1.経緯と目的
☀「古事記」 編集に至った経緯と目的は、次の通り。1.1 経緯と目的
| 経緯と目的 | |
| 天武10年(西暦681年)3月、第40代天武天皇51歳が、 『朕が聞くところ、諸家が所有する帝紀及本辞には、 既に正実が違い、虚偽が多く加わっている。 今のうちにその失態を改めなければ、幾年も経たないうちにその旨が滅びてしまう。 その旨とは、我国の秩序を感化する基本である。 故に、帝紀を撰録し、旧辞を尋ね調べて、偽を削除し、真実を定めて、 後世に流布させたい。』と仰せになり、 天皇家の帝紀及本辞を基に、天武天皇勅命で修正してできた 「帝皇日継及先代旧辞」 (後に、その先代旧辞部分が、「勅語旧辞」 と呼ばれる)を誦習するよう、 天武天皇の舎人、稗田阿礼28歳に口頭で命令された。 | |
| 天武天皇の目的 | 大嘗祭等朝廷の儀式において、上記 「帝皇日継及先代旧辞」 に基づく古詞 を稗田阿礼に奏上させることにより、正しい帝紀・旧辞を、早く流布させる。 |
| ところが、天命が、天智天皇の娘の系統(第41代 持統女帝、第42代 文武天皇、第43代 元明女帝)に移り、稗田阿礼以外の舎人が、元の帝紀及本辞から古詞を奏上するように なったので、諸家にある帝紀及本辞の虚偽を改めるまでに、至らなかった。 しかし、和銅4年(西暦711年)9月18日に、元明女帝51歳が、旧辞の誤認を惜しみ、 先紀の誤りを正すとして、文官太朝臣安萬侶に対し、 『稗田阿礼の誦むところの天武天皇の 「勅語旧辞」 を撰録して、献上せよ。』 との文書命令をお出しになったので、安萬侶は、早速この詔旨に従い、「勅語旧辞」 を 誦える稗田阿礼58歳の音声を漢字で採録し、翌年の和銅5年(西暦712年)1月28日、 元明女帝52歳に、文書 「古事記」 として、献上した。 | |
| 元明女帝の目的 | 舎人親王らによって、別途、編纂中の国史 「日本紀」(後の 「日本書紀」)の 草案が、完成してきたので、その内容を照査するため、 先の 「勅語旧辞」 を文書化して、比較資料とする。 |
☀なお、上記における「太字」の用語の意味は、次の通り。
1.2 用語の意味
| 「帝紀及本辞」 とは? |
| ✿帝王の系譜(帝紀)と昔からの言い伝え(本辞)とを総称する普通名詞。 天皇家を含む諸家にある 「帝紀及本辞」 には、 帝紀部分として、仁徳天皇の系統が武烈天皇の代で断絶した後の系譜に、 ● 応神天皇を祖とする継体天皇に続く系譜 ● 孝元天皇を祖とする蘇我馬子大王に続く系譜 ● 仁徳天皇系の手白香姫に継体天皇が婿入りした系譜 ● 女性天皇(推古女帝、皇極女帝、斉明女帝)を、皇位継承の系譜に入れない系譜 等があった。 本辞部分としては、用明天皇、崇峻天皇、推古女帝、舒明天皇、皇極女帝、孝徳天皇、 斉明女帝、天智天皇、弘文天皇、天武天皇達の各代の古事に、 真相が誤って伝えられている出来事があった。 |
| 「天皇家の帝紀及本辞」 とは? |
| ✿厩戸皇子・蘇我馬子による作成、と伝えられている 「天皇記及国記、臣連伴造国造 百八十部并公民等本記」 に、その後の舒明天皇、皇極女帝、孝徳天皇、斉明女帝、 天智天皇、弘文天皇、天武天皇達の 「帝紀及本辞」 が、追加されたものの普通名詞。 |
| 「先紀」・「旧辞」 とは? |
| ✿先紀とは、過去の系譜を意味し、旧辞とは、古い言い伝えを意味する普通名詞。 |
| 「帝皇日継及先代旧辞」 とは? |
| ✿上記 「天皇家の帝紀及本辞」 が、天武天皇勅命で修正されたもので、正しい帝王の 系譜(帝皇日継)及び過去の時代の古い言い伝え(先代旧辞)を意味する固有名詞。 |
| 「勅語旧辞」 とは? |
| ✿上記 「帝皇日継及先代旧辞」 が、天武天皇の勅語で修正されてできたものであるた め、その先代旧辞部分を指すときの略称である固有名詞。 |
| 「古事記」 とは? |
| ✿上記天武天皇の 「勅語旧辞」 を誦える稗田阿礼の音声から、太朝臣安萬侶が、漢字 の音訓を混用する表記手法で採録して、元明女帝に献上した記録文書の固有名詞。 |

