佐之男大神が、正室を迎えて、出雲国に、須賀宮=稲田宮を建設 ②出雲第6世 大国主神(八千矛神)が、側室として、越国の沼河比売を獲得 ③出雲第7世 阿遅鉏高日子根神の妹、高比売が、夫の父・本妻に、兄をPR ④神世第15代 火遠理命と豊玉毘売が、御子(鵜草葺不合命)の誕生後に離縁 ⑤第1代 神武天皇とその兵士が、久米歌で快進撃 (宇陀⇒忍坂⇒畝傍) ⑥第1代 神武天皇が、正室以外に、大和国で皇后を求めて、大久米命に指示 ⑦第1代 神武天皇の死後、正室の子、当芸志美美命が、皇后の3子の殺害を計画 ⑧第10代 崇神天皇から越国平定を命じられた大毘古命に、山背国の乙女が警告 ⑨第12代 景行天皇から命じられた熊曽建討伐の帰り、倭建命が、出雲建を討伐 ⑩第12代 景行天皇から命じられた東国征討で、倭建命が、皇后(弟橘比売)を失う ⑪第12代 景行天皇から命じられた東方征討の帰り、倭建命・美夜受比売が結婚 ⑫第12代 景行天皇から命じられた東方征討の帰り、倭建命が、伊勢国で死に至る ⑬倭建命の后・御子達は、陵(伊勢国)造営後、倭建命が化身した八尋白智鳥を追跡 ⑭第14代 仲哀天皇の死後、正室の忍熊皇子+伊佐比宿祢将軍が、太子軍に敗戦 ⑮神功皇后は、皇后の太子(品陀和気命)・後見人(建内宿祢大臣)の帰還を歓迎 ⑯第15代 応神天皇が、山背国の矢河枝比売に求婚 ⑰第15代 応神天皇が、太子の大雀命に、日向国の髪長比売を下賜 ⑱第15代 応神天皇の太子の大雀命を、吉野国栖達が応援 ⑲第15代 応神天皇に、渡来人の須須許理が、大御酒を醸造・献上 ⑳第15代 応神天皇の死後、太子の大山守命・宇遅能和紀郎子が争う ★詠われた歌に、相手に対する伝言意図が有るか無いかで、場面をみると、次の通り。 伝言意図が有る場面 : ②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳ 伝言意図が無い場面 : ①⑫⑬ ★伝言意図が有る場面が多いが、その伝言のために、何故、歌を詠うのかについては、 上記⑧で、山背国の乙女が、崇神天皇の危機について、大毘古命に警告したときに、 「私は、言ったのではなく、唯、歌っただけ」 という言い方に表れていて、 伝言として、「歌う」 のは、「言う」 より、私的・感情的・暗喩的・誇張的・責任回避的 な場合に用いられていると思われる。 ★上記①~⑳の各場面で詠われた歌の詳細は、下記の通り。 | |||
| ①出雲始祖 速須佐之男大神が、正室を迎えて、出雲国に、須賀宮=稲田宮を建設 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 速須佐之男(ハヤスサノヲ)大神 | |||
| 夜久毛夛都 伊豆毛夜弊賀岐 都麻碁微尒 夜弊賀岐都久流 曽能夜弊賀岐袁 |
八雲(ヤクモ)立(タ)つ 出雲(イヅモ)八重垣(ヤヘガキ) 妻籠(ツマゴ)みに 八重垣(ヤヘガキ)作(ツク)る その八重垣(ヤヘガキ)を |
雲が立ち昇り出た 出雲の宮殿に 妻(正室)を迎え 何重にも取り囲む 垣のよう | |
| ②出雲第6世 大国主神(八千矛神)が、側室として、越国の沼河比売を獲得 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 八千矛(ヤチホコ)神⇒越国の沼河比売(ヌナカハヒメ) | |||
| 夜知冨許能 迦微能羙許登波 夜斯麻久尒 都麻々岐迦泥弖 登々冨々斯 故志能久迩々 佐加志賣袁 阿理登波加志弖 久波志賣遠 河理登伏許志弖 佐用婆比尒 阿理夛々斯 用婆比迩 阿理迦用婆势 夛知賀遠毌 伊麻陁登加受弖 淤湏(須)比遠毌 伊麻陁登加泥 遠登賣能 那湏(須)夜伊夛斗遠 淤曽夫良比 和何夛々势礼婆 比許豆良比 和何夛々势礼婆 阿遠夜麻迩 奴延波那伎奴 佐怒都登理 波藝斯波登与牟 尒波都登理 迦都(祁)波那久 宇礼夛久毌 那久那冨留登理加 許能登理毌 宇知夜米許世泥 伊斯夛布夜 阿麻波势豆加比 許登能加夛理其(碁)登毌 許遠婆 |
八千矛(ヤチホコ)の 神(カミ)の命(ミコト)は 八島国(ヤシマクニ) 妻蘰(ツママ)きかねて 遠々(トホトホ)し 越(コシ)の国(クニ)に 賢女(サカシメ)を ありと吐(ハ)かして 麗女(クハシメ)を 狩(カ)りと吹(フ)こして さ婚(ヨバ)ひに あり立(タ)たし 婚(ヨバ)ひに あり通(カヨ)ばせ 太刀(タチ)が緒(ヲ)も いまだ解(ト)かずて 襲緒(オスヒヲ)も いまだ解(ト)かね 乙女(ヲトメ)の 寝家(ナスヤ)板戸(イタト)を 押(オ)そぶらひ 我(ワカ)立(タ)たせれば 引(ヒ)こづらひ 我(ワカ)立(タ)たせれば 青山(アヲヤマ)に 鵺(ヌエ)は鳴(ナ)きぬ さ野(ノ)つ鳥(トリ) 羽雉(ハギシ)は動(トヨ)む 庭(ニハ)つ鳥(トリ) 鶏(カケ)は鳴(ナ)く 心痛(ウレタ)くも 鳴(ナ)くなほる鳥(トリ)か この鳥(トリ)も 打(ウ)ち止(ヤ)めこせね い慕(シタ)ふや 天馳使(アマハセヅカヒ) 事(コト)の語言(カタリゴト)も 是(コ)をば |
八千矛(ヤチホコ)の 神は 全国で 妻を娶ることができず 遠い 越(コシ)の国に 賢い女が いると聞き 麗しい女を 探すと言って 求婚に 立ち 求婚に 通うと 太刀を まだ解かず 上着も まだ脱がず 乙女の 寝ている家の板戸を 押し揺さぶり 私が立つと 引きずり 私が立つと 山で 鵺(ヌエ=トラツグミ)が鳴き 野の鳥 雉(キジ)が動き 庭の鳥 鶏(カケ=ニワトリ)が鳴く いまいましく 鳴く鳥め この鳥も 叩いて鳴き止めさせたい 憧れる 空飛ぶ鳥よ 言う事は この通り | |
| 越国の沼河比売(ヌナカハヒメ)⇒八千矛(ヤチホコ)神 | |||
| 夜知冨許能 迦微能美許等 奴(那)延久佐能 賣迩志阿礼波(婆) 和何許々吕 宇良湏(須)能登釼(釹) 伊麻許曽婆(波) 和抒理迩阿良米 能知波 那抒理尒阿良牟遠 伊能知波 那志势夛麻比曽 伊斯夛布夜 阿麻波世豆迦比 許登能加夛理碁登毌 許遠(脱字 「婆」) 夜麻迩 比賀迦久良婆 奴婆夛麻能 用波伊傳那牟 阿佐比能 恵羙佐加延岐弖 夛登(久豆)怒能 斯路岐夛陁牟岐 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 曽陁夛々岐 麻那賀理 麻夛麻傳 夛麻傳佐斯麻岐 毛々那賀尒 伊波那佐牟遠 阿夜尒 那告斐支許志 夜知冨許能 迦微能羙許登能 迦夛理碁登毌 許遠婆 |
八千矛(ヤチホコノ)の 神(カミ)の命(ミコト) 萎草(ナエクサ)の 女(メ)にしあれば 我(ワカ)心(ココロ) 浦洲(ウラス)の戸(ト)ぞ 今(イマ)こそは 我鳥(ワドリ)にあらめ 後(ノチ)は 汝鳥(ナドリ)にあらむを 命(イノチ)は な弑(シ)せ給(タマ)ひそ い慕(シタ)ふや 天馳使(アマハセヅカヒ) 事(コト)の語言(カタリゴト)も 是(コ)をば 山(ヤマ)に 日(ヒ)が隠(カク)らば 黒(ヌバ)珠(タマ)の 夜(ヨ)は出(イ)でなむ 朝日(アサヒ)の 笑(エ)み栄(サカ)え来(キ)て 栲綱(タクヅノ)の 白(シロ)き腕(タダムキ) 淡雪(アワユキ)の 若(ワカ)やる胸(ムネ)を そだたたき まながり 真玉手(マタマデ) 玉手(タマデ)さし枕(マ)き 百長(モモナガ)に 寝(イ)は為(ナ)さむを 奇(アヤ)に な恋(コ)ひ聞(キ)こし 八千矛(ヤチホコ)の 神(カミ)の命(ミコト)の 語言(カタリゴト)も 是(コ)をば |
八千矛(ヤチホコ)の 神よ 落ちぶれた 女なので、 私の心は 浦の洲にいる鳥 今は 私の鳥だけど 後は 貴方の鳥でしょう 命を どうか取らないで 憧れる 空飛ぶ鳥よ(⇒八千矛神) 言う事は この通り 山に 日が隠れたら 漆黒の 夜になります (貴方は)朝日のような 笑顔で来て、 コウゾの綱のような 白い腕で 沫雪のような 若い私の胸を しっかりと 抱きしめ その上 玉のような手を枕に いつまでも 寝ますから むやみに 恋い焦がれますな 八千矛(ヤチホコ)の 神に 言うことは この通り | |
| 八千矛(ヤチホコ)神⇒正室の須勢理毘売(スセリビメ) | |||
| 奴婆夛麻能 久路岐羙祁斯遠 麻都夫佐尒 登理与曽比 淤岐都登理 牟那羙流登岐 波夛々藝毌 許礼婆(波)布佐婆(波)受 弊都那羙 曽迩奴岐宇弖 蘓迩抒理能 阿遠岐羙祁斯遠 麻都夫佐迩 登理与曽比 淤岐都登理 牟那羙流登岐 波夛々藝毌 許毌布佐波受 弊都那羙 曽迩奴棄宇弖 夜麻賀夛尒麻岐斯 阿夛々尼都岐 曽米紀賀斯流迩 斯米許吕毌遠 麻都夫佐迩 登理与曽比 淤岐都登理 牟那羙流登岐 波夛々藝毌 弥斯与呂志 伊刀古夜能 伊毛能羙許等 牟良登理能 和賀牟礼伊那婆 比氣登理能 和賀比氣伊那婆 那迦士登波 那波伊布登毌 夜麻登能 比登毌登湏々(須須)岐 宇那加夫斯 那賀那加佐麻久 阿佐阿米能 疑理迩夛々牟釼(釹) 和加久佐能 都麻能羙許登 許登能 加夛理碁(脱字 「登」)毌 許遠婆 |
黒(ヌバ)珠(タマ)の 黒(クロ)き御衣(ミケシ)を 真具(マツブサ)に とり装(ヨソ)ひ 沖(オキ)つ鳥(トリ) 胸(ムナ)見(ミ)る時(トキ) 羽(ハ)たたぎも これは適(フサ)はず 辺(ヘ)つ波(ナミ) そに脱(ヌ)き棄(ウ)て 鴗(ソニドリ)の 青(アヲ)き御衣(ミケシ)を 真具(マツブサ)に とり装(ヨソ)ひ 沖(オキ)つ鳥(トリ) 胸(ムナ)見(ミ)る時(トキ) 羽(ハ)たたぎも 此(コ)も適(フサ)はず 辺(ヘ)つ波(ナミ) そに脱(ヌ)き棄(ウ)て 山県(ヤマガタ)に巻(マ)きし 阿多田(アタタ)に搗(ツ)き 染木(ソメキ)が汁(シル)に 染(シ)め衣(コロモ)を 真具(マツブサ)に とり装(ヨソ)ひ 沖(オキ)つ鳥(トリ) 胸(ムナ)見(ミ)る時(トキ) 羽(ハ)たたぎも 見(ミ)し冝(ヨロ)し 爱子(イトコ)やの 妹(イモ)の命(ミコト) 群鳥(ムラトリ)の 我(ワ)が群(ム)れ徃(イ)なば 引(ヒ)け鳥(トリ)の 我(ワ)が引(ヒ)け徃(イ)なば 泣(ナ)かじとは 汝(ナ)は言(イ)ふとも 山処(ヤマト)の 一本(ヒトモト)薄(ススキ) うな傾(カブ)し 汝(ナ)が泣(ナ)かさまく 朝雨(アサアメ)の 霧(キリ)に立(タ)たむぞ 若草(ワカクサ)の 妻(ツマ)の命(ミコト) 事(コト)の 語言(カタリゴト)も 是(コ)をば |
漆黒の 黒衣を 十分に 装い 水鳥のように 胸元を見る時 羽ばたくが これは似合わぬ 引波のように 未練なく脱ぎ 鴗(ソニドリ=カワセミ)の 青衣を 十分に 装い 水鳥のように 胸元を見る時 羽ばたくが これも似合わぬ 引波のように 未練なく脱ぎ 山畑に囲まれた 出雲の田で搗いた 染木(=錦木)の汁に 染めた衣を 十分に 装い 水鳥のように 胸元を見る時 羽ばたくが 見栄えがいい 愛しい 妻よ 群鳥のように 私が去ったら 引鳥のように 私が去ったら 泣かないと 貴女は言うけれど 山辺の 1本の薄のように うな垂れて 貴女は泣くだろう (嗚咽は)朝雨の 霧になるだろう 若い 妻よ 言う事は この通り | |
| 正室の須勢理毘売(スセリビメ)⇒八千矛(ヤチホコ)神 | |||
| 夜知冨許能 加微能羙許登夜 阿賀淤冨久迩奴斯 那許曽波 遠迩伊麻世婆 宇知微流 斯麻能佐岐那岐 加岐微流 伊蘓能佐岐淤知受 和加久佐能 都麻毌夛势良米 阿波毌与 賣迩斯阿礼婆 那遠岐弖 遠波那志 那遠岐弖 都麻波那斯 阿夜加岐能 布波夜賀斯夛尒 牟斯夫湏(須)麻 尒古夜賀斯夛尒 夛攵(久)夫湏(須)麻 佐夜具賀斯夛尒 阿和由岐能 和加夜流牟泥遠 夛久豆怒能 斯路岐夛陁牟岐 曽陁夛岐 夛々岐麻那賀理 麻夛麻傳 夛麻傳佐斯麻岐 毛(脱字 「毛」)那賀迩 伊遠斯那世 登与羙岐 夛弖麻都良世 |
八千矛(ヤチホコ)の 神(カミ)の命(ミコト)や 吾(ア)が大国主(オホクニヌシ) 汝(ナ)こそは 男(ヲ)に坐(イマ)せば 打(ウチ)ち廽(ミ)る 島(シマ)の前(サキ)無(ナ)き かき廽(ミ)る 磯(イソ)の前(サキ)落(オ)ちず 若草(ワカクサ)の 妻(ツマ)持(モ)たせらめ 吾(ア)はもよ 女(メ)にしあれば 汝(ナ)措(オキ)て 男(ヲ)は無(ナ)し 汝(ナ)措(オキ)て 夫(ツマ)は無(ナ)し 綾垣(アヤカキ)の ふはやが下(シタ)に 苧衾(ムシブスマ) 柔(ニコ)やが下(シタ)に 栲衾(タクブスマ) さやぐが下(シタ)に 淡雪(アワユキ)の 若(ワカ)やる胸(ムネ)を 栲綱(タクヅノ)の 白(シロ)き腕(タダムキ) そだたき たたきまながり 真玉手(マタマデ) 玉手(タマデ)さし枕(マ)き 百長(モモナガ)に 寝(イ)をし為(ナ)せ 豊御酒(トヨミキ) 奉(タテマツ)らせ |
八千矛(ヤチホコ)の 神 私の大国主(オホクニヌシ)よ 貴方は 男だから 遠くに見える 島の崎や 巡る 磯の崎には必ず 若い 妻を持っているでしょう 私は 女だから 貴方の他に 男は無く 貴方の他に 夫はいません 綾織の幕の ゆれる風の下で 苧麻(マオ=カラムシ)の布団の 柔かな下で コウゾの布団の さやめく下で 沫雪のような 若い私の胸を コウゾの綱のような 白い腕で しっかり しっかりと抱きしめ その上 玉のような手を枕に いつまでも 寝てください 美酒を 召し上がれ | |
| ③出雲第7世 阿遅鉏高日子根神の妹、高比売が、夫の父・本妻に、兄をPR | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 高比売(タカヒメ)⇒夫(天若日子)の父・本妻 | |||
| 阿米那流夜 淤登夛那婆夛能 宇那賀世流 夛麻能羙湏(須)麻流 羙湏(須)流迩 阿那陁麻波夜 羙夛迩 布夛和夛良湏(須) 阿治志貴 夛迦比古泥能 迦微曽也 |
天(アメ)なるや 乙(ヲト)棚機(タナバタ)の うながせる 玉(タマ)の御統(ミスマル) 御統(ミスル)に 穴玉(アナダマ)はや 深谷(ミタニ) 二(フタ)渡(ワタ)らす 阿遅鉏(アヂシキ) 高日子根(タカヒコネ)の 神(カミ)ぞ也 |
高天原(都)の 若い機織女が 頸にかける 玉の輪飾りで 魅力の 勾玉のように湾曲した 深い谷を 二回(往復)も渡られる 阿遅鉏(アヂシキ) 高日子根(タカヒコネ)の 神であるよ | |
| ④神世第15代 火遠理命と豊玉毘売が、御子(鵜草葺不合命)の誕生後に離縁 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 先妻の豊玉毘売(トヨタマビメ)⇒火遠理(ホヲリ)命 | |||
| 阿加院(陁)麻波 袁佐閇比迦礼梯(杼) 斯良夛麻能 岐羙能何金(余)曽比斯 夛布斗久阿理祁理 |
紅玉(アカダマ)は 緒(ヲ)さへ惹(ヒ)かれど 白玉(シラタマ)の 君(キミ)のか装(ヨソ)ひし 貴(タフト)くありけり |
赤玉は その緒まで惹かれるが 白玉でも 貴方の姿は 貴かった | |
| 火遠理(ホヲリ)命⇒先妻の豊玉毘売(トヨタマビメ) | |||
| 意岐都登理 加毛度久斯麻迩 和賀葦(韋)泥斯 伊毛波和湏礼士 余能許登基登迩 |
沖(オキ)つ鳥(トリ) 鴨(カモ)著(ツ)く島(シマ)に 我(ワ)が寝(イネ)し 妹(イモ)は忘(ワス)れじ 世(ヨ)の悉(コトゴト)に |
沖の鳥 鴨が寄りつく島で 共寝をした 妻を忘れはしない 私が生きている限り | |
| ⑤第1代 神武天皇とその兵士が、久米歌で快進撃 (宇陀⇒忍坂⇒畝傍) | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇)⇒その兵士 | |||
| 宇陁能夛加紀尒 志藝和那波留 和賀麻都夜 志藝波佐夜良受 伊湏(須)久波斯 久治良佐夜流 古那羙賀 那許彼佐婆 夛知曽婆能 微能那祁久袁 許紀志斐恵泥 宇波那理賀 那許婆佐婆 伊知佐加紀 微能意冨祁久袁 許紀陁斐恵泥 疊(盁)々志夜 胡志夜 此者伊能基(碁)布曽 阿々志夜 胡志夜 此者嘲咲者 |
宇陀(ウダ)の田掻(タカ)きに 鴫(シギ)罠(ワナ)張(ハ)る 我(ワ)が待(マ)つや 鴫(シギ)は障(サヤ)らず 磯美(イスクハ)し 鯨(クヂラ)障(サヤ)る 嫡妻(コナミ)が 肴(ナ)乞(コ)ひさば 立(タ)ち蕎麦(ソバ)の 実(ミ)の無(ナ)けくを 扱(コ)きし削(ヒ)えね 後妻(ウハナリ)が 肴(ナ)乞(コ)ばさば 柃(イチサカキ) 実(ミ)の多(オホ)けくを 扱(コ)きだ削(ヒ)えね え~良(エ)しや 鼓(コ)しや 此(コ)れは期剋(イノゴ)ふぞ あ~悪(ア)しや 鼓(コ)しや 此(コ)れは嘲咲(アザワラフ)者 |
宇陀の代(シロ)掻き田に 鴫(シギ)罠張って 我は待ったが 鴫(シギ)は掛からず 磯で麗しい 鯨(クヂラ)が掛かる 古妻が おかずを欲しがりゃ 蕎麦(ソバ)のように 実の無い所を 取ってやれ 新妻が おかずを欲しがりゃ 柃(イチサカキ)のように 実の多い所を 取ってやれ え~しゃ こ~しゃ 景気良く あ~しゃ こ~しゃ 笑い者 | |
| 意佐賀能 意冨牟廬夜尒 比登佐波尒 岐伊理袁理 比登佐波尒 伊理袁理登毌 羙都羙都斯 久米能古賀 久夫都々伊 々斯都々伊毌知 宇知弖斯衣(夜)麻牟 羙都羙都斯 久米能古良賀 久夫都々伊 々斯都々伊毌知 伊麻宇夛婆余良斯 |
忍坂(オサカ)の 大室屋(オホムロヤ)に 人(ヒト)多(サハ)に 来(キ)入(イ)り居(ヲ)り 人(ヒト)多(サハ)に 入(イ)り居(ヲ)りとも 満(ミ)つ満(ミ)つし 久米(クメ)の子(コ)が 頭椎(クブツツ)い 石椎(イシツツ)い持(モ)ち 撃(ウ)ちてし止(ヤ)まむ 満(ミ)つ満(ミ)つし 久米(クメ)の子(コ)らが 頭椎(クブツツ)い 石椎(イシツツ)い持(モ)ち 今(イマ)撃(ウ)たばよろし |
忍坂(オサカ)の 大室(オホムロ)に 多勢の人が 来て入って居て どんなに多勢の人が 入って居ても 元気満々の 久米(クメ)の兵士が 頭椎(クブツツ)の太刀 石椎(イシツツ)の太刀を持って 敵を撃ってやる 元気満々の 久米(クメ)の兵士達が 頭椎(クブツツ)の太刀 石椎(イシツツ)の太刀を持って 今や撃て | |
| 羙都羙都斯 久米能古良賀 阿波布尒波 賀羙良比登毌登 曽泥賀毌登 曽泥米都那藝弖 宇知弖志夜麻牟 |
満(ミ)つ満(ミ)つし 久米(クメ)の子(コ)らが 粟生(アハフ)には 韮(ガミラ)一本(ヒトモト) そね蒲(ガモ)と そね芽(メ)繋(ツナ)ぎて 撃(ウ)ちてし止(ヤ)まむ |
元気満々の 久米(クメ)の兵士達の 粟畑には 韮(ガミラ=ニラ)1本 その蒲と その芽と一緒に 敵を撃ってやる | |
| 羙都羙都斯 久米能古良賀 加岐毌登尒 宇恵志波士加羙 久知比々久 和礼波和湏(須)礼志(士) 宇知弖斯夜麻牟 |
満(ミ)つ満(ミ)つし 久米(クメ)の子(コ)らが 垣(カキ)夲(モト)に 植(ウ)えし椒(ハジカミ) 口(クチ)疼(ヒヒ)く 我(ワレ)は忘(ワス)れじ 撃(ウ)ちてし止(ヤ)まむ |
元気満々の 久米(クメ)の兵士達が 垣本に 植えた山椒の 辛さを 我は忘れずに 敵を撃ってやる | |
| 加牟加是能 伊势能宇羙能 意斐志尒 波比毌登冨吕布 志夛陁羙能 伊波比毌登冨理 宇知弖志夜麻牟 |
神風(カミカゼ)の 伊瀬(イセ)の海(ウミ)の 御石(オヒシ)に 這(ハ)ひ廽(モトホ)ろふ 細螺(シタダミ)の い這(ハ)ひ廽(モトホ)り 撃(ウ)ちてし止(ヤ)まむ |
暴風の 伊瀬の海(響灘)の 石に 這い回る 小巻貝のように 這い回って 敵を撃ってやる | |
| 夛夛那米弖 伊那佐能夜麻能 許能麻用毌伊由岐 麻毛良比夛夛加閇婆 和礼波夜恵奴 志麻都登理 宇加比賀登毌 伊麻湏(須)氣尒許泥 |
楯(タタ)並(ナ)めて 伊那佐(イナサ)の山(ヤマ)の 木間(コノマ)よもい行(ユ)き 守(マモ)らひ戦(タタカ)へば 我(ワレ)はや飢(エ)ぬ 島(シマ)つ鳥(トリ) 鵜飼(ウカヒ)が伴(トモ) 今(イマ)助(ス)けに来(コ)ね |
楯(タテ)を並べ 伊那佐山(大和国宇陀)の 林間を四方(ヨモ)に行き 防戦したので 我は腹が減った 島の鳥のように 鵜飼部(ウカヒベ)よ 今直ぐ助けに来い | |
| ⑥第1代 神武天皇が、正室以外に、大和国で皇后を求めて、大久米命に指示 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 大久米(オホクメ)命⇒神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇) | |||
| 夜麻登能 夛加佐士怒袁 那々由久 袁登賣梯(杼)毌 夛礼表(袁)志摩加牟 |
大和(ヤマト)の 高佐士野(タカサジノ)を 七(ナナ)行(ユ)く 媛女(ヲトメ)ども 誰(タレ)をし娶(マ)かむ |
大和の 高佐士野(タカサジノ)を 7人で行く 乙女達の 誰を妻にしますか | |
| 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇)⇒大久米(オホクメ)命 | |||
| 賀都賀都毌 伊夜佐岐陁弖流 延袁斯麻加牟 |
且(カ)つ且(カ)つも いや先立(サキダ)てる 兄(エ)をし娶(マ)かむ |
早く 先頭の 年上の乙女を妻にしよう | |
| 大和国の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)⇒大久米(オホクメ)命 | |||
| 阿米都々 知杼理麻斯登々 那抒(杼)佐祁流斗米 |
あめ鶺鴒(ツツ) 千鳥(チドリ)真(マ)鵐(シトト) 何(ナ)ど咲(サ)ける利目(トメ) |
鶺鴒(セキレイ)・千鳥(チドリ)・ 鵐(ホオジロ)のように 何故鋭い目にしているのか | |
| 大久米(オホクメ)命⇒大和国の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ) | |||
| 裳(袁)登賣尒 夛陁尒阿波牟登 和加佐祁流斗米 |
乙女(ヲトメ)に 直(タダ)に逢(ア)はむと 我(ワ)が咲(サ)ける利目(トメ) |
乙女に 直(スグ)に会いたいと思い 私は鋭い目にしている | |
| 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイハレビコ)命(神武天皇)⇒大和国の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ) | |||
| 阿斯波良能 志祁志岐袁夜迩 湏(須)賀夛々羙 伊夜佐夜斯岐忌(弖) 和賀布夛理泥斯 |
葦原(アシハラ)の 穢(シケ)しき小屋(ヲヤ)に 菅畳(スガタタミ) 弥(イヤ)清(サヤ)敷(シ)きて 我(ワ)が2人(フタリ)寝(ネ)し |
葦原の 汚い小屋に 菅畳(スガタタミ)を とても清らかに敷いて 私達は2人寝した | |
| ⑦第1代 神武天皇の死後、正室の子、当芸志美美命が、皇后の3子の殺害を計画 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 皇后の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)⇒御子3子(日子八井命・神八井耳命・神沼河耳命) | |||
| 佐韋賀波用 久毛夛知和夛理 宇泥俻(備)夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登湏(須) |
狭井川(サイガワ)よ 雲(クモ)立(タ)ち渡(ワタ)り 畝傍山(ウネビヤマ) 木(コ)の葉(ハ)さやぎぬ 風(カゼ)吹(フ)かむとす |
狭井川(御子達)よ 雲が立ち渡り 畝傍山(当芸志美美)は 木の葉が音を立てていた 風(兵)を出そうとしている | |
| 宇泥俻(備)夜麻 比流波久毛登韋 由布佐礼婆 加是布加牟登曽 許能波佐夜牙流 |
畝傍山(ウネビヤマ) 昼(ヒル)は雲(クモ)と居(イ) 夕(ユフ)されば 風(カゼ)吹(フ)かむとぞ 木(コ)の葉(ハ)さやげる |
畝傍山(当芸志美美)は 昼は曇っていて 夕方になれば 風(兵)を出そうと 木の葉が音を立てている | |
| ⑧第10代 崇神天皇から越国平定を命じられた大毘古命に、山背国の乙女が警告 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 山背国の乙女⇒大毘古(オホビコ)命 | |||
| (古波夜)羙麻紀伊理毗古 波夜 羙麻紀伊理毗古 波夜 意能賀(素)袁或(袁) 奴湏羙斯势牟登 斯都斗用 伊由岐夛賀比 麻幣都斗用 伊由岐夛賀比 宇迦々波久 斯良尒登 羙广(麻)紀伊理毗古 波夜 |
御真木入日子(ミマキヒリビコ) はや 御真木入日子(ミマキヒリビコ) はや 己(オノ)が緒(ヲ)を 盗(ヌス)み殺(シ)せむと 後(シ)つ戸(ト)よ い行(ユ)き違(タガ)ひ 前(マヘ)つ戸(ト)よ い行(ユ)き違(タガ)ひ うかかはく 知(シ)らにと 御真木入日子(ミマキイリビコ) はや |
御真木入日子(ミマキヒリビコ) (崇神天皇)や 御真木入日子(ミマキヒリビコ) (崇神天皇)や 自分の命を 狙って殺そうと 裏門から 行き違い 前門から 行き違いして 狙われていることを 知らずに 御真木入日子(ミマキヒリビコ) (崇神天皇)や | |
| ⑨第12代 景行天皇から命じられた熊曽建討伐の帰り、倭建命が、出雲建を討伐 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 倭建(ヤマトタケル)命⇒出雲建(イヅモタケル) | |||
| 夜都米佐湏(須) 伊豆毛夛祁流賀 波祁流夛知 都豆良佐波麻岐 佐味祁(那)志尒阿波礼 |
八目(ヤツメ)差(サ)す 出雲建(イヅモタケル)が 佩(ハ)ける大刀(タチ) 葛(ツヅラ)多(サハ)巻(マ)き さ身無(ミナ)しに哀(アハ)れ |
多くの芽が生えるように 出雲建(イヅモタケル)が 佩いている太刀は 葛を多く巻いていても 刀身の無いのが哀れ | |
| ⑩第12代 景行天皇から命じられた東国征討で、倭建命が、皇后(弟橘比売)を失う | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 皇后の弟橘比売(オトタチバナヒメ)⇒倭建(ヤマトタケル)命 | |||
| 佐泥佐斯 佐賀牟能 袁怒迩 毛由流肥能 夲那迦迩夛知弖 斗比斯岐羙波毌 |
さねさし 相武(サガム)の 尾沼(ヲヌ)に 燃(モ)ゆる火(ヒ)の 火中(ホナカ)に立(タ)ちて 問(ト)ひし君(キミ)はも |
峰の聳える 相模(相模国)の 尾(大)沼(丹沢湖の元)で 燃える火の 火の中に立って 安否を問うた君 | |
| 倭建(ヤマトタケル)命(甲斐国の酒折宮)⇒篝火を焚く老人 | |||
| 迩比婆理 都久波赤(袁)湏(須)疑弖 伊久用加泥都流 |
新治(ニヒバリ) 筑波(ツクバ)を過(ス)ぎて 幾夜(イクヨ)か寝(ネ)つる |
新開地の 筑波を過ぎて 幾夜か寝たことか | |
| 篝火を焚く老人⇒倭建(ヤマトタケル)命(甲斐国の酒折宮) | |||
| 迦賀那倍弖 用迩波許々能用 比迩波登赤(袁)加袁 |
篝(カガ)並(ナ)べて 夜(ヨ)には9夜(ココノヨ) 日(ヒ)には10日(トヲカ)を |
篝火を並べて 9夜 10日になる(9泊10日) | |
| ⑪第12代 景行天皇から命じられた東方征討の帰り、倭建命・美夜受比売が結婚 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 倭建(ヤマトタケル)命⇒尾張国の美夜受比売(ミヤズヒメ) | |||
| 比佐迦夛能 阿米能迦具夜麻 斗迦麻迩 佐和夛流久毗 比波煩曽 夛和夜賀比那袁 麻迦牟登波 阿礼波湏(須)礼梯(杼) 佐泥牟登波 阿礼波意毌閇梯(杼) 那賀祁势流 意湏(須)比能 湏(須)蘓(蘇)尒 都紀夛知迩祁理 |
久方(ヒサカタ)の 天香山(アメノカグヤマ) 利鎌(トカマ)に さ渡(ワタ)る鵠(クビ) 鶸細(ヒハボソ) 手弱腕(タワヤガイナ)を 枕(マ)かむとは 吾(アレ)はすれど さ寝(ネ)むとは 吾(アレ)は思(オモ)へど 汝(ナ)が着(ケ)せる 襲(オスヒ)の 裾(スソ)に 月(ツキ)立(タ)ちにけり |
遠方の 天香山を くの字になって 渡る白鳥のような 華奢で 細腕の貴方を 抱きたいとは 私は思うけれど 寝たいとは 私は思うけれど 貴方の着ている 上着の 裾に 月が登ってきたよ | |
| 尾張国の美夜受比売(ミヤズヒメ)⇒倭建(ヤマトタケル)命 | |||
| 夛迦比迦流 比能羙古 夜湏(須)羙斯志 和賀意冨岐羙 阿良夛麻能 登斯賀岐布礼婆 阿良夛麻能 都紀波岐閇由久 宇倍那 宇倍那 宇倍那 岐羙麻知賀夛尒 和賀祁势流 意湏(須)比能 湏(須)蘓(蘇)尒 都紀夛々那牟余 |
高(タカ)光(ヒカ)る 日(ヒ)の御子(ミコ) 八隅(ヤスミ)知(シ)し、 我(ワ)が大君(オホキミ) あらたまの 年(トシ)が来経(キフ)れば あらたまの 月(ツキ)は来経(キヘ)行(ユ)く 宜(ウベ)な 宜(ウベ)な 宜(ウベ)な 君(キミ)待(マ)ち難(ガタ)に 我(ワ)が着(ケ)せる 襲(オスヒ)の 裾(スソ)に 月(ツキ)立(タ)たなむよ |
高光る 日の御子よ 八方の隅まで治めた 私の君よ 新しい 年が経つと 新しい 月が経っていく まったく まったく まったく 君を待ちきれずに 私の着ている 上着の 裾には 月が登ってきたのでしょう | |
| ⑫第12代 景行天皇から命じられた東方征討の帰り、倭建命が、伊勢国で死に至る | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 倭建(ヤマトタケル)命 | |||
| 袁波理迩 夛陁迩牟迦弊流 袁都能佐岐那流 比登都麻都 阿势袁 比登都麻都 比登迩阿理势婆 夛知波氣麻斯袁 岐奴岐势麻斯袁 比登都麻都 阿势袁 |
尾張(ヲハリ)に 直(タダ)に向(ム)かへる 尾津(ヲツ)の前(サキ)なる 一(ヒト)つ松(マツ) 吾兄(アセ)を 一(ヒト)つ松(マツ) 人(ヒト)にありせば 太刀(タチ)佩(ハ)けましを 衣(キヌ)着(キ)せましを 一(ヒト)つ松(マツ) 吾兄(アセ)を |
尾張に 真向いの 尾津崎にある 1本松 よ 1本松が 人だったら 太刀を佩かせ 衣を着せてやるのに 1本松 よ | |
| 夜麻登波 久尒能麻夲吕婆 夛々那豆久 阿袁加岐 夜麻碁毌礼流 夜麻登志宇流波斯 |
大和(ヤマト)は 国(クニ)のまほろば 畳(タタナ)づく 青垣(アヲカキ) 山籠(ヤマゴ)もれる 大和(ヤマト)し麗(ウルハ)し |
大和は 国中で良い所 幾重にも重なるような 青い 山並みに囲まれた 大和は美しい | |
| 伊能知能 麻夛祁牟比登波 夛々羙許毌 弊具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受尒佐势 曽能古 |
命(イノチ)の 全(マタ)けむ人(ヒト)は 畳薦(タタミコモ) 平群(ヘグリ)の山(ヤマ)の 熊樫(クマカシ)が葉(ハ)を 髻華(ウズ)に挿(サ)せ その子(コ) |
命を 全うできる人は 薦が重なるような 平群の山の 熊樫の葉を 髪飾りに挿した 子よ | |
| 波斯祁夜斯 和岐幣能迦夛用 久毛韋夛知久毌 |
爱(ハ)しけやし 我家(ワギヘ)の方(カタ)よ 雲居(クモイ)立(タ)ち来(ク)も |
(纒向の)懐かしい 我家の方で 雲が立上りこっちに来るよ | |
| 袁登賣能 登許能弁尒 和賀淤岐斯 都流岐能夛知 曽能夛知波夜 |
乙女(ヲトメ)の 床(トコ)の辺(ベ)に 我(ワ)が置(オ)きし 剣(ツルキ)の太刀(タチ) その太刀(タチ)はや |
乙女(美夜受比売)の 寝所に 私が置いた (草那芸)剣の太刀 その太刀よ | |
| ⑬倭建命の后・御子達は、陵(伊勢国)造営後、倭建命が化身した八尋白智鳥を追跡 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 倭建(ヤマトタケル)命の后・御子達 | |||
| 那豆岐能夛能 伊那賀良迩 伊那賀良尒 波比毌登冨吕布 登許吕豆良 |
沈(ナヅ)きの田(タ)の 稲柄(イナガラ)に 稲柄(イナガラ)に 匐(ハ)ひ廻(モトホ)ろふ 野老蔓(トコロヅラ) |
田んぼの 稲の茎に 稲の茎に 這い回る つる草 | |
| (脱字 「阿」)佐士怒波良 許斯那豆牟 蘓(蘇)良波由賀受 阿斯用由久那 |
浅篠原(アサジノハラ) 腰(コシ)沈(ナヅ)む 空(ソラ)は行(ユ)かず 足(アシ)よ行(ユ)くな |
笹原では 腰まで沈む 空は動かず 足は動かず | |
| 宇羙賀由氣婆 許斯那豆牟 意冨迦婆(波)良能 宇恵具佐 宇羙賀波 伊佐用布 |
海処(ウミガ)行(ユ)けば 腰(コシ)沈(ナヅ)む 大河原(オホカハラ)の 植(ウ)え草(グサ) 海処(ウミガ)は 予(イサヨ)ふ |
海側を行けば 腰まで沈む 河原の 笹原か 海側かを 迷う | |
| 波麻都知登理 波麻用由迦受 伊蘓(蘇)豆夛布 |
浜(ハマ)つ千鳥(チトリ) 浜(ハマ)よ行(ユ)かず 磯(イソ)伝(ヅタ)ふ |
浜千鳥 浜を行かず 磯を行く | |
| ⑭第14代 仲哀天皇の死後、正室の忍熊皇子+伊佐比宿祢将軍が、太子軍に敗戦 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 伊佐比宿祢(イサヒスクネ)将軍⇒忍熊(オシクマ)皇子 | |||
| 伊奢阿藝 布流玖麻賀 伊夛弖淤波受波 迩夲梯(杼)理能 阿布羙能宇羙迩 迦豆岐势那和 |
いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が 痛手(イタテ)負(オ)はずは 鳰鳥(ニホドリ)の 淡海(アフミ)の海(ウミ)に 潜(カヅ)きせなわ |
吾が君(忍熊皇子)よ 敵の建振熊(タケフルクマ)に 痛手を負わせられなくて 水に潜る鳰鳥のように (近)淡海の海(琵琶湖)に 潜ろう | |
| ⑮神功皇后は、皇后の太子(品陀和気命)・後見人(建内宿祢大臣)の帰還を歓迎 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 神功皇后(息長帯日売)⇒皇后の太子(品陀和気命)・後見人の建内宿祢(タケウチスクネ)命 | |||
| 許能羙岐波 和賀羙岐那良受 久志能加羙 登許余迩伊麻湏(須) 伊波夛々湏(須) 々久那羙迦微能 加牟菩岐 夲(脱字 「岐」)玖琉夲斯 登余夲岐 夲岐毌登夲斯 麻都理許斯 羙岐敘 阿佐受袁势 佐々 |
この御酒(ミキ)は 我(ワ)が御酒(ミキ)ならず 酒(クシ)の司(カミ) 常世(トコヨ)に坐(イマ)す 石(イハ)立(タ)たす 少名(スクナ)御神(ミカミ)の 神寿(カムホ)き 寿(ホ)きくるほし 豊寿(トヨホ)き 寿(ホ)きもとほし 奉(マツ)りこし 神酒(ミキ)ぞ 飽(ア)さず食(ヲ)せ ささ |
この御酒は 私(息長帯日売)が作らず 酒の司で 常世国に居られる 石に宿る 少名(スクナ)御神が 神の祝いで 祝い狂わせて 豊穣の祝いで 祝い巡らせて 進呈して来た 神酒だよ どうぞ飲み乾せ さあ | |
| 後見人の建内宿祢(タケウチスクネ)命⇒神功皇后(息長帯日売) | |||
| 許能羙岐袁 迦羙祁牟比登波 曽能都豆羙 宇湏(須)迩夛弖々 宇夛比都々 迦(脱字 「羙」)祁礼迦毌 麻比都々 迦羙祁礼加毌 許能羙岐能 羙岐能阿夜迩 宇夛陁怒斯 佐々 |
この神酒(ミキ)を 醸(カ)みけむ人(ヒト)は その鼓(ツヅミ) 臼(ウス)に立(タ)てて 歌(ウタ)ひつつ 醸(カ)みけれかも 舞(マ)ひつつ 醸(カ)みけれかも この神酒(ミキ)の 神酒(ミキ)の奇(アヤ)に 歌(ウタ)楽(ダノ)し ささ |
この神酒を 醸した人は 鼓を 臼に仕立てて 歌いながら 醸したかも 舞いながら 醸したかも この神酒の 神酒の不思議さに 歌を楽しもう さあ | |
| ⑯第15代 応神天皇が、山背国の矢河枝比売に求婚 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 品陀和気(ホムダワケ)天皇(応神天皇) | |||
| 知婆能 加豆怒袁羙礼婆 毛之(毛)知陁流 夜迩波毌羙由 久尒能冨毌羙由 |
千葉(チバ)の 葛野(カヅノ)を見(ミ)れば 百千(モモチ)足(ダ)る 家庭(ヤニハ)も見(ミ)ゆ 国(クニ)の秀(ホ)も見(ミ)ゆ |
葉が多い 葛野(山背国葛野)を見れば 満ち足りた 民の家々も見え 国の住み良い様も見える | |
| 品陀和気(ホムダワケ)天皇(応神天皇)⇒山背国の矢河枝比売(ヤカハエヒメ) | |||
| 許能迦迩夜 伊豆久能迦迩 毛々豆夛布 都奴賀能迦迩 余許佐良布 伊豆久迩伊夛流 伊知遅志麻 羙志麻迩斗岐 羙夲梯(杼)理能 迦豆伎伊岐豆岐 志那陁由布 佐々那羙遅袁 酒久酒久登 和賀伊麻势婆夜 許波夛能羙知迩 阿波志斯袁登賣 宇斯吕傅波 袁陁弖吕迦毌 波那羙波 志比比斯那湏(須) 伊知韋能 和迩佐能迩佐能袁 波都迩波 々陁河(阿)可良氣羙 志婆(波)迩婆(波) 迩具漏岐由恵 羙都具理能 曽能曽能那迦都迩袁 加夫都久 麻肥迩波阿弖受 麻用賀岐 許迩加岐夛礼 阿彼(波)志斯袁羙那 迦毌賀登 和賀羙斯古良 迦久毌賀登 阿賀羙斯古迩 宇夛々氣陁迩 牟迦比袁流迦毌 伊蘓(蘇)比袁流迦毌 |
この蟹(カニ)や 何処(イヅク)の蟹(カニ) 百伝(モモヅタ)ふ 角鹿(ツヌガ)の蟹(カニ) 横(ヨコ)去(サ)らふ 何処(イヅク)に到(イタ)る 伊知遅(イチヂ)島(シマ) 美島(ミシマ)に着(ト)き 鳰鳥(ミホドリ)の 潜(カヅ)き息(イキ)づき 階田(シナダ)ゆふ 小々波路(ササナミヂ)を すくすくと 我(ワ)が坐(イマ)せばや 木幡(コハタ)の道(ミチ)に 遇(ア)はしし乙女(ヲトメ) 後姿(ウシロデ)は 煽(ヲダ)てろかも 歯(ハ)並(ナ)みは 椎菱(シヒヒシ)如(ナ)す 櫟(イチイ)の 和迩坂(ワニサ)の土(ニ)さのを 初土(ハツニ)は 膚(ハダ)赤(アカ)らけみ 終土(シハニ)は 丹黒(ニグロ)き故(ユエ) 三栗(ミツグリ)の そのその中(ナカ)つ土(ニ)を 黴(カブ)著(ツ)く 真日(マヒ)には当(ア)てず 眉(マヨ)書(ガ)き 濃(コ)に書(カ)き垂(タ)れ 遇(ア)はしし女人(ヲミナ) かもがと 我(ワ)が見(ミ)し子(コ)ら 此(カク)もがと 吾(ア)が見(ミ)し子(コ)に 現気(ウタタケ)だに 向(ム)かひ居(ヲ)るかも い添(ソ)ひ居(ヲ)るかも |
この蟹(乙女)は どこの蟹 遠い遠い 角鹿(敦賀)の蟹 横歩きして どこへ行く 伊知遅島 美島に着き 鳰鳥(私)が 潜り一息ついて 棚田のような さざなみ路を どんどん 私が行くと 木幡の道で 逢った乙女の 後姿は 魅力的で 歯並びは 団栗の粒揃いのよう 櫟(イチイ=アララギ)の 和迩坂の土の 初めの土は 赤過ぎて 終わりの土は 黒過ぎるから 三つ栗のように 中間の土を 黴つかせ 直日には当てないよう 眉描きを 濃く切れ長に描くよう 出逢った女人に こう願い 私が見初めた子達に こう願い 私が見初めた子(貴女)に 夢見心地で 向き合っていることよ 寄り添っていることよ | |
| ⑰第15代 応神天皇が、太子の大雀命に、日向国の髪長比売を下賜 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 品陀和気(ホムダワケ)天皇(応神天皇)⇒太子の大雀(オホサザキ)命 | |||
| 伊耶古梯(杼)毌 怒毗流都羙迩 比流都羙迩 和賀由久羙知能 迦具波斯 波那夛知婆那波 夲都延波 登理韋賀良斯 支豆延比(波) 波(比)登々理賀良斯 羙都具理能 那迦都延能 夲都毛理 阿加良袁登賣袁 伊耶佐佐婆 余良斯那 |
いや子供(コドモ) 野蒜(ノビル)摘(ツ)みに 蒜(ヒル)摘(ツ)みに 我(ワ)が行(ユ)く道(ミチ)の 香(カ)ぐはし 花橘(ハナタチバナ)は 上枝(ホツエ)は 鳥居(イ)枯(ガ)らし 下枝(シヅエ)は 人(ヒト)採(ト)り枯(ガ)らし 三(ミ)つ栗(グリ)の 中枝(ナカツエ)の 上(ホツ)盛(モ)り 赤(アカ)ら乙女(ヲトメ)を いや挿(サ)さば 冝(ヨ)らしな |
太子(大雀命)よ 野蒜(ノビル=ネギ)摘みに 蒜(ヒル=ネギ)摘みに 私が行く道の 香ぐわしい 花橘(蜜柑類)は 上枝は 鳥が居て枯らし 下枝は 人が採って枯らし 三つ栗のように 中間の枝の 最高の花 美しい乙女を とりあえず、挿せば 良い | |
| 羙豆夛麻流 余佐羙能伊氣能 韋具比宇知賀 佐斯祁流斯良迩 奴那波 久理波閇祁久 斯良迩 和賀許々吕志敍 伊夜袁許迩斯弖 伊麻敍久夜斯岐 |
水(ミヅ)溜(タ)まる 依網(ヨサミ)の池(イケ)の 堰杙(イグイ)打(ウ)ちが 挿(サ)しける知(シ)らに 蓴(ヌナ)は 繰(ク)り延(ハ)へけく 知(シ)らに 我(ワ)が心(ココロ)しぞ いや愚(ヲコ)にして 今(イマ)ぞ悔(クヤ)しき |
水が溜まっている (天皇の)依網池に 囲い杙が 在るとも知らずに 蓴菜に 手を伸ばしているとは 知らずに 私の心は 愚かだったと 今となっては悔しい | |
| 太子の大雀(オホサザキ)命⇒品陀和気(ホムダワケ)天皇(応神天皇) | |||
| 羙知能斯理 古波陁袁登賣袁 迦徴(微)能碁登 岐許延斯迦梯(杼)毌 阿比麻久良麻久 |
道(ミチ)の後(シリ) 木肌(コハダ)乙女(ヲトメ)を 雷(カミ)の如(ゴト) 聞(キ)こえしかども 相枕(アヒマクラ)巻(マ)く |
日向国の 素朴な乙女を 雷のように 聞いていたが その乙女と枕を並べる | |
| 羙知能斯理 古波陁袁登賣波 阿良蘓(蘇)波受 泥斯久袁斯敍毌 宇流波志羙 意(脱字 「毌」)布 |
道(ミチ)の後(シリ) 木肌(コハダ)乙女(ヲトメ)は 争(アラソ)はず 寝(ネ)しく惜(オ)しぞも 愛(ウルハ)しみ 思(オモ)ふ |
日向国の 素朴な乙女は 争わず 寝たのが惜しくても 整って美しいと 思う | |
| ⑱第15代 応神天皇の太子の大雀命を、吉野国栖達が応援 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 吉野の国栖達⇒太子の大雀(オホサザキ)命 | |||
| 夲牟夛能 比能羙古 意冨佐耶(邪)岐 意冨佐耶(邪)岐 波加势流夛知 毌登都流藝 湏(須)恵布由 布由紀能 湏(須)加良賀志夛紀能 佐夜々々 |
品陀(ホムタ)の 日(ヒ)の御子(ミコ) 大雀(オホサザキ) 大雀(オホサザキ) 佩(ハ)かせる太刀(タチ) 本剣(モトツルギ) 末魂(スエフユ) 冬木(フユ)の 素幹(スカラ)が下木(シタキ)の さやさや |
品陀和気(ホムタワケ)天皇の 日嗣の御子 大雀(オホサザキ)命 大雀(オホサザキ)命が 佩いている太刀は 剣の本が 魂の末を示す 冬木(品陀和気天皇)の 幹の下木(大雀命)が 息づく | |
| 加志能布迩 余久湏(須)袁都久理 余久湏(須)迩 迦羙斯意冨羙岐 宇麻良尒 岐許志毌知袁势 麻吕賀知(脱字 「知」) |
樫(カシ)の生(フ)に 横臼(ヨクス)を作(ツク)り 横臼(ヨクス)に 釀(カ)みし大御酒(オホミキ) 美(ウマ)らに 聞(キ)こし以(モ)ち食(ヲ)せ 麻呂(マロ)が父(チチ) |
樫の木で 横臼を作り 横臼で 釀造した大御酒 旨いから 飲みなされ 私達の父(大雀命)よ | |
| ⑲第15代 応神天皇に、渡来人の須須許理が、大御酒を醸造・献上 | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 品陀和気(ホムダワケ)天皇⇒渡来人の須須許理(ススコリ) | |||
| 湏(須)々許理賀 迦羙斯羙岐迩 和礼恵比迩祁理 許登那具志 恵具志尒 和礼恵比迩祁理 |
須須許理(ススコリ)が 釀(カ)みし御酒(ミキ)に 我(ワレ)酔(エ)ひにけり 事無酒(コトナグシ) 笑酒(エグシ)に 我(ワレ)酔(エ)ひにけり |
須須許理(ススコリ)が 釀造した御酒に 私は酔ってしまった 無事を祈る酒 笑い酒に 私は酔ってしまった | |
| ⑳第15代 応神天皇の死後、太子の大山守命・宇遅能和紀郎子が争う | |||
| 原文 | 読み | 口語訳 | |
| 太子の大山守(オホヤマモリ)命⇒太子の宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ) | |||
| 知波夜夫流 宇遅能和夛理迩 佐袁斗理迩 波夜祁牟比登斯 和賀毛古迩許牟 |
千早振(チハヤブ)る 宇治(ウヂ)の渡(ワタ)りに 棹(サヲ)取(ト)りに 速(ハヤ)けむ人(ヒト)し 我(ワ)が仲間(モコ)に来(コ)む |
激しい流れの 宇治の渡し(山背国宇治)で 舵取りに 早まった人よ 私を助けに来てはどうか | |
| 太子の宇遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコ)⇒太子の大山守(オホヤマモリ)命 | |||
| 知波夜比登 宇遅能和夛理迩 和夛理是迩夛弖流 阿豆佐由羙麻由羙 伊岐良牟登 許許呂波 (脱字 「意」)毌閇梯(杼) 伊斗良牟登 許々吕波 (脱字 「意」)毌閇梯(杼) 毌登幣波 岐羙袁淤毌比傅 湏(須)恵幣波 伊毛袁淤毌比傅 伊良那祁久 曽許尒淤毌比傅 加那志祁久 許々尒淤毌比傅 伊岐良受曽久流 阿豆佐由羙麻由羙 |
千早人(チハヤヒト) 宇治(ウヂ)の渡(ワタ)りに 渡(ワタ)り瀬(セ)に立(タ)てる 梓弓(アヅサユミ)檀(マユミ) い伐(キ)らむと 心(ココロ)は 思(オモ)へど い取(ト)らむと 心(ココロ)は 思(オモ)へど 夲方(モトヘ)は 君(キミ)を思(オモ)ひ出(デ) 末方(スエヘ)は 妹(イモ)を思(オモ)ひ出(デ) 苛(イラ)なけく 其処(ソコ)に思(オモ)ひ出(デ) 爱(カナ)しけく 此処(ココ)に思(オモ)ひ出(デ) い伐(キ)らずぞ来(ク)る 梓弓(アヅサユミ)檀(マユミ) |
千早人(宇遅能和紀郎子)が 宇治の渡し(山背国宇治)で 浅瀬に着いて立ち上がり 梓弓の檀(大山守命)を 伐ろうと 心は 思うけれど 取ろうと 心は 思うけれど 木元は 君(品陀和気天皇)を思い出 し、木末は 妹(八田若郎女)を思い出し 悲しく 其処に思い出し 愛しく 此処に思い出したので 伐らずに来たよ 梓弓の檀(大山守命) | |




